菌交代現象と偽膜性腸炎
菌交代現象によるクロストリジウム・ディフィシル感染の機序
菌交代現象は、抗菌薬投与により正常菌叢が破綻し、通常少数しか存在しない病原菌が異常増殖する現象です。健康な腸管では、大腸菌やバクテロイデスなどの多様な細菌が腸内の健康状態を保ち、病原菌の増殖を抑制しています。
参考)https://medicalnote.jp/diseases/%E5%81%BD%E8%86%9C%E6%80%A7%E8%85%B8%E7%82%8E
抗菌薬投与により腸内細菌バランスが崩れると、薬剤耐性を持つクロストリジウム・ディフィシル(現在はクロストリディオイデス・ディフィシル)が主要菌となり、大量の毒素を産生します。この菌は胃酸に強い芽胞を形成するため、口から腸まで容易に到達し、体外環境でも長期間生存可能です。
特に小腸上部では腸球菌や乳酸菌、小腸下部では大腸菌、大腸ではグラム陰性菌が増加することが知られています。このような菌叢の変化により、通常の競合的排除機能が失われ、病原菌の異常増殖を許す環境が形成されます。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC5725362/
偽膜性腸炎の病理学的特徴と毒素作用メカニズム
偽膜性腸炎は、大腸粘膜表面に直径数mm程度の白色調半球状膜(偽膜)の形成を特徴とする疾患です。この偽膜は、クロストリジウム・ディフィシルが産生するトキシンAとトキシンBによる腸管粘膜の凝固壊死により形成されます。
参考)偽膜性大腸炎
トキシンAとトキシンBは、細胞内でグリコシルトランスフェラーゼとして作用し、Rho、Rac、Cdc42などの小GTPase蛋白質をグルコシル化により不活化します。これらの蛋白質は細胞骨格の調節に重要で、不活化によりアクチン凝集と細胞の円形化が起こり、最終的に細胞死に至ります。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC1082799/
トキシンBはより広範な細胞に対する親和性を持ち、トキシンAは主に腸上皮細胞に作用します。両毒素は受容体を介したエンドサイトーシスにより細胞内に取り込まれ、酸性環境で活性化されて細胞質に移行します。
抗菌薬関連性下痢症としての臨床像と診断
抗菌薬関連性下痢症(AAD)の発症率は使用する抗菌薬により5-25%と幅があり、そのうち10-20%がクロストリジウム・ディフィシルによる偽膜性腸炎です。特にリスクが高いとされるのは、広域ペニシリンや第二・第三世代セファロスポリンです。
参考)Treatment and prevention of an…
臨床症状は軽度の下痢から生命に関わる出血性腸炎まで多様で、腹痛を伴う巨大結腸症(中毒性巨大結腸症)や下痢、重篤例では大腸穿孔や敗血症に進行することもあります。診断には便中のクロストリジウム・ディフィシル毒素検出が最も特異的で、便細胞毒性アッセイが推奨されています。
参考)Antibiotic-induced diarrhea an…
内視鏡検査では、S状結腸から直腸にかけて多発する黄白調の半球状隆起が観察され、時に小腸まで及ぶ偽膜性全腸炎の形を取ることもあります。重症例では白血球数15,000/μL以上、血清アルブミン3g/dL未満、血清クレアチニンの病前値からの1.5倍以上の上昇が特徴的です。
参考)Clostridioides difficile infec…
腸内細菌叢の破綻による免疫学的影響
腸内細菌叢の破綻は、単なる菌の置き換えにとどまらず、宿主の免疫システムに広範な影響を与えます。正常な腸内細菌は短鎖脂肪酸(SCFA)を産生し、腸管上皮のタイトジャンクション蛋白質の発現を促進して腸管バリア機能を強化します。
抗菌薬投与により腸内細菌の多様性が減少すると、分泌型免疫グロブリンA(sIgA)レベルの低下、カップ細胞の増加、タイトジャンクション結合性の低下が生じます。これらの変化は炎症性小体を活性化し、腸粘膜での免疫応答を誘発して腸管透過性を増加させます。
さらに、腸管バリア機能の障害により、腸内細菌や内毒素などの有害物質が血流に侵入し、全身性または局所性炎症反応を引き起こします。このような変化は、炎症性腸疾患、食物アレルギー、セリアック病、糖尿病などの様々な疾患の発症や悪化に関与するとされています。
治療戦略と予防対策における現代的アプローチ
偽膜性腸炎の治療は、原因抗菌薬の中止が基本で、軽症例では48時間の経過観察で約20%が自然寛解します。薬物治療としては、経口バンコマイシン(125mg、6時間毎)またはフィダキソマイシン(200mg、12時間毎)が第一選択薬となっています。
メトロニダゾール(400mg、8時間毎)は軽症例に使用されますが、重症例には推奨されません。フィダキソマイシンは再発抑制効果が高いため、メトロニダゾールで初回治療を行った再発例に特に有用です。治療反応は、48時間以上の固形便の持続または下痢の消失で評価されます。
予防策として、院内感染制御が極めて重要で、単独個室の使用、専用トイレの設置、医療従事者の手袋着用と手洗いの徹底が必要です。アルコール系手指消毒薬は芽胞に無効なため、石鹸と流水による手洗いが必須です。
参考)Clostridioides (formerly Clost…
最近の研究では、サッカロマイセス・ブラウディなどの生菌製剤(プロバイオティクス)が抗菌薬関連性下痢症の予防に有効であることが示されています。この非病原性酵母は、クロストリジウム・ディフィシルのコロニー形成単位と毒素B産生を有意に減少させる効果があります。