抗血栓療法と血栓症予防
抗血栓療法とは、血栓症の予防・治療を目的とした医療行為の総称です。血栓とは血管内で血液が固まってできる塊のことで、これが血管を塞ぐことで様々な疾患を引き起こします。超高齢社会を迎えた現代日本において、冠動脈疾患や脳血管疾患、末梢動脈疾患などの動脈硬化性疾患による心血管イベントは、悪性腫瘍と並んで死亡原因の上位を占めています。これらの疾患は動脈硬化プラークの破綻やびらんに伴って生じた血栓によって発症するため、抗血栓療法は現代医療において非常に重要な位置を占めています。
抗血栓療法は大きく分けて「抗血小板療法」「抗凝固療法」「血栓溶解療法」の3つに分類されます。それぞれ作用機序や適応疾患が異なるため、患者の状態や疾患に応じて適切な治療法を選択することが重要です。
抗血栓療法における抗血小板療法の役割と適応
抗血小板療法は、血小板の働きを抑制することで血液の凝固を防ぎ、主に動脈血栓症の予防に用いられます。動脈血栓症には脳梗塞、心筋梗塞、末梢動脈血栓症などが含まれます。
抗血小板薬の代表的なものとしては、アスピリン(商品名:バイアスピリン)が最も歴史があり広く使用されています。低用量アスピリン(100mg/日以下)は、心筋梗塞や脳梗塞の二次予防に有効であることが多くの研究で示されています。
1990年代半ばまでは抗血小板薬として低用量アスピリンが主に使用されていましたが、冠動脈ステント治療の普及に伴い、アスピリンとチエノピリジン系薬剤(クロピドグレルなど)の2剤併用療法(DAPT: Dual Antiplatelet Therapy)が標準治療となりました。その後、アテローム血栓症の急性期イベント予防にもDAPTが用いられるようになり、脳神経領域や末梢動脈領域など幅広く適用されています。
特に冠動脈に薬剤溶出型ステント(DES)を留置した患者では、従来型のベアメタルステント(BMS)に比べてステント内再狭窄は減少しましたが、内皮の被覆が遅延することによる遅発性ステント血栓症のリスクがあるため、より長期間のDAPTが必要とされています。DES留置後は最低でも12ヶ月(最短でも3ヶ月)のDAPTが推奨されていますが、BMSでは最短1ヶ月のDAPTで良いとされています。
近年では、効果の発現が早く個人差の少ない新規抗血小板薬も登場し、治療の選択肢が広がっています。
抗血栓療法と抗凝固療法の違いと使い分け
抗凝固療法は、凝固因子の作用を抑制することで血液の凝固を防ぎ、主に静脈血栓症や心房細動に伴う脳塞栓などの予防に用いられます。静脈血栓症には深部静脈血栓症や肺塞栓症が含まれます。
抗凝固薬の代表的なものとしては、長らくワルファリン(商品名:ワーファリン)が使用されてきました。ワルファリンはビタミンK依存性凝固因子の合成を阻害することで抗凝固作用を発揮します。しかし、ワルファリンは食事(特にビタミンKを多く含む緑黄色野菜)や他の薬剤との相互作用が多く、また効果の個人差が大きいため、定期的な血液検査(PT-INR値の測定)によるモニタリングが必要です。
近年では、DOAC(Direct Oral AntiCoagulants:直接作用型経口抗凝固薬)と呼ばれる新しいタイプの抗凝固薬が登場しています。DOACはワルファリンと比較して、食事や他の薬剤との相互作用が少なく、定期的な血液検査が不要であるという利点があります。代表的なDOACとしては、ダビガトラン(プラザキサ)、リバーロキサバン(イグザレルト)、アピキサバン(エリキュース)、エドキサバン(リクシアナ)などがあります。
抗血小板療法と抗凝固療法の最大の違いは、それぞれが作用する血栓形成のメカニズムの違いにあります。抗血小板療法は主に血小板の凝集を抑制するため、血流が速い動脈系での血栓形成を予防するのに適しています。一方、抗凝固療法は凝固因子の活性化を抑制するため、血流が遅い静脈系や心腔内での血栓形成を予防するのに適しています。
しかし、近年の研究では従来の概念を覆すような結果も報告されており、例えば一部の動脈血栓症に対しても抗凝固療法が有効である可能性が示唆されています。そのため、患者の病態に応じた適切な抗血栓療法の選択がますます重要になっています。
抗血栓療法における心房細動患者の脳梗塞予防
心房細動は加齢とともに発生率が増加し、心原性脳塞栓症の主要な原因となっています。心原性脳塞栓症の6〜7割が非弁膜症性心房細動に由来しているとされています。
心房細動患者における脳梗塞リスクの評価には、CHADS2スコアやその改良版であるCHA2DS2-VAScスコアが広く用いられています。CHADS2スコアは以下の要素からなります。
非弁膜症性心房細動の治療ガイドラインでは、CHADS2スコアが2点以上の患者にはワルファリンによる抗凝固療法が推奨されています(クラスI推奨)。また、1点の場合でもワルファリン療法を考慮してもよいとされています(クラスIIa推奨)。
ワルファリンによる抗凝固療法は、心房細動患者の脳梗塞リスクを約70%低下させることが示されています。非弁膜症性心房細動の患者において、70歳未満ではPT-INR 2.0〜3.0、70歳以上ではPT-INR 1.6〜2.6を目標にコントロールすることが推奨されています。
近年では、ワルファリンに代わってDOACの使用が増加しています。国立循環器病研究センターが実施したSAMURAI-NVAF研究を含む国際統合解析では、脳梗塞再発予防においてDOACがワルファリンと比較して有効であることが示されています。DOACはワルファリンと比較して頭蓋内出血のリスクが低く、食事制限が少ないなどの利点があります。
抗血栓療法を受ける患者の歯科治療時の注意点
抗血栓薬を服用している患者が歯科治療、特に抜歯などの観血的処置を受ける際には、出血リスクと血栓塞栓症リスクのバランスを考慮する必要があります。
従来は、抜歯などの観血的処置を行う際には抗血栓薬を一時的に中断することが一般的でしたが、近年の研究では抗血栓薬の中断による血栓塞栓症のリスクが、継続による出血リスクよりも重大であることが明らかになっています。
現在のガイドラインでは、以下のような推奨がなされています。
- ワルファリン服用患者でINRが治療域(INR 3.5以下)にある場合、単純抜歯ではワルファリン療法を中止すべきではない(クラスI、エビデンスレベルA)。
- 歯科処置のために低用量アスピリン(100mg/日以下)を中止すべきではない。局所止血処置が効果的である(クラスI、エビデンスレベルA)。
抗血栓薬を服用している患者が歯科を受診する際には、必ず服用している薬剤について歯科医師に伝えることが重要です。また、自己判断で薬の服用を中断することは避けるべきです。
歯科医療機関では、抗血栓薬を処方している医療機関と連携し、薬の種類や用量、PT-INR値などの情報を共有することが推奨されています。患者は歯科受診時に「お薬手帳」を持参することで、より安全な歯科治療を受けることができます。
複数の抗血栓薬を服用している患者や、薬の効果が強く止血が困難と判断される場合には、緊急性の高い処置を除いて観血的処置を延期することもあります。また、出血時には止血用シーネ(止血包帯)の作製など、適切な止血処置が行われます。
抗血栓療法の未来:新規薬剤と個別化医療の展望
抗血栓療法の分野では、より効果的で安全な治療を目指して新たな薬剤や治療戦略の開発が進んでいます。
DOACの登場により、従来のワルファリンによる抗凝固療法の問題点(食事制限、薬物相互作用、頻回な血液検査の必要性など)が改善されましたが、さらに半減期が短く、より特異的に作用する新世代の抗凝固薬の開発も進んでいます。
また、抗血小板療法においても、より効果的で出血リスクの低い薬剤の開発が進んでいます。特に、P2Y12受容体阻害薬の新世代薬(プラスグレルやチカグレロールなど)は、従来のクロピドグレルと比較して効果の発現が早く、個人差が少ないという利点があります。
さらに、患者個々の遺伝的背景や臨床的特徴に基づいた「個別化医療」の概念も抗血栓療法に取り入れられつつあります。例えば、クロピドグレルの効果には遺伝的多型(CYP2C19遺伝子多型)が影響することが知られており、遺伝子検査に基づいた薬剤選択が可能になりつつあります。
また、血栓リスクと出血リスクを同時に評価するスコアリングシステムの開発も進んでおり、より精密な治療戦略の立案が可能になりつつあります。例えば、心房細動患者では血栓リスク評価のCHA2DS2-VAScスコアと出血リスク評価のHAS-BLEDスコアを併用することで、より適切な抗凝固療法の選択が可能になります。
TAVI(経カテーテル的大動脈弁留置術)後の抗血栓療法など、新たな治療法に対応した抗血栓療法のプロトコルも確立されつつあります。TAVI後は人工弁自体や二次的な血栓塞栓性イベントを予防するために抗血栓療法が推奨されていますが、最適な治療法についてはまだ議論が続いています。
抗血栓療法の未来は、より効果的で安全な薬剤の開発と、患者個々の特性に応じた治療法の選択にあると言えるでしょう。医療技術の進歩とともに、血栓症の予防と治療はさらに進化していくことが期待されます。
抗血栓療法は現代医療において非常に重要な位置を占めており、適切な治療によって多くの命が救われています。しかし、その効果を最大限に引き出し、副作用を最小限に抑えるためには、医療従事者の正しい知識と患者の理解・協力が不可欠です。今後も研究が進み、より安全で効果的な抗血栓療法が確立されることを期待します。
日本循環器学会による「抗血栓療法に関するガイドライン」- 最新の抗血栓療法に関する詳細な情報が掲載されています
日本血栓止血学会誌「抗血栓療法の基礎と臨床」- 抗血栓療法の基本的な考え方から最新の知見までが解説されています