抗リン脂質抗体症候群 APSの基本と特徴
抗リン脂質抗体症候群(Antiphospholipid Syndrome: APS)は、血中に抗リン脂質抗体と呼ばれる自己抗体が存在し、それが原因となって動脈や静脈の血栓症、あるいは習慣性流産などの妊娠合併症を引き起こす自己免疫疾患です。1980年代に疾患概念が確立され、現在では膠原病領域において重要な疾患として認識されています。
APSは原発性と二次性に分類されます。原発性APSは基礎疾患がなく単独で発症するもの、二次性APSは全身性エリテマトーデス(SLE)などの自己免疫疾患に合併して発症するものを指します。特にSLEとの合併が多く、APS患者の約半数がSLEを合併していると報告されています。
日本における患者数は正確な疫学調査がなされていないものの、約1万人から2万人程度と推定されています。男女比は1:5程度で女性に多く、平均発症年齢は30〜40歳前後ですが、思春期から高齢者まで幅広い年齢層で発症する可能性があります。
抗リン脂質抗体症候群 APSの症状と臨床像
APSの主な臨床症状は、動脈血栓症、静脈血栓症、妊娠合併症の3つに大別されます。
動脈血栓症としては、脳梗塞が最も頻度が高く、特に若年者の脳梗塞の原因として重要です。通常の脳梗塞と同様に、麻痺や構音障害などの神経症状が現れます。また、指趾などの末梢動脈閉塞による壊疽が生じることもあります。心筋梗塞は欧米に比べ日本人では比較的少ないとされています。
静脈血栓症としては、下肢深部静脈血栓症が多く見られます。下肢の腫脹や疼痛を主訴とし、血栓が肺に飛ぶと肺塞栓症を引き起こし、胸痛や呼吸困難などの症状が現れ、時に致命的となることもあります。
妊娠合併症としては、習慣性流産が特徴的です。通常の流産が妊娠初期に多いのに対し、APSによる流産は妊娠中期から後期にかけても起こりやすいという特徴があります。その他、子宮内胎児発育遅延や妊娠高血圧症候群なども合併しやすくなります。
これらの主要症状以外にも、血小板減少、心臓弁膜症、網状皮斑(リベド)、腎障害、神経症状など多彩な症状が出現することがあり、これらは抗リン脂質抗体関連症状と呼ばれています。
抗リン脂質抗体症候群 APSの診断基準と検査
APSの診断には、臨床症状と検査所見の両方が必要です。国際的に用いられているサッポロ基準(改訂版)では、以下の臨床基準と検査基準のそれぞれ1項目以上を満たすことが診断の条件となっています。
【臨床基準】
- 血栓症:画像診断や組織学的に確認された動脈、静脈、または小血管の血栓症
- 妊娠合併症。
- 妊娠10週以降の原因不明の胎児死亡
- 妊娠34週未満の重度の子癇前症、子宮内胎児発育遅延による早産
- 3回以上の連続する妊娠10週未満の原因不明の自然流産
【検査基準】
- ループスアンチコアグラント(LA):12週間以上の間隔をあけて2回以上陽性
- 抗カルジオリピン抗体(aCL):中等度以上の力価で12週間以上の間隔をあけて2回以上陽性
- 抗β2グリコプロテインI抗体(aβ2GPI):12週間以上の間隔をあけて2回以上陽性
これらの検査は、偽陽性を避けるため12週間以上の間隔をあけて2回以上陽性を確認することが重要です。また、梅毒検査で偽陽性となることもAPSの特徴の一つです。
近年では、上記の基準に含まれない抗リン脂質抗体(抗ホスファチジルセリン/プロトロンビン抗体など)の臨床的意義も注目されており、従来の基準では捉えられない「血清学的基準陰性APS」の存在も指摘されています。
抗リン脂質抗体症候群 APSの治療と血栓予防
APSの治療は、血栓症の再発予防が中心となります。自己免疫疾患であるものの、ステロイドや免疫抑制薬の有効性は確立されておらず、抗血栓療法が主体となります。
急性期の血栓症に対しては、通常の血栓症と同様の治療が行われますが、再発予防には以下のような治療が推奨されています。
- 動脈血栓症の再発予防。
- 静脈血栓症の再発予防。
- ワルファリンによる抗凝固療法(INR 2.0-3.0を目標)
- 直接経口抗凝固薬(DOAC)の有効性は確立されていない
- 妊娠合併症の予防。
- 低用量アスピリン
- 妊娠中の抗凝固療法(低分子量ヘパリンなど)
SLEを合併するAPSでは、ヒドロキシクロロキンが血栓予防に有効とされています。また、高血圧、脂質異常症、喫煙などの血栓症の危険因子の管理も重要です。
抗リン脂質抗体陽性だが臨床症状のない無症候性キャリアに対しては、一般的に予防的抗血栓療法は推奨されていませんが、他の血栓リスク因子を有する場合は低用量アスピリンの投与が考慮されることもあります。
抗リン脂質抗体症候群 APSと劇症型の特徴
APSの特殊な病型として、「劇症型APS(Catastrophic APS: CAPS)」があります。これは全APS患者の約1%に発症する稀な病態ですが、極めて予後不良であり、死亡率は30〜50%と報告されています。
CAPSの特徴は、短期間(通常1週間以内)に3つ以上の臓器に微小血管血栓症が多発し、急速に多臓器不全へと進行することです。特に肺、脳、腎臓、心臓、皮膚、副腎などが障害されやすく、急性呼吸窮迫症候群(ARDS)、脳症、腎不全、心筋障害などの重篤な症状を呈します。
CAPSの診断基準は以下の通りです。
- 3つ以上の臓器・組織・系統の関与
- 1週間以内の症状の発症
- 組織学的に小血管閉塞の確認
- 抗リン脂質抗体の存在
CAPSの治療は、通常のAPSよりも積極的であり、抗凝固療法に加えて大量ステロイド、血漿交換、免疫グロブリン大量静注療法(IVIG)などの併用療法が行われます。重症例では、リツキシマブやエクリズマブなどの分子標的薬の使用も報告されています。
CAPSの発症トリガーとしては、感染症、手術、薬剤中止(特に抗凝固薬)、悪性腫瘍などが知られており、これらのリスク因子を持つAPS患者では注意深い経過観察が必要です。
抗リン脂質抗体症候群 APSの長期予後と日常生活の注意点
APSの長期予後は、適切な治療と管理により比較的良好とされていますが、血栓症の再発リスクは常に存在します。欧州で行われた1,000例の長期追跡調査では、5年生存率94.7%、10年生存率90.7%と報告されています。主な死因は感染症、悪性腫瘍、血栓症(心筋梗塞、脳梗塞、肺塞栓症など)、出血などです。
APSの長期管理において重要なのは、血栓症の再発予防と危険因子の管理です。患者さんには以下のような生活指導が推奨されます。
- 禁煙:喫煙は血栓リスクを高める最大の生活習慣因子です
- 適切な体重管理と定期的な運動
- 長時間の不動状態(長距離フライトなど)を避ける
- 経口避妊薬の使用を避ける
- 高血圧、糖尿病、脂質異常症などの管理
- 定期的な医療機関の受診と検査
妊娠を希望するAPS患者さんでは、計画的な妊娠と妊娠前からの専門医による管理が重要です。適切な抗血栓療法により、妊娠合併症のリスクは大幅に低減することが可能です。
また、APSでは長期の抗凝固療法に伴う出血リスクも考慮する必要があります。特に高齢者や腎機能障害患者では、抗凝固療法の強度と出血リスクのバランスを慎重に評価することが重要です。
APSは慢性疾患であり、生涯にわたる管理が必要となりますが、適切な治療と生活管理により、多くの患者さんが良好なQOLを維持することが可能です。定期的な医療機関の受診と、血栓症の初期症状(片麻痺、構音障害、視野障害、下肢の腫脹や疼痛など)に対する患者教育も重要な管理ポイントとなります。