浸透圧調節と細胞
浸透圧調節における細胞の基本メカニズム
細胞の浸透圧調節は、生物が生命を維持するために必要不可欠な基礎的な生命現象です。細胞内には膜を透過できない蛋白質や核酸などの荷電巨大分子が存在しており、常に膠質浸透圧による負荷がかかっています。体液の浸透圧が正常値から10%程度変動しただけで生命にかかわる事態となるため、極めて厳密な制御が行われています。
細胞膜は半透膜としての性質を持ち、水分、無機塩、アミノ酸、単糖などの低分子物質は自由に通過できますが、タンパク質などの高分子物質は通過できません。浸透圧とは、半透膜を挟んで濃度の低いほうから高いほうへ向かって低分子物質が移動するためにかかる圧力のことです。この原理により、細胞外液と細胞内液の間で水分が移動し、細胞の体積が変化します。
参考)浸透圧って何?
細胞膜には膜タンパク質(チャネル、キャリアー、ポンプ)が存在し、これらの働きによって細胞内外の溶質濃度を積極的に調節しています。特にNa+/K+ポンプは、ナトリウムとカリウムの濃度勾配を作り出し、細胞の浸透圧調節において中心的な役割を果たしています。
浸透圧調節におけるナトリウムとカリウムの役割
ナトリウムは細胞外液成分として約55%が細胞外液中に存在し、体液浸透圧の調節および細胞外液量の維持に最も重要な働きをしている電解質です。血漿浸透圧の約90%はナトリウムの影響を受けています。ナトリウムは細胞膜を通過できないため、細胞外液の浸透圧を高めることで水分を細胞外に引き留める機能を果たします。
参考)輸液の基礎知識
一方、カリウムは細胞内液に多く含まれており、細胞内液の浸透圧やpHを調節しています。細胞が高浸透圧ストレスを受けた時、脱水により細胞質が収縮し細胞膜が細胞壁から離れる現象が起こりますが、この時細胞はカリウムイオンや有機物の濃度を増し浸透圧を上げて脱水を防ごうとします。
血漿浸透圧は「2×[Na+]+Glucose(mg/dL)/18+BUN(mg/dL)/2.8」という計算式で求められます。細胞外液と細胞内液の浸透圧は通常等張に保たれており、この平衡が崩れると細胞の収縮や膨張が起こります。
参考)https://jsn.or.jp/journal/document/50_2/076-083.pdf
細胞の体積調節とオスモライト
細胞には極端な細胞体積の変動を防ぐため、細胞内浸透圧を調節する機能が備わっています。人工的に細胞内外に浸透圧負荷を与え続けても、浸透圧性容積変化が一時的に強いられた後、元の正常容積へと復帰する能力を多くの細胞は有しています。この細胞容積調節能の喪失は細胞死をもたらします。
浸透圧調節のための浸透圧有効物質はオスモライトと呼ばれます。生物界全体を通して、オスモライトはK+の他では糖・多価アルコール類、アミノ酸類、メチルアンモニウム類等、数グループの低分子有機化合物に限られています。これらの物質は高濃度に存在しても細胞内の諸機能に対して深刻な影響を及ぼさない特性を持っています。
参考)https://www.jstage.jst.go.jp/article/hikakuseiriseika1990/14/1/14_1_3/_pdf/-char/ja
オスモライトには濃度安定性(広範囲の濃度域で機能する)、機能安定性(タンパク質の機能性を維持する)、構造安定性(タンパク質の分子構造を安定させる)という特性があります。細胞外の浸透圧が変化すると、浸透による水の移動で細胞体積が変わりますが、オスモライトによって細胞外部の浸透圧ストレスに対し細胞容積を保持する機能が発揮されます。
浸透圧センサーと細胞内シグナル伝達
細胞がどのようにして浸透圧を感知し、どのようにして適応反応を引き起こすのかは長年の研究課題でした。浸透圧調節には、細胞に存在するセンサが浸透圧という物理的な力を感知し、適切に応答することが不可欠です。もし力を感知するためのセンサがなければ、細胞は何の防御もできず破裂するという事態に陥ってしまいます。
参考)浸透圧ストレスに対する細胞応答の動的制御機構を解明|東京大学…
浸透圧刺激は、細胞容積変化を介した膜の張力変化としてMSチャネル(機械受容チャネル)や容積感受性チャネルなどに感知されると考えられています。MSチャネルは浸透圧以外にも伸展刺激や剪断応力などの物理的な刺激を感知します。多くのMSチャネルはカチオン(Ca2+)透過性チャネルであり、活性化に伴って細胞内へのCa2+流入を引き起こしてシグナル伝達を行います。
参考)https://www.jstage.jst.go.jp/article/membrane/36/6/36_272/_pdf/-char/ja
最近の研究では、細胞小器官の1つである小胞体に存在する機械受容チャネルが浸透圧センサとして働き、細胞の生存に必要な防御応答に関わっているという新しい仕組みが明らかになりました。プロテインキナーゼASK3は浸透圧ストレス応答において重要な役割を果たし、低浸透圧ストレスで速やかに活性化し、逆に高浸透圧ストレスでは不活性化することが見出されています。
参考)https://www.u-tokyo.ac.jp/content/400155655.pdf
浸透圧調節とミトコンドリア代謝の関係
細胞外の浸透圧変化に応じて、ミトコンドリアの酸素呼吸や代謝が変化することが明らかになっています。培養細胞を用いた実験では、高浸透圧ではミトコンドリアの酸素呼吸活性が下がり、低浸透圧では上がることがわかりました。この反応は非常に速く、スイッチのように働いて細胞が瞬時に代謝を変化させていました。
参考)物理的ストレスを受けたとき細胞内では何が起きているか ~拓か…
高浸透圧依存性アポトーシスの研究では、高浸透圧負荷によりチトクロームCがミトコンドリアから細胞質に漏出し、caspase-3活性化が起こりアポトーシスが誘導されることが示されています。単離ミトコンドリアからのチトクロームCの漏出はNaCl、KCl添加の場合においてのみ認められ、スクロース、グルコース添加では認められませんでした。このことから、ミトコンドリアからのチトクロームC漏出は高浸透圧による物理的な外膜の破壊ではなく、電解質濃度に特異的であることが示唆されています。
参考)KAKEN href=”https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-14571022/” target=”_blank”>https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-14571022/amp;mdash; 研究課題をさがす
細胞が高浸透圧条件にさらされると、細胞質ではKClなどの電解質濃度がはじめに上昇し、その後有機浸透圧物質に置換されます。高浸透圧負荷直後の電解質濃度の上昇がミトコンドリアからのチトクロームC漏出、アポトーシス誘導に重要な働きを持つと考えられています。
浸透圧調節ホルモンと体液量の制御
多細胞生物においては、ホルモンが腎臓などの器官に作用し、体液の浸透圧を精密に調節することで、細胞が最適な状態で機能できる環境を維持しています。バソプレシンは下垂体後葉ホルモンであり、視床下部の視索上核や室傍核の大細胞神経で産生され、血漿浸透圧の上昇と血管圧受容器からの刺激によって下垂体後葉より分泌されます。
参考)M-Review|第9回 バソプレシン分泌機構と薬物の関与
体内が高浸透圧状態になると、バソプレシン神経の存在する脳内領域(視索上核)が局所的に虚血・低酸素状態になり乳酸濃度が上昇します。この乳酸がバソプレシン神経に発現するASICチャネルを活性化し、バソプレシン神経が興奮することで、体内に分泌されるバソプレシンの濃度が増え、体内の水分の維持・確保が正常時に比べてより迅速に行われます。
参考)http://www.nips.ac.jp/contents/release/entry/2010/08/post-129.html
バソプレシン神経細胞には腎臓と同じタイプのバソプレシンを感じる仕組み(V2型バソプレシン受容体)があり、脳の中の体液が薄くなると周囲の脳へバソプレシンを通常よりも1.5倍以上多く分泌していることが発見されました。バソプレシンがこのセンサータンパク質に作用すると、脳の中の体液が薄くなって神経が膨らもうとしても、その大きさをすばやく完全に維持するように働いて神経細胞の破裂を防ぎます。
参考)利尿を抑えるホルモンhref=”https://www.nips.ac.jp/release/2011/01/post_146.html” target=”_blank”>https://www.nips.ac.jp/release/2011/01/post_146.htmlquot;バソプレシンhref=”https://www.nips.ac.jp/release/2011/01/post_146.html” target=”_blank”>https://www.nips.ac.jp/release/2011/01/post_146.htmlquot;の脳の中の新たな作用を発…
浸透圧調節における細胞の実際の応答
細胞が高張液(細胞の浸透圧よりも外液の浸透圧が大きい状態)に入れられた場合、野菜を塩漬けにした状態と同様に水分が抜けて細胞は小さくなっていきます。浸透圧は水を引き込む力ですので、細胞の浸透圧は高張液に入れる前に比べて大きくなります。
参考)浸透圧とは?生物の細胞の仕組みをわかりやすく解説|高校生向け…
逆に細胞が低張液(細胞の浸透圧が外液の浸透圧よりも大きい状態)に入れられた場合、野菜を水に漬けた状態に例えられ、水分を吸って細胞は大きくなります。浸透圧は低張液に入れる前に比べて小さくなります。
細胞容積調節能の喪失は細胞死をもたらします。ネクローシスは持続性の細胞膨張とそれによる細胞破裂によって特徴づけられ、アポトーシスは持続性細胞収縮とその後の細胞断片化(アポトーシス小体形成)によって特徴づけられます。浸透圧ショックまたは浸透圧ストレスは、細胞周囲の溶質濃度の急激な変化によって引き起こされる生理的機能不全です。
浸透圧調節異常と疾患の関係
浸透圧調節の異常は様々な疾患を引き起こします。浸透圧性脱髄症候群(ODS)は、低ナトリウム血症の急速な是正によって起こります。慢性的な低ナトリウム血症では、脳細胞が細胞内の浸透圧物質を細胞外へ排出する防御機構が働き、脳細胞内は低張に保たれて細胞容積の増大を防いでいます。この状態で急激に血清ナトリウム濃度を補正しようとすると、脳細胞から水が流出して細胞が萎縮しODSが生じます。
脳浮腫は脳梗塞や脳卒中などの病態が原因となり発症し、進行すると頭蓋内圧亢進が起こり最終的に脳ヘルニアを発症する危険性があります。細胞毒性浮腫は細胞内電解質濃度が上昇することが原因で晶質浸透圧が発生し水分が流入します。浸透圧を利用した治療では、マンニトールや高濃度食塩水など浸透圧の高い点滴を使い、脳細胞内の水分を外に出すための方法が取られます。
参考)脳浮腫発生機序に関連したNa-KATPase数理モデル
腎臓や神経細胞の機能においても機械受容チャネルによる浸透圧調節が重要であることが指摘されており、マクロファージやT細胞などの免疫細胞が浸透圧を利用して自らの役割を変化させている可能性も示唆されています。がんや感染症の患部にナトリウムが蓄積していることが明らかになり、免疫細胞が高ナトリウム環境を感知して代謝変化というスイッチをオンにして異物や異常な細胞を攻撃している可能性が考えられています。
参考)東京学芸大、従来とは異なる新たな細胞の浸透圧調節機構を発見
浸透圧調節研究の最新知見と臨床応用
酵母を用いた浸透圧ストレス応答の研究では、リン酸化反応によるSte50とOpy2との結合の増強あるいは減弱が、浸透圧ストレス由来の情報とグルコースや接合因子由来の情報とを統合していることが明らかになりました。環境にグルコースが存在すると、より多くのSte50がOpy2に結合し浸透圧に対する応答性が高くなります。天然に生育する酵母にとっての浸透圧ストレスは熟れた果実の糖分に起因するものであることが多く、グルコース増加は浸透圧上昇の先触れになります。
細胞容積調節におけるABCF2とα-アクチニン-4の分子間相互作用の役割も研究されており、浸透圧ストレス時の細胞の体積維持機構は古い研究分野にも関わらず、浸透圧ストレスの認識から体積制御のエフェクター分子へと至る細胞内シグナル伝達機構には不明な点が多く残されています。
参考)KAKEN href=”https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-19K16067/” target=”_blank”>https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-19K16067/amp;mdash; 研究課題をさがす
プロテインキナーゼASK3が体積制御を担うイオンチャネルVRACの活性を制御するという知見が得られており、低浸透圧ストレスによって膨張した細胞体積の回復機構ならびにアポトーシス誘導における細胞体積収縮機構の解明が進められています。これらの研究は、浸透圧調節の異常に関連する疾患の治療法開発につながる可能性があります。
浸透圧調節の基本的な概念と生物における役割について詳しく解説されています(Wikipedia)
酵母細胞をモデル生物とした浸透圧ストレス応答の精緻な制御機構の研究成果(東京大学医科学研究所)
浸透圧を軸にした疾患との関わりと細胞内の代謝変化についての最新研究(順天堂大学)