前立腺がん全摘出の術式と適応
前立腺がん全摘除術の適応基準と術式選択
前立腺がんにおける全摘除術の適応は、腫瘍の進行度と患者の全身状態を総合的に評価して決定されます。限局性前立腺がん(T1c-T3)で期待余命が10年以上見込める患者が主な適応となり、推奨グレードBとして「行うよう勧められる」治療として位置づけられています。
術式選択において重要な要素は以下の通りです。
- 開腹手術(恥骨後式):視野が広くリンパ節郭清が容易だが、出血量と術後疼痛が多い
- 腹腔鏡手術:低侵襲で出血が少なく、現在の主流となっている術式
- ロボット支援手術:3次元視野と精密な操作により、合併症の軽減が期待される
前立腺がんは臓器内に多発する性質があるため、部分切除は選択肢とならず、基本的に全摘除術が必要となります。これは微小ながん細胞の取り残しを防ぐための重要な治療方針です。
手術時間は通常3-4時間程度で、2-3週間程度の入院期間が必要となります。術中には前立腺と精嚢を摘出し、膀胱と尿道の吻合を行うことで排尿路を再建します。
前立腺がんロボット支援手術の技術と利点
ロボット支援腹腔鏡下前立腺全摘除術(RARP:Robot Assisted Radical Prostatectomy)は、2012年4月に保険適用となって以降、急速に普及している術式です。米国では前立腺がん手術の95%以上がロボット支援で行われており、日本でも約250台のダヴィンチが導入されています。
ロボット支援手術の技術的優位性。
- 3次元高解像度視野:従来の2次元腹腔鏡画像と比較して、より精密な解剖構造の把握が可能
- 手ぶれ補正機能:微細な手の震えを除去し、正確な手術操作を実現
- 多関節器具:人間の手首以上の可動域を持つ器具により、狭い骨盤内での操作が容易
- 操作性の向上:術者の疲労軽減と集中力の維持に貢献
手術手技では、下腹部に6本のトロカーを挿入し、そのうち4本でロボットアームのカメラや鉗子を遠隔操作します。気腹により出血量を大幅に減少させ、現在まで輸血を要した症例は報告されていません。
興味深いことに、ロボット支援手術では25度の頭低位で行うため、腸管の上腹部への移動と気腹圧の相乗効果により、従来の開腹手術と比較して出血量が劇的に減少します。
前立腺がん全摘出後の尿失禁管理
前立腺全摘除術後の尿失禁は、最も重要な合併症の一つであり、患者のQOL(Quality of Life)に大きな影響を与えます。尿失禁の発生機序は、前立腺周囲の神経や筋肉、特に尿道括約筋や骨盤底筋の傷害によるものです。
尿失禁の発生率と管理。
- 術後一過性尿失禁:約5-10%の患者に発生し、多くは時間経過とともに改善
- 持続性尿失禁:長期間にわたって継続する場合があり、積極的なリハビリテーションが必要
- 骨盤底筋体操:尿道括約筋の機能回復を図る最も効果的な保存的治療
リハビリテーションプログラムの要素。
- 術前からの骨盤底筋訓練:手術前から開始することで術後の回復を促進
- 段階的な訓練強度の調整:患者の状態に応じた個別化されたプログラム
- バイオフィードバック療法:筋電図を用いた客観的な筋収縮の評価
- 薬物療法の併用:必要に応じて抗コリン薬やβ3アゴニストの使用
日常生活指導では、尿もれ用パッドの適切な使用と、尿かぶれ予防のための定期的な交換が重要です。シャワーや入浴による清潔保持も感染予防の観点から推奨されています。
前立腺がん術後の勃起機能温存戦略
前立腺全摘除術後の勃起障害は、神経温存手術を行った場合でも約60%の患者に発生する重要な合併症です。勃起に関与する海綿体神経の解剖学的位置が前立腺の外側後方に密接しているため、完全な機能温存は技術的に困難な場合があります。
神経温存手術の戦略。
- 片側神経温存:がんの局在と進行度を考慮し、安全性を確保しながら一側の神経を温存
- 両側神経温存:低リスク群では両側の神経温存を試み、最大限の機能回復を目指す
- 神経移植術:切除が必要な場合には、腓腹神経移植による機能再建を検討
術後の勃起機能回復には、以下のリハビリテーションが有効です。
- PDE5阻害薬の早期使用:血流改善による海綿体の線維化予防
- 陰圧式勃起補助具(VED):機械的な血流促進により組織の健康維持
- 海綿体注射療法:重症例に対する直接的な薬物療法
興味深い研究結果として、術後早期からの積極的なリハビリテーションにより、神経温存群の約70-80%で満足できる勃起機能の回復が報告されています。
前立腺がん全摘出における独自の周術期ケア指針
従来の周術期管理に加えて、前立腺がん特有の課題に対する包括的なアプローチが求められています。特に、心理的サポートと長期的なフォローアップ体制の構築が重要な要素となります。
術前評価の特殊性。
- 認知機能評価:高齢患者における術後せん妄のリスク評価
- 性機能ベースライン測定:IIEF-5スコアによる客観的評価
- 社会的サポート体制の確認:家族背景と介護力の評価
革新的な術後管理プロトコル。
長期フォローアップの革新的アプローチ。
- テレメディシンの活用:遠隔地患者に対する継続的なモニタリング
- 患者報告アウトカム(PRO)の導入:QOL評価の客観化
- AI支援による予後予測:個別化された治療計画の策定
興味深い新知見として、術後の睡眠の質が尿失禁の回復速度に有意な影響を与えることが最近の研究で明らかになっています。睡眠時無呼吸症候群のスクリーニングと治療により、術後合併症の軽減が期待されています。
射精機能への配慮。
前立腺全摘除術では精嚢と精管も同時に切除されるため、射精は不可能となります。しかし、勃起神経の温存により射精感は残存する可能性があり、患者への詳細な説明と心理的サポートが必要です。
救済治療の選択肢。
根治的放射線療法後の再発例における救済的前立腺全摘除術では、初回手術よりも高い合併症率(尿失禁21-91%、勃起不全ほぼ全例)が報告されており、患者選択と十分なインフォームドコンセントが重要となります。
現代の前立腺がん全摘除術は、単なる腫瘍切除を超えて、患者の人生の質を長期的に維持することを目標とした包括的医療へと進化を続けています。医療従事者として、技術的側面だけでなく、患者の全人的ケアを提供することが求められています。