急性冠症候群の基本知識と治療
急性冠症候群(ACS: Acute Coronary Syndrome)は、冠動脈のプラーク(粥腫)破綻とそれに伴う血栓形成により、冠動脈内腔が急速に狭窄または閉塞し、心筋が虚血や壊死に陥る病態を指します。この疾患は、突然発症し生命を脅かす可能性がある重篤な循環器疾患であり、迅速な診断と適切な治療が求められます。
急性冠症候群は、心電図所見と心筋逸脱酵素の上昇の有無により、ST上昇型心筋梗塞(STEMI)、非ST上昇型心筋梗塞(NSTEMI)、不安定狭心症(UAP)の3つに分類されます。これらは病態生理学的には連続したスペクトラムを形成しており、いずれも冠動脈の血流が急激に減少することで発症します。
胸痛で救急搬送される患者の約30~40%が急性冠症候群を発症しているという報告があり、日本における循環器疾患の中でも重要な位置を占めています。特に高齢化社会の進展に伴い、今後さらに患者数が増加することが予想されています。
急性冠症候群の症状と胸痛の特徴
急性冠症候群の最も典型的な症状は胸痛です。この胸痛は、一般的な筋肉痛や肋間神経痛とは異なる特徴を持っています。患者は多くの場合、前胸部の重苦しさ、圧迫感、絞扼感(締め付けられる感じ)、息がつまる感じ、焼け付くような感覚などと表現します。
特徴的な胸痛の性質。
- 胸骨裏(胸の中心部)に感じる圧迫感や重苦しさ
- 15分以上持続する症状
- 安静にしても改善しない
- 冷や汗を伴うことが多い
- 放散痛(痛みが顎、頸部、肩、腕、背部などに広がる)
注目すべき点として、急性冠症候群の症状は必ずしも典型的な胸痛だけではありません。特に高齢者や糖尿病患者では、以下のような非典型的な症状を呈することがあります。
これらの非典型的症状は見逃されやすく、診断の遅れにつながることがあるため注意が必要です。特に高齢者が嘔気を訴えた場合は、急性冠症候群の可能性を考慮して心電図検査を行うことが推奨されています。
また、不安定狭心症の患者では、症状のパターンが変化することが多く、以前は感じなかった安静時や軽い運動後に症状が出現するようになったり、症状がより頻繁に、より重度になったりすることがあります。心筋梗塞を発症した患者の約3分の2は、発症の数日から数週間前に不安定狭心症、息切れ、または疲労感を経験していたという報告もあります。
急性冠症候群の診断と心電図変化
急性冠症候群の診断は、主に以下の3つのポイントに基づいて行われます。
- 臨床症状
- 心電図所見
- 心筋逸脱酵素の測定
心電図検査は、急性冠症候群の診断において最も迅速かつ重要な検査の一つです。特にST上昇型心筋梗塞(STEMI)では、特徴的なST部分の上昇が見られます。一方、非ST上昇型心筋梗塞(NSTEMI)や不安定狭心症では、ST部分の低下やT波の陰転化などの変化が見られることがあります。
心電図変化の特徴。
- STEMI:2つ以上の隣接する誘導でのST上昇(男性では0.2mV以上、女性ではV2-V3誘導で0.15mV以上、その他の誘導では0.1mV以上)
- NSTEMI/UAP:ST低下(0.5mm以上)、T波の陰転化、または特異的変化がない場合もある
心筋逸脱酵素の測定も重要な診断要素です。現在は主にトロポニン(高感度トロポニンT、I)が使用されています。トロポニンは心筋細胞に特異的に存在するタンパク質で、心筋障害が起きるとわずかな量でも血中に検出されるため、高い感度と特異度を持っています。
発症から6時間以内でトロポニン上昇がない場合は、1~3時間後にトロポニンの再検を行うことが推奨されています。以前はCK-MB(クレアチンキナーゼMB分画)も測定されていましたが、現在の国際的なガイドラインではトロポニン単独での評価が推奨されています。
急性冠症候群の診断精度を高めるために、心エコー検査や冠動脈CT検査などの画像診断も補助的に用いられます。特に心エコー検査は、心筋の壁運動異常を評価することで、虚血領域の特定に役立ちます。
急性冠症候群のリスク評価と治療戦略
急性冠症候群の治療戦略は、心電図所見によってST上昇型(STEMI)と非ST上昇型(NSTEMI/UAP)の2つに大別されます。
【ST上昇型急性冠症候群(STEMI)の治療】
STEMIでは、冠動脈の完全閉塞により心筋が急速に壊死していくため、できるだけ早く再灌流を得ることが治療の主眼となります。再灌流療法には主に以下の2つがあります。
- 経皮的冠動脈インターベンション(PCI):カテーテルを用いて冠動脈の閉塞部位を直接開通させる方法
- 血栓溶解療法:血栓を溶かす薬剤を静脈内投与する方法
現在の標準治療は、可能な限り早期のPCIです。発症から治療開始までの時間(Door-to-Balloon time)が短いほど予後が良好であり、理想的には90分以内にPCIを開始することが推奨されています。PCIが迅速に行えない場合は、血栓溶解療法が考慮されます。
【非ST上昇型急性冠症候群(NSTEMI/UAP)の治療】
NSTEMI/UAPの治療戦略は、短期的なリスク評価によって異なります。リスク評価は以下の要素に基づいて行われます。
リスク評価に基づいて、以下のように治療方針が決定されます。
リスク | 特徴 | 推奨される治療 |
---|---|---|
非常に高リスク | 心不全、血行動態不安定、持続する胸痛、持続するST低下、致死的不整脈 | 緊急カテーテル検査(2時間以内) |
高リスク | TIMI 3点以上、GRACE 140点以上、トロポニン陽性 | 24時間以内のカテーテル検査 |
中リスク | 糖尿病、慢性腎臓病、TIMI 2点、GRACE 109-139点 | 3日以内のカテーテル検査または長期リスク評価 |
低リスク | 24時間症状なし、心電図変化なし、トロポニン陰性、TIMI 0-1点 | 長期リスク評価 |
近年の研究では、高リスク例に対する早期侵襲的治療(早期のカテーテル検査と必要に応じたPCI)の有効性が示されており、適応が拡大されつつあります。
急性冠症候群の初期治療と薬物療法
急性冠症候群が疑われる患者に対しては、以下の初期治療が行われます。
- 酸素投与:酸素飽和度が90%未満の場合に行います。不必要な酸素投与は避けるべきとされています。
- 抗血小板薬。
- 硝酸薬:ニトログリセリン(ニトロペン)0.3-0.6mgを舌下投与、または口腔内スプレーを使用
ただし、硝酸薬投与前には以下の項目をチェックする必要があります。
- 収縮期血圧90mmHg未満の低血圧では投与を避ける
- 心電図でⅡ、Ⅲ、aVFのST上昇がある場合(右室梗塞の可能性)は禁忌
- PDE阻害薬(勃起不全治療薬など)との併用は禁忌
- 肥大型心筋症や重度の大動脈弁狭窄症では禁忌
- 鎮痛薬:モルヒネ2-4mgを静注し、効果不十分の場合は5-15分ごとに2-8mgを追加
- 抗凝固薬:未分画ヘパリンやエノキサパリンなどが使用されます
これらの初期治療に加えて、β遮断薬やスタチンなども早期から導入されることがあります。特にβ遮断薬は、心筋酸素需要を減少させ、不整脈のリスクを低減するため、禁忌がなければ早期から投与が推奨されています。
急性冠症候群の予防と生活習慣の改善
急性冠症候群の発症リスクを低減するためには、以下のような予防策が重要です。
- 危険因子の管理
- 生活習慣の改善
- 禁煙:喫煙は冠動脈疾患の最大のリスク因子の一つ
- 食事療法:地中海食やDASH食などの心臓に優しい食事パターンの採用
- 運動習慣:週に150分以上の中等度の有酸素運動
- ストレス管理:慢性的なストレスは冠動脈疾患のリスクを高める
- 二次予防薬の継続
急性冠症候群の既往がある患者では、以下の薬剤の長期継続が推奨されています。
急性冠症候群の予防において、定期的な健康診断も重要です。特に40歳以上の方や、冠動脈疾患の家族歴がある方は、定期的な心臓検診を受けることをお勧めします。
また、急性冠症候群の前兆を見逃さないことも重要です。不安定狭心症の症状(安静時の胸痛、以前より強くなった胸痛、より頻繁に起こる胸痛など)が現れた場合は、早めに医療機関を受診することが推奨されます。
急性冠症候群は時間との戦いです。胸痛などの症状が現れた場合は、自己判断せずに速やかに救急車を呼ぶことが最も重要です。発症から治療開始までの時間が短いほど、心筋のダメージを最小限に抑え、良好な予後が期待できます。
急性冠症候群と心臓リハビリテーションの重要性
急性冠症候群の治療は、急性期の救命処置だけでなく、その後の回復期から維持期にかけての包括的な心臓リハビリテーションが非常に重要です。心臓リハビリテーションは、単なる運動療法ではなく、以下のような多面的なアプローチを含む総合的なプログラムです。
- 運動療法
- 個々の患者の心機能や全身状態に合わせた適切な運動処方
- 有酸素運動とレジスタンストレーニングの組み合わせ
- 段階的な運動強度の増加
- 患者教育
- 疾患に関する正しい知識の提供
- 服薬アドヘアランスの向上
- 危険因子の自己管理方法
- 心理的サポート
- うつや不安への対処
- ストレス管理技術の習得
- 社会復帰に向けた心理的準備
- **栄養