テラバンシン日本における開発状況
テラバンシンは米国で既に15年以上使用されています。
テラバンシンの米国承認と日本導入の経緯
テラバンシンは米国テラバンス社が開発した脂質化グリコペプチド系の抗生物質で、MRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)を含むグラム陽性菌に対して強力な抗菌活性を示します。従来のバンコマイシンと異なり、細菌の細胞壁合成を阻害するだけでなく、細胞膜の透過性を増大させるという二重の作用機序を持つ点が特徴です。
米国では2009年9月にFDAが承認し、同年11月にアステラス製薬の米国子会社から「VIBATIV」という商品名で発売されました。複雑性皮膚・軟部組織感染症を主な適応症としており、1日1回の投与で済むという利便性も評価されています。院内肺炎や人工呼吸器関連肺炎に対する追加適応も後に取得しました。
日本におけるテラバンシンの開発は2005年11月に始まりました。アステラス製薬が米国テラバンス社と、日本を除く全世界での独占的開発・製造・販売権に関するライセンス契約を締結したのです。その後2006年7月には、日本での開発権も追加で取得し、全世界での権利を獲得しました。契約時の報道によれば、アステラス製薬はテラバンス社に対して契約一時金として1500万ドルを支払い、開発の進捗に応じたマイルストーン支払いも設定されていました。
当初、アステラス製薬は日本でもMRSA感染症を対象とした臨床試験の実施を計画していました。第Ⅰ相臨床試験の段階まで進んでいたことが、同社の開発パイプライン資料から確認できます。
しかし2011年、状況は一変します。
同年11月の決算発表時に更新された開発状況資料には、テラバンシンが「開発中止品目」のリストに移動し、「テラバンシンに関する全世界でのライセンス契約を終了したため、アステラスでの開発を中止した」と明記されました。
この契約終了は2012年1月に正式発表されました。アステラス製薬の発表によると、同社がライセンス契約の終了権を行使したとされています。終了の具体的理由について、公式発表では「戦略的判断」とのみ述べられており、詳細は明らかにされていません。ライセンス返還を円滑に進めるため、アステラス製薬は「VIBATIV」に関連する在庫をテラバンス社に移管し、2012年3月末まで一定の臨床サポート業務を継続することで合意しました。
つまり、日本では承認申請に至る前の早期開発段階で中止されたということです。
臨床試験データが十分に蓄積される前に開発が打ち切られたため、日本人患者における有効性や安全性のエビデンスは存在しません。この点が、現在でもテラバンシンが日本で使用できない直接的な理由となっています。
テラバンシン開発中止の背景要因
アステラス製薬がテラバンシンの開発を中止した背景には、複数の要因が絡んでいたと考えられます。公式には明示されていませんが、医薬品業界の動向や当時の状況から推測できる要素があります。
まず、競合する抗MRSA薬の存在です。日本では2001年にリネゾリド(商品名:ザイボックス)が承認され、既に臨床現場で広く使用されていました。2011年にはダプトマイシン(商品名:キュビシン)も承認を取得しており、テラバンシンが市場に参入する頃には、バンコマイシン以外の選択肢が複数存在する状況になっていました。
バンコマイシンが主流です。
特にリネゾリドは経口投与が可能という利点があり、入院期間の短縮やアウトパトリント治療への移行に貢献していました。一方、テラバンシンは注射剤のみであり、1日1回投与という利便性はあるものの、経口薬と比較すると使用場面が限られます。
次に、安全性プロファイルの問題が挙げられます。米国での臨床試験や市販後調査から、テラバンシンには腎機能障害のリスクが報告されていました。FDA承認時の添付文書には、血清クレアチニンの上昇が有害事象として記載されており、腎機能のモニタリングが推奨されています。また、QT延長のリスクも指摘されており、先天性QT延長症候群や心不全の患者には使用禁忌とされていました。
日本の医療現場では、バンコマイシンも腎毒性を持つことから、血中濃度モニタリング(TDM)の実施が標準化されています。テラバンシンにも同様の管理が必要になると予想され、既存薬と比較して明確な優位性を示すことが難しかったと考えられます。
さらに、欧州での承認状況も影響した可能性があります。アステラス製薬は米国だけでなく欧州でもテラバンシンの承認申請を行っていました。2010年には欧州医薬品審査庁(EMEA、現EMA)に申請しましたが、2011年5月には一度、承認勧告を受けたものの、最終的には申請を取り下げています。この欧州での挫折が、グローバル戦略の見直しにつながった可能性は高いでしょう。
開発コストと投資対効果の観点も無視できません。新薬の開発には莫大な費用がかかり、特に抗菌薬は開発期間が長く、臨床試験の規模も大きくなります。日本での臨床試験を継続するには、数百例規模の患者登録と数年間の試験期間が必要でした。しかし、既存の抗MRSA薬が複数存在する市場で、テラバンシンが大きなシェアを獲得できる見込みは不透明でした。
実際、抗菌薬市場は他の治療領域と比較して市場規模が小さく、薬剤耐性の問題もあり使用が抑制される傾向にあります。製薬企業にとって、投資回収が難しい領域となっているのが現実です。アステラス製薬は当時、泌尿器科領域や移植免疫領域など、より収益性の高い分野に経営資源を集中させる戦略を取っており、感染症領域での優先順位が相対的に低下していたと推測されます。
加えて、規制環境の変化も考慮する必要があります。2010年代初頭、欧米では抗菌薬の適正使用を推進する動きが強まっており、新規抗菌薬の承認基準も厳格化されつつありました。テラバンシンのような広域スペクトラムを持つ薬剤は、薬剤耐性菌の出現を抑制する観点から、使用を限定すべきとする意見も出ていました。
こうした複数の要因が重なり、アステラス製薬は日本でのテラバンシン開発継続のメリットが限定的と判断したのでしょう。
テラバンシンの適応症と作用機序の特徴
テラバンシンは、従来のグリコペプチド系抗生物質とは異なる薬理学的特性を持っています。その特徴を理解することで、なぜ新たな選択肢として期待されたのかが明確になります。
作用機序の第一の特徴は、脂質部分を持つ構造です。テラバンシンはバンコマイシンの基本骨格に脂肪酸側鎖を付加した構造を持ち、この脂質化により細菌の細胞膜への親和性が高まっています。通常のグリコペプチド系薬剤は細胞壁のペプチドグリカン合成を阻害するのに対し、テラバンシンは細胞壁合成阻害に加えて、細胞膜の脱分極と透過性亢進を引き起こします。
つまり二段階攻撃です。
この二重の作用により、テラバンシンは殺菌的に作用します。バンコマイシンが主に静菌的であるのと比較して、より速やかに細菌を死滅させる可能性があるとされていました。In vitro試験では、バンコマイシン耐性腸球菌(VRE)の一部株に対しても活性を示すことが報告されています。
米国での承認適応症は、主に複雑性皮膚・軟部組織感染症(complicated skin and skin structure infections, cSSSI)です。この適応症には、膿瘍、蜂窩織炎、創傷感染、熱傷感染など、グラム陽性菌が原因となる比較的重症の皮膚感染症が含まれます。第Ⅲ相臨床試験では、バンコマイシンを対照薬とした非劣性試験が実施され、同等の有効性が示されました。
さらに、院内肺炎(hospital-acquired pneumonia, HAP)および人工呼吸器関連肺炎(ventilator-associated pneumonia, VAP)に対する適応も追加されています。これらは重症患者における生命を脅かす感染症であり、MRSA が原因菌となることが多い疾患です。肺炎に対する臨床試験では、黄色ブドウ球菌(MRSAを含む)が確定診断された患者において、バンコマイシンと同等の治療成功率が得られています。
投与方法は1日1回、60分以上かけて点滴静注します。投与量は通常、体重1kgあたり10mgで、腎機能に応じた用量調節が必要です。この1日1回投与は、バンコマイシンの1日2回投与と比較して、医療スタッフの負担軽減や患者の利便性向上につながる利点とされていました。
ただし、使用にあたっての注意点もあります。テラバンシンは腎臓から排泄されるため、腎機能低下患者では用量調節が必須です。クレアチニンクリアランスが30~50mL/分の患者では投与量を減らし、30mL/分未満の患者ではさらなる減量が推奨されています。また、尿検査への干渉も報告されており、尿蛋白の偽陽性を引き起こす可能性があるため、解釈には注意が必要です。
心血管系への影響も考慮すべき点です。QT間隔の延長が報告されているため、不整脈のリスクがある患者や、QT延長を引き起こす他の薬剤との併用には慎重を要します。先天性QT延長症候群、非代償性心不全、重度の左室肥大がある患者には使用禁忌とされています。
妊婦への投与については、動物実験で胎児への影響が示されているため、妊娠可能な女性には投与前に妊娠検査を実施し、治療中は避妊を徹底することが求められています。FDA分類ではカテゴリーCに分類されており、明確な安全性が確立されていません。
日本におけるMRSA治療の現状と代替薬
テラバンシンが使用できない日本では、MRSA感染症に対してどのような治療選択肢があるのでしょうか。現在の標準治療とその特徴を理解することは、臨床判断において重要です。
日本で使用可能な抗MRSA薬の第一選択はバンコマイシン(VCM)です。1990年代から使用されており、最も豊富な臨床経験があります。グリコペプチド系抗生物質であり、細菌の細胞壁合成を阻害することでMRSAを含むグラム陽性菌に対して効果を発揮します。
バンコマイシンの最大の特徴は、血中濃度モニタリング(TDM)が確立している点です。有効性を確保しつつ腎毒性を回避するため、トラフ値(投与直前の血中濃度)を測定し、通常は10~20μg/mLの範囲に調整します。重症感染症では15~20μg/mLを目標とすることが推奨されています。日本の医療機関では、TDMを実施する体制が整っており、薬剤師が積極的に関与するチーム医療が実践されています。
ただし課題もあります。
バンコマイシンの腎毒性は、特にアミノグリコシド系抗生物質やループ利尿薬との併用時に増強されます。高齢者や腎機能低下患者では、慎重な用量調節が必要です。また、バンコマイシンは静菌的に作用するため、重症例や免疫不全患者では治療効果が不十分な場合もあります。
第二の選択肢はテイコプラニン(TEIC)です。これもグリコペプチド系抗生物質で、バンコマイシンと同様の作用機序を持ちますが、半減期が長いため1日1回投与が可能です。バンコマイシンと比較して腎毒性が低いとされており、腎機能が不安定な患者や長期治療が必要な症例で選択されることがあります。
投与開始時には、初日に負荷投与(通常400mgを12時間ごとに3回)を行い、その後は維持量(1日1回400mg)に移行します。TDMも推奨されており、トラフ値を15~30μg/mLに維持することが目標とされています。
リネゾリド(LZD)は、オキサゾリジノン系という新しいクラスの抗菌薬です。作用機序が異なり、細菌のリボソームに結合してタンパク質合成を阻害します。最大の利点は経口投与が可能なことで、バイオアベイラビリティは約100%と高く、点滴投与と経口投与で同等の効果が得られます。
これは画期的です。
入院患者で病状が安定したら、点滴から内服に切り替えて早期退院や外来治療への移行が可能になります。また、リネゾリドは組織移行性が良好で、特に肺組織や中枢神経系への移行が優れているため、肺炎や髄膜炎に対して選択されることがあります。
ただし、長期投与時の副作用に注意が必要です。骨髄抑制(血小板減少、貧血)や末梢神経障害、視神経障害のリスクがあり、特に2週間を超える投与では定期的な血液検査とモニタリングが推奨されます。また、セロトニン作動薬(抗うつ薬など)との併用でセロトニン症候群を引き起こす可能性があるため、薬剤歴の確認が重要です。
ダプトマイシン(DAP)は環状リポペプチド系抗生物質で、2011年に日本で承認されました。細菌の細胞膜に結合してカルシウム依存的に膜の脱分極を引き起こし、殺菌的に作用します。バンコマイシン耐性株を含むグラム陽性菌に対して活性を持ちます。
ダプトマイシンの特徴は、濃度依存性の殺菌作用です。高濃度を短時間投与することで効果を最大化でき、1日1回投与が標準です。菌血症や感染性心内膜炎に対する効果が高く評価されており、これらの適応症ではバンコマイシンより推奨されることもあります。
注意点として、肺サーファクタントにより不活化されるため、肺炎には適応がありません。また、CPK(クレアチンホスホキナーゼ)上昇や筋肉痛などの骨格筋障害のリスクがあり、定期的なCPK測定が必要です。スタチン系脂質異常症治療薬との併用は、横紋筋融解症のリスクを高めるため、可能であれば一時的に中止することが推奨されます。
テジゾリド(TZD)は、リネゾリドと同じオキサゾリジノン系の新世代薬剤で、2018年に日本で承認されました。リネゾリドより強力な抗菌活性を持ち、骨髄抑制などの副作用が少ないとされています。経口と静注の両剤形があり、1日1回投与で済む利便性があります。
治療期間が6日間と短く設定されているのが特徴で、これは臨床試験で短期治療でも十分な効果が示されたためです。薬剤耐性の抑制という観点からも、短期間で治療を完結できることはメリットといえます。
このように、日本には複数の抗MRSA薬が使用可能であり、患者の状態、感染部位、腎機能、併存疾患などに応じて最適な薬剤を選択できます。テラバンシンが利用できないことによる臨床的な不利益は、現時点では限定的と考えられます。
テラバンシン未承認が医療現場に与える影響
テラバンシンが日本で使用できないことで、医療現場にどのような影響があるのでしょうか。
メリットとデメリットの両面から考察します。
まず、治療選択肢の多様性という観点では、テラバンシンの不在は一定の制約となります。特に、既存の抗MRSA薬に対して効果不十分な症例や、副作用により使用継続が困難な患者において、新たな選択肢があれば治療の幅が広がります。米国ではテラバンシンがバンコマイシン不応例のレスキュー治療として使用された報告もあり、こうした難治例への対応手段が限られることは懸念材料です。
また、1日1回投与という利便性は、医療スタッフの業務効率化に貢献する可能性がありました。看護師の点滴管理業務や薬剤部での注射薬調製の負担が軽減されれば、他の業務に時間を割くことができます。人手不足が深刻化する医療現場において、こうした効率化は無視できない要素です。
一方で、テラバンシンが利用できないことによるデメリットは、現時点では限定的といえます。前述のとおり、日本には複数の抗MRSA薬が承認されており、ガイドラインでも推奨される治療アルゴリズムが確立しています。日本化学療法学会と日本感染症学会が共同で発行している「MRSA感染症の診療ガイドライン2024」では、感染部位や重症度に応じた薬剤選択の指針が示されており、臨床医はこれに基づいて適切な治療を選択できます。
実際、日本におけるMRSA感染症の治療成績は国際的にも遜色ないレベルにあります。2024年版のガイドラインで示された臨床研究のデータによれば、バンコマイシン、テイコプラニン、リネゾリド、ダプトマイシン、テジゾリドのいずれを使用しても、適切な症例選択と用量設定がなされれば、良好な治療成績が得られています。
特に日本の医療では、TDMの実施率が高く、薬剤師の関与も積極的です。バンコマイシンやテイコプラニンの血中濃度を適切に管理することで、有効性を確保しつつ副作用を最小限に抑える精緻な治療が実践されています。こうした質の高い薬物治療管理は、新薬の不在を補って余りある強みといえるでしょう。
薬剤耐性の観点からも、テラバンシンの不在が直ちに問題となるわけではありません。日本では抗菌薬の適正使用が推進されており、不必要な抗MRSA薬の使用は控えられています。新規薬剤が市場に投入されると、安易な使用により耐性菌が出現するリスクもあります。テラバンシンについても、米国ではすでに感受性低下株の報告が散見されており、使用を限定すべきとの意見もあります。
経済的側面も考慮に値します。新薬は一般的に既存薬より高価であり、テラバンシンも例外ではありません。日本の医療財政が厳しい状況にある中、費用対効果の観点から既存薬で十分な治療成績が得られるのであれば、新薬導入の優先度は必ずしも高くないという判断もあり得ます。
ただし、将来的なリスクも視野に入れるべきです。バンコマイシン耐性MRSA(VRSA)やリネゾリド耐性株など、既存薬に耐性を示す株が出現した場合、治療選択肢が限られると対応が困難になります。欧米では既にこうした多剤耐性株の報告が増えており、日本でも同様の事態が起こる可能性は否定できません。その際、テラバンシンのような新規薬剤へのアクセスがないことは、患者の予後に影響を及ぼすかもしれません。
医療従事者としては、現在利用可能な抗MRSA薬の特性を十分に理解し、個々の患者に最適な治療を選択することが最も重要です。同時に、新規薬剤の開発動向や海外での使用状況にも関心を持ち、必要に応じて情報を更新していく姿勢が求められます。
日本化学療法学会・日本感染症学会「MRSA感染症の診療ガイドライン2024」では、最新のエビデンスに基づいた抗MRSA薬の選択基準と投与方法が詳細に解説されています。
MSDマニュアル プロフェッショナル版「リポグリコペプチド系薬剤」では、テラバンシンを含む新世代グリコペプチド系薬剤の作用機序と使用上の注意が医療従事者向けに詳述されています。