帰脾湯と加味帰脾湯の違い
医療現場において、メンタルヘルス不調や不眠、あるいは高齢者の認知症周辺症状(BPSD)に対して漢方薬が選択される機会が増えています。その中でも頻用される「帰脾湯(きひとう)」と「加味帰脾湯(かみきひとう)」ですが、名称が似ているため、その明確な使い分けの基準について再確認したいという声も少なくありません。両者の違いは、単に生薬が追加されているかどうかという点にとどまらず、背景にある病態生理である「虚熱(きょねつ)」の有無や、期待される精神薬理学的な作用機序において明確な差異が存在します。本稿では、構成生薬の比較から最新の研究知見までを深掘りし、臨床での実践的な使い分けについて解説します。
[帰脾湯と加味帰脾湯の違い] 構成生薬と薬理作用の比較
帰脾湯と加味帰脾湯の最も基本的かつ決定的な違いは、構成生薬にあります。まずはその構成を比較し、追加された生薬がどのような薬理学的な意味を持つのかを詳述します。
1. 構成生薬の差異
帰脾湯は通常、以下の12種類の生薬から構成されます(メーカーにより多少の出入りがあります)。
- 補気剤(気を補う): 人参(ニンジン)、白朮(ビャクジュツ)または蒼朮(ソウジュツ)、茯苓(ブクリョウ)、甘草(カンゾウ)
- 補血・安神剤(血を補い精神を安定させる): 酸棗仁(サンソウニン)、竜眼肉(リュウガンニク)、当帰(トウキ)、遠志(オンジ)
- その他(理気・補陽など): 黄耆(オウギ)、木香(モッコウ)、生姜(ショウキョウ)、大棗(タイソウ)
これに対し、加味帰脾湯は帰脾湯の処方をベースとして、以下の2つの生薬を加えた(加味した)全14種類の処方となります。
- 柴胡(サイコ)
- 山梔子(サンシシ)
2. 柴胡と山梔子がもたらす「ベクトル」の変化
帰脾湯の基本骨格は「心脾両虚(しんぴりょうきょ)」に対する補剤です。「脾(消化器系)」を立て直して気血を生み出し、それを「心(精神系)」に送ることで不安や不眠を解消するという、いわばエネルギーチャージの処方です。ベクトルとしては「上向き(アッパー系)」の作用が主体となります。
ここに「柴胡」と「山梔子」が加わることで、ベクトルに変化が生じます。
- 柴胡: 胸脇苦満を除き、気の巡りを改善する「疏肝(そかん)」作用を持ちます。ストレスによる気の滞りを解消します。
- 山梔子: 体内の余分な熱を冷ます「清熱(せいねつ)」作用を持ち、特に精神的な興奮や炎症を鎮めます。
つまり、加味帰脾湯は「エネルギーをチャージする(帰脾湯の作用)」と同時に、「過剰な興奮や熱をクールダウンさせる(柴胡・山梔子の作用)」という、アクセルとブレーキを同時に調整するような複雑な薬理作用を持つことになります。この「清熱」と「疏肝」の機能が付加されているかどうかが、臨床判断における最大の分岐点となります。
参考)帰脾湯(ツムラ帰脾湯、ジュンコウ帰脾湯)と加味帰脾湯(ツムラ…
参考リンク:PMDA 医療用医薬品情報検索(各添付文書を参照)
[帰脾湯と加味帰脾湯の違い] 虚熱とイライラに対する臨床適応
臨床において両者を使い分ける際、キーワードとなるのが「虚熱(きょねつ)」という概念です。これは実熱(高熱や激しい炎症)とは異なり、気血や陰液が不足することによって相対的に陽気が浮き上がり、生じる熱感のことを指します。
1. 帰脾湯が適応となる「純粋な虚証」
帰脾湯は、気血が不足して心身ともにエネルギー切れを起こしている状態に適しています。
患者像としては、静かに思い悩んで眠れないタイプや、疲れ果てて気力が出ないタイプが該当します。ここで重要なのは、イライラや攻撃性、顔面紅潮といった「熱」のサインが見られないことです。
2. 加味帰脾湯が適応となる「虚証+熱証」
一方、加味帰脾湯は、ベースに気血両虚がありながら、ストレスや慢性的な消耗によって「熱」が生じている状態に適応します。この熱は、柴胡と山梔子がターゲットとするものです。
- 精神症状: 帰脾湯の症状に加え、イライラする、焦燥感がある、怒りっぽい
- 身体症状: のぼせ、ほてり(ホットフラッシュ)、寝汗、口渇
- 熱の有無: 「虚熱」を認める
更年期障害の患者などで、体力的には低下している(虚証)にもかかわらず、カッと熱くなったりイライラしたりするケースは、まさに加味帰脾湯の独壇場です。帰脾湯単独では、この「熱」を冷ます力が不足しており、逆に補気作用によって熱感を助長してしまうリスクさえあります。したがって、「わずかでもイライラやのぼせがあれば加味帰脾湯を選択する」というのが、臨床での簡便かつ安全な鑑別ポイントとなります。
参考)【漢方】加味帰脾湯の効果はどのくらいで出る?飲み方や副作用を…
3. 身体所見での鑑別
- 腹候: 両者ともに腹力は軟弱ですが、加味帰脾湯では肋骨弓下に軽度の抵抗や圧痛(胸脇苦満)を認めることがあります(柴胡の所見)。
- 舌候: 帰脾湯は淡白舌(血色がない)が主ですが、加味帰脾湯では舌尖や舌縁がやや赤い(熱の所見)場合があります。
[帰脾湯と加味帰脾湯の違い] 消化器症状と不眠へのアプローチ
漢方医学における「脾」は、現代医学の脾臓とは異なり、胃腸を含めた消化吸収機能全体、さらには代謝や免疫機能までを包括する概念です。「帰脾」という名称は、「脾(消化機能)への血の巡りを回復させる」「脾の働きを本来の状態に帰す」という意味が込められています。
1. 脳腸相関(Gut-Brain Axis)へのアプローチ
帰脾湯・加味帰脾湯ともに、消化器症状と精神症状がリンクしている病態に強みを発揮します。これは現代医学で言う「脳腸相関」へのアプローチそのものです。
- 脾虚(消化機能低下): 食欲不振、下痢傾向、食後の眠気
- 心虚(精神機能低下): 不眠、不安、夢が多い
「悩み事があると食欲がなくなる」「胃腸の調子が悪いと眠りが浅くなる」といった患者に対し、睡眠薬(ベンゾジアゼピン系など)のみを処方しても、根本的な解決に至らないことがあります。これは、背景にある「脾虚」が改善されていないため、神経伝達物質の原料となるアミノ酸などの吸収効率が上がらず、結果として「心」が養われないためです。
帰脾湯類は、まず消化器機能を立て直し(人参、白朮、茯苓)、栄養状態を改善することで、二次的に精神安定(酸棗仁、竜眼肉)を図るという合理的なシステムを持っています。
2. 不眠のタイプによる使い分け
不眠症治療において、両者の使い分けは以下のようになります。
- 帰脾湯: 入眠困難よりも、中途覚醒や熟眠障害が目立つタイプ。夢を多く見る(多夢)。寝汗やほてりはない。
- 加味帰脾湯: 寝つきが悪い(入眠困難)タイプに加え、寝汗をかく、暑くて目が覚める、考え事をしてイライラして眠れないタイプ。
特に加味帰脾湯に含まれる山梔子は、サンシシ中のゲニポシドが抗炎症・鎮静作用を示すため、脳の興奮による入眠障害に対して、帰脾湯よりも一歩踏み込んだ効果が期待できます。ただし、山梔子の長期投与(通常5年以上など)は「腸間膜静脈硬化症」のリスクとなることが知られているため、消化器症状のモニタリング、特に腹痛や下痢の発現には注意が必要です。この点は、漫然と長期投与が可能と思われがちな帰脾湯との重要な違いです。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC9206260/
[帰脾湯と加味帰脾湯の違い] 認知症周辺症状(BPSD)への応用
近年、加味帰脾湯の注目すべき適応として、認知症の周辺症状(BPSD: Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia)に対する効果が報告されています。これに関しては、帰脾湯よりも加味帰脾湯の方が、適応範囲が広いと考えられます。
1. BPSDに対する「中庸」の作用
BPSDは、暴言・暴力・興奮などの「陽性症状」と、無気力・抑うつなどの「陰性症状」に大別されます。
- 抗精神病薬(リスパリドン等): 陽性症状は抑えるが、鎮静がかかりすぎて陰性症状(無気力)や錐体外路症状を悪化させるリスクがある。
- 一般的な補剤(補中益気湯等): 陰性症状には良いが、陽性症状(興奮)を助長する可能性がある。
加味帰脾湯は、前述の通り「補気・補血(賦活作用)」と「清熱・疏肝(鎮静作用)」を併せ持つため、陽性症状と陰性症状が混在するBPSDに対して、バランスよく作用することが期待できます。
実際に行われた臨床研究(観察者盲検ランダム化比較試験など)において、アルツハイマー型認知症患者に対し加味帰脾湯を投与した群では、NPI(Neuropsychiatric Inventory)スコア、特に「不安」「抑うつ」「焦燥(イライラ)」の項目において有意な改善が認められています。
参考)加味帰脾湯の認知症患者における行動・心理症状及び感情表現に対…
2. 抑肝散との違い
認知症のイライラに対しては「抑肝散(ヨクカンサン)」が第一選択となることが多いですが、抑肝散は「実証」寄りの処方であり、消化器が弱っている高齢者(虚証)に使用すると、胃もたれや食欲不振を来すことがあります。
加味帰脾湯は、抑肝散が合わないような「食欲がなく、体力も低下しているが、イライラして徘徊する」といった虚弱高齢者のBPSDに対して、非常に有用な選択肢となります。これは「脾」を補う生薬が含まれている加味帰脾湯ならではの強みです。
参考)https://www.philkampo.com/pdf/phil37/phil37-07.pdf
参考リンク:認知症の行動・心理症状に対する漢方薬の有用性(日本老年医学会雑誌)
(※認知症BPSDへの漢方治療に関する全般的なエビデンスがまとめられています)
[帰脾湯と加味帰脾湯の違い] オキシトシン分泌と脳腸相関の視点
最後に、検索上位の記事にはあまり見られない、最新の基礎研究に基づく独自視点として「オキシトシン」との関連について解説します。これは加味帰脾湯がなぜ「不安」や「社会的な引きこもり」に効くのかを、分子レベルで説明する鍵となります。
1. 加味帰脾湯とオキシトシン分泌
オキシトシンは「愛情ホルモン」や「抱擁ホルモン」とも呼ばれ、抗ストレス作用、抗不安作用、社会親和性の向上(人との関わりを求める気持ち)に関与しています。
近年のラットを用いた基礎研究において、加味帰脾湯の投与が視床下部室傍核のオキシトシンニューロンを活性化させ、オキシトシンの分泌を促進することが明らかになりました。興味深いことに、この作用は構成生薬単体ではなく、処方全体としての相互作用、あるいは特定の組み合わせ(当帰・大棗・生姜など)によって発現する可能性が示唆されていますが、研究によっては加味帰脾湯全体としての効果が強調されています。
2. 臨床的な意義:引きこもりや対人不安への応用
帰脾湯と加味帰脾湯の使い分けにおいて、このオキシトシン分泌促進作用は「対人関係に伴うストレス」への適応を示唆します。
- 慢性ストレスによる社会的忌避: ストレスで人に会いたくない、引きこもりがちになる。
- 愛着形成の不全: 不安が強く、他者との繋がりを恐れる。
加味帰脾湯は、オキシトシン分泌を介して、こうした「社会的な繋がり」に対する恐怖心やストレスを緩和する可能性があります。帰脾湯にも同様の生薬が含まれていますが、ストレス耐性を高める柴胡との相乗効果により、加味帰脾湯の方がより現代的な「対人ストレス」「社会不安障害」に近い病態に対して、生物学的な裏付けを持って推奨できる可能性があります。
3. ストレス性過食・拒食との関連
オキシトシンは摂食行動の調節にも関与しています。また、帰脾湯類はグレリン(食欲増進ホルモン)のシグナル伝達に関与する可能性(六君子湯のデータからの類推も含め)も研究されています。
ストレスで食べられなくなる(胃腸機能低下=脾虚)と、ストレスで過食に走る(ドカ食い=胃熱・肝火)が混在するような複雑な摂食障害の周辺症状に対し、消化器を整えつつ中枢性の抗ストレス作用(オキシトシン介在)を発揮する加味帰脾湯は、心身医学的なアプローチとして非常に理にかなった処方と言えます。
参考)https://onlinelibrary.wiley.com/doi/pdfdirect/10.1111/jne.13243
参考リンク:加味帰脾湯の抗ストレス作用とオキシトシン(日本薬理学雑誌)
(※加味帰脾湯がオキシトシンニューロンを活性化させるメカニズムについての詳細なレビュー論文です)
以上、帰脾湯と加味帰脾湯の違いについて、基本構成から最新のオキシトシン研究までを網羅し解説しました。臨床現場では、「貧血・不眠・胃腸虚弱」という基本セットに加え、「少しでもイライラやのぼせ、あるいは対人ストレスの要素があるか?」という視点を持つことで、加味帰脾湯への切り替えを検討し、より精度の高い漢方治療が可能になると考えられます。
