腫瘍免疫のメカニズム
腫瘍免疫における抗腫瘍免疫応答の成立過程
腫瘍免疫における抗腫瘍免疫応答は、「がん免疫サイクル」と呼ばれる7つのステップで成立します。まず、がん細胞が死滅すると、がん抗原が放出されます(ステップ1)。次に、樹状細胞などの抗原提示細胞がこれらのがん抗原を取り込み(ステップ2)、リンパ節へ移動してT細胞にがん抗原の情報を提示します(ステップ3)。この抗原提示により、がん抗原を認識できる細胞傷害性T細胞(キラーT細胞)が活性化され、増殖します(ステップ4)。活性化したT細胞は血流に乗って腫瘍組織へ浸潤し(ステップ5)、がん細胞を認識して(ステップ6)、最終的に傷害します(ステップ7)。
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このサイクルが正常に機能すれば、ステップ7で傷害されたがん細胞から新たながん抗原が放出され、再びステップ1からサイクルが回り続けることで、持続的な抗腫瘍免疫応答が維持されます。特に獲得免疫の主役である細胞傷害性T細胞が、抗腫瘍免疫応答において最も重要な役割を果たすことが明らかになっています。
このがん免疫サイクルの各ステップは相互に連携しており、一つのステップが阻害されると全体の免疫応答が弱まります。そのため、免疫療法では特定のステップを強化したり、阻害されているステップの障壁を取り除いたりすることで、抗腫瘍効果を高めることが目指されています。
腫瘍免疫における樹状細胞による抗原提示機構
樹状細胞は腫瘍免疫において「司令塔」の役割を担う重要な抗原提示細胞です。樹状細胞自体にはがんを殺傷する能力はほぼありませんが、その抗原提示力によってがん細胞の目印をT細胞に素早く伝えることができます。
自然免疫によって活性化された樹状細胞は、がん抗原を取り込んで自分の細胞表面に提示し、T細胞に差し出すことでがん抗原の情報を記憶させます。この抗原提示を受けたT細胞は、攻撃すべき細胞を明確に認識できるようになり、がん細胞を殺傷する能力を持つキラーT細胞へと変化します。
参考)樹状細胞とは?樹状細胞の種類や樹状細胞ワクチン療法、免疫療法…
樹状細胞はその機能によって、免疫応答を促進する方向と抑制する方向の両方に働くことができます。定常状態の樹状細胞は、免疫寛容反応を誘導したり維持したりすることで、過剰な免疫反応が起きるのを防ぐ役割も担っています。一方、腫瘍微小環境では抑制性の樹状細胞が存在し、抗腫瘍免疫応答を阻害することも報告されています。
参考)抑制性細胞の抗腫瘍免疫応答への影響|スマホで読める実験医学|…
また、樹状細胞はその同定された場所によって異なる名称で呼ばれます。表皮ではランゲルハンス細胞、リンパ節の副皮質では相互連結性嵌入細胞、輸入リンパ管内ではベール細胞、筋肉内では間質細胞として知られています。
腫瘍免疫におけるT細胞の活性化と細胞傷害メカニズム
T細胞、特にCD8陽性細胞傷害性T細胞は、腫瘍免疫において中心的な役割を果たす免疫細胞です。樹状細胞からがん抗原の提示を受けたナイーブT細胞は、活性化されてエフェクターT細胞へと分化します。この活性化過程では、T細胞受容体(TCR)を介した抗原認識と、共刺激分子を介したシグナル伝達の両方が必要です。
参考)Journal of Japanese Biochemica…
活性化したCD8陽性T細胞は、腫瘍組織へ浸潤し、がん細胞表面に提示されたがん抗原を認識します。認識後、T細胞はパーフォリンやグランザイムといった細胞傷害性物質を放出し、がん細胞を直接攻撃して死滅させます。また、Fasリガンドなどのシグナルによってがん細胞にアポトーシス(細胞死)を誘導することもできます。
しかし、腫瘍微小環境においてT細胞は「疲弊状態」に陥ることがあります。腫瘍細胞によってブドウ糖やその他の栄養素が枯渇する一方で、T細胞はオーバーワーク状態となり、過度に刺激される可能性があります。この疲弊したT細胞は、PD-1やCTLA-4などの免疫チェックポイント分子の発現が上昇し、機能が著しく低下します。
参考)疲弊した免疫細胞を再活性化させることで、がんの潜在的な治療タ…
最近の研究では、疲弊したT細胞を再活性化させる新たなアプローチも報告されています。例えば、インターロイキン-3(IL-3)などのサイトカインを補充することで、腫瘍微小環境でのT細胞機能を回復させ、強力な抗腫瘍効果が得られることがマウス実験で確認されています。
腫瘍免疫における免疫チェックポイント分子の作用
免疫チェックポイント分子は、T細胞の活性を制御する重要な調節機構です。代表的な免疫チェックポイント分子として、PD-1(Programmed cell Death-1)とCTLA-4(Cytotoxic T-Lymphocyte Antigen-4)が知られています。これらの分子は本来、自己免疫反応を防ぎ免疫の暴走を抑制する役割を持ちますが、がん細胞はこの機構を悪用して免疫から逃避しています。
PD-1とCTLA-4は、どちらもT細胞を抑制する免疫チェックポイント分子ですが、作用するメカニズムには明確な違いがあります。PD-1は主に腫瘍組織内で機能し、がん細胞表面に直接発現するPD-L1やPD-L2と結合することで、T細胞の攻撃にブレーキをかけます。一方、CTLA-4は主にリンパ節などでT細胞の初期活性化段階に作用し、抗原提示細胞上のB7分子(CD80/CD86)と結合してT細胞の活性化を抑制します。
参考)【UPDATE】免疫チェックポイント阻害薬、抗PD-1/PD…
免疫チェックポイント阻害薬は、これらの分子の結合を阻害することで、がん細胞が免疫にかけているブレーキを解除します。これにより、疲弊状態にあったT細胞が再活性化され、がん細胞への攻撃能力を回復します。この治療法は「腫瘍特異的免疫応答の再活性化」として説明されており、がん免疫編集理論における「逃避相」を「平衡相」や「排除相」へ逆戻しさせる効果があると考えられています。
参考)がんとの闘いを司令官として考えてみる|腫瘍免疫の基礎知識(垣…
近年の研究では、B7-H3、B7-H4、B7-H5といった他の免疫チェックポイント分子も同定されており、これらもT細胞の抑制に関与していることが明らかになっています。特にB7-H3やB7-H4のがん細胞での高発現は、患者の予後不良と相関することが報告されています。
参考)がん免疫療法:基礎研究から臨床応用にむけて : ライフサイエ…
参考情報:免疫チェックポイント阻害薬の基礎と作用機序について詳しい解説
日本臨床薬理学会「腫瘍免疫の基礎と免疫チェックポイント阻害薬の作用機序」
腫瘍免疫における抑制性細胞による免疫逃避機構
腫瘍微小環境には、抗腫瘍免疫応答を積極的に抑制する複数の免疫抑制性細胞が存在します。代表的なものとして、制御性T細胞(Treg)、骨髄由来免疫抑制細胞(MDSC)、腫瘍関連マクロファージ(TAM)、抑制性樹状細胞などが挙げられます。
制御性T細胞(Treg)は、通常は自己免疫反応を防ぎ免疫の恒常性を維持する重要な細胞ですが、腫瘍組織に集積すると抗腫瘍免疫応答を強力に抑制します。TregはCD25とFoxp3を発現する特殊なT細胞で、CTLA-4を恒常的に発現しており、エフェクターT細胞の活性化を阻害します。
骨髄由来免疫抑制細胞(MDSC)は、骨髄中に存在する未熟な骨髄細胞の集団で、Tregと双璧をなす強力な免疫抑制細胞です。正常な状態では、MDSCはマクロファージ、樹状細胞、顆粒球などに分化していきますが、がんになるとこの分化が阻害され、体内にMDSCが増加します。がん細胞が産生するサイトカインやケモカインによって誘導されたMDSCは、脾臓、骨髄、末梢血、がん周囲に現れ、「がんの目に見えない壁」として機能します。
腫瘍関連マクロファージ(TAM)は、腫瘍組織に浸潤したマクロファージで、本来は異物を排除する役割を持ちますが、腫瘍微小環境ではM2型と呼ばれる免疫抑制型に極性化し、がんの増殖、血管新生、転移を促進します。
これらの抑制性細胞の存在により、樹状細胞による抗原認識、腫瘍特異的T細胞、NK細胞、NKT細胞といった腫瘍免疫に重要な細胞の活性化が阻害され、生体の抗腫瘍免疫応答が大きく低下します。そのため、これらの免疫抑制細胞を標的とした治療法の開発が、がん免疫療法の重要な研究テーマとなっています。
参考情報:骨髄由来免疫抑制細胞の詳細なメカニズムについて
銀座並木通りクリニック「骨髄由来免疫抑制細胞(MDSC)の役割」
腫瘍免疫におけるがん免疫編集理論と治療への応用
腫瘍免疫の理解を深める上で重要な概念が「がん免疫編集(Cancer Immunoediting)」理論です。この理論は、発生してくるがんと免疫との間に3つのフェーズが存在することを示しています。第一の「排除相」では、がん細胞が非自己として認識され、免疫系によって効果的に排除されます。第二の「平衡相」では、がんは完全に排除されていないものの急速に成長もしない状態が維持されます。第三の「逃避相」では、平衡相の間に蓄積した様々な異常により、がんが免疫系から逃避し、臨床的な「がん」となります。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC4085883/
この理論によれば、多くの臨床的ながんは逃避相に到達しており、免疫監視機構を突破したものだけが検出可能なサイズまで成長すると考えられています。がんが免疫から逃避する具体的なメカニズムとしては、がん抗原の発現低下、MHC分子の欠損、免疫チェックポイント分子の発現上昇、免疫抑制性細胞の動員などが挙げられます。
参考)https://www.fret.lif.kyoto-u.ac.jp/rab/konishi_2021.html
現在のがん免疫療法は、この逃避機構を解除し、がんを平衡相や排除相へ逆戻しさせることを目指しています。免疫チェックポイント阻害薬は、この理論における逃避メカニズムの一端を解除する治療と位置づけられます。また、がんワクチン療法は排除相を強化し、養子免疫細胞療法はより直接的にがん細胞を攻撃するT細胞を増やすことで、がん免疫サイクルを活性化させる戦略です。
興味深いことに、放射線治療ががん免疫応答を誘導するメカニズムも明らかになってきています。1細胞解析や空間的トランスクリプトーム解析を用いた研究により、放射線治療中には治療に重要ながん免疫応答を促進する遺伝子や細胞が活性化される一方で、抑制する細胞や遺伝子も活性化されることが示されています。このような知見は、放射線治療と免疫療法を組み合わせた新たな治療戦略の開発につながることが期待されています。
参考)放射線治療が誘導するがん免疫応答メカニズムを解明—1細胞解析…
さらに、がん細胞と免疫細胞の代謝的相互作用も重要な研究テーマとなっています。がん細胞の代謝リプログラミングは、腫瘍微小環境における免疫細胞の代謝を変化させ、抗腫瘍免疫を抑制することが明らかになっています。グルコース、アミノ酸、脂質の代謝経路を標的とした治療アプローチも検討されています。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC10475430/
📊 腫瘍免疫応答の主要細胞とその役割
細胞の種類 | 主な役割 | 腫瘍免疫への影響 |
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細胞傷害性T細胞(CD8陽性) | がん細胞を直接攻撃・殺傷 | 抗腫瘍効果(プラス) |
ヘルパーT細胞(CD4陽性) | 免疫応答の調整・増強 | 抗腫瘍効果(プラス)
参考)がん撃退の新戦略第2弾: ヘルパーT細胞を活性化する改変エク… |
樹状細胞 | がん抗原をT細胞に提示 | 抗腫瘍効果(プラス) |
NK細胞 | 自然免疫による直接攻撃 | 抗腫瘍効果(プラス) |
制御性T細胞(Treg) | 免疫応答の抑制 | 腫瘍促進(マイナス) |
骨髄由来免疫抑制細胞(MDSC) | 強力な免疫抑制 | 腫瘍促進(マイナス) |
腫瘍関連マクロファージ(TAM) | 血管新生・転移促進 | 腫瘍促進(マイナス) |
このように、腫瘍免疫のメカニズムは非常に複雑で、促進因子と抑制因子のバランスによって決定されます。今後の研究によって、これらの相互作用をより深く理解し、効果的な治療戦略を開発することが期待されています。
参考情報:がん免疫療法の最新の基礎研究と臨床応用について