重粒子線治療装置と主要メーカーの特徴
重粒子線治療は、炭素イオンを光の速さの70%まで加速して生成された重粒子線を用いて、体外からがん病巣に照射する先進的な放射線治療法です。この治療法の特徴は、がん細胞に対する高い殺傷能力と、周囲の正常組織へのダメージを最小限に抑える優れた線量集中性にあります。X線や陽子線などの従来の放射線治療と比較して、照射回数が大幅に少なく済み、治療期間の短縮が可能となるため、患者のQOL(生活の質)維持の観点からも優れた治療法として注目されています。
重粒子線治療装置は、イオン源、線形加速器、シンクロトロン、高エネルギービーム輸送系、照射装置などの複雑なシステムから構成されています。炭素イオンを加速するためには、まずイオン源で炭素原子から電子を除去し、線形加速器で光速の約10分の1程度まで加速します。その後、シンクロトロンと呼ばれる円形の加速器内を数十万回周回させることで、光速の約70%(800MeV/核子)まで加速し、治療に用いられます。
重粒子線治療装置の主要メーカーと技術開発の歴史
重粒子線治療装置の開発は、日本が世界をリードしてきた分野です。1994年に放射線医学総合研究所(現・量子科学技術研究開発機構QST)に設置された世界初の重粒子線治療専用装置「HIMAC」は、国の「第1次対がん10カ年総合戦略」の一環として建設され、これまでに12,000人以上のがん患者の治療に貢献してきました。
日本の主要メーカーとしては、東芝エネルギーシステムズ、日立ハイテク、住友重機械工業などが挙げられます。各社は独自の技術開発を進め、装置の小型化や高性能化に取り組んでいます。
東芝エネルギーシステムズは、2016年にQST病院に日本初の超伝導技術を用いた重粒子線がん治療用の回転ガントリーを納入しました。また、山形大学医学部附属病院(東日本重粒子センター)には、さらに小型化された世界最小サイズの回転ガントリーを導入しています。
日立ハイテクは、陽子線治療装置で培った技術を活かし、重粒子線治療システムの開発を進めています。同社は、陽子線、重粒子線、および複数のイオン種を照射できるハイブリッドシステムの提供を目指しています。
住友重機械工業は、量子科学技術研究開発機構(QST)と共同で、次世代重粒子線がん治療装置「量子メス」のマルチイオン源の開発に成功しました。このイオン源は、ヘリウムからネオンまでの複数の多価イオンを出力し、イオン種を1分以内で高速に切り替えることができる革新的な技術です。
重粒子線治療装置の回転ガントリー技術と患者QOL向上
重粒子線治療装置における重要な技術革新の一つが「回転ガントリー」です。回転ガントリーとは、患者が横たわり治療を受ける筒状・ドーナツ状の部分を指し、360度回転することでどの角度からでも精密にビーム照射が可能となる装置です。
従来の固定ポート式の装置では、照射角度が限られていたため、患者の体位を調整する必要がありました。これに対し回転ガントリーでは、患者を傾けるなどの不自然な体位を必要とせず、楽な姿勢で安全に治療を受けることができます。また、脊髄や神経などの重要器官を避けて細かく角度を調節し、多方向から照射することで、がん病巣への線量をさらに集中させることが可能となり、治療効果の向上と副作用の低減が期待できます。
東芝エネルギーシステムズが開発した回転ガントリーは、超伝導電磁石技術を採用することで、従来の装置と比較して大幅な小型化・軽量化を実現しています。重粒子は陽子と比べて質量が大きく、ビームラインの偏向電磁石の曲率が大きくなるため、従来は600トンもの巨大な機器となっていました。超伝導技術の採用により、この課題を克服し、より多くの医療機関への導入を可能にしています。
量子科学技術研究開発機構(QST)病院の「治療室G」では、楽な姿勢で治療が受けられるように、世界初の超伝導マグネットを採用した回転ガントリーを導入しています。この技術革新により、治療可能な部位の拡大と患者負担の軽減が実現しています。
重粒子線治療装置のマルチイオン技術と治療効果の革新
重粒子線治療の次なる技術革新として注目されているのが「マルチイオン技術」です。従来の重粒子線治療では炭素イオンのみを用いていましたが、最新の研究開発では、複数の種類のイオンを組み合わせて照射することで、より効果的な治療を目指しています。
量子科学技術研究開発機構(QST)が開発を進める次世代重粒子線がん治療装置「量子メス」では、炭素、酸素、ヘリウムを組み合わせたマルチイオン照射を導入する計画です。悪性度の高いがん領域には、炭素よりも重い酸素やネオンを照射することで放射線抵抗性の難治がんの治療成績をより向上させ、正常な臓器に近いがん領域には炭素よりも軽いヘリウムを照射することで副作用を軽減するという戦略です。
QSTと住友重機械工業は、量子メスの入射器部分となるマルチイオン源を開発し、世界で初めて成功しました。このイオン源は、ヘリウムからネオンまでの複数の多価イオンを出力するとともに、イオン種を1分以内で高速に切り替えることができます。また、普及を見据えて病院に設置できるように、永久磁石と半導体マイクロ波増幅器を採用することで、従来型に比べて1/5にまで大幅に小型化し、かつメンテナンスフリー化を実現しています。
2024年3月15日には、世界初となるマルチイオンを用いた重粒子線がん治療が開始され、骨軟部腫瘍のような難治性がんの治療効果の向上が期待されています。この技術革新により、照射回数の減少が可能となり、患者は働きながらの治療が可能になるなど、高いQOLを維持しながら治療を受けることができるようになります。
重粒子線治療装置の小型化技術と普及への取り組み
重粒子線治療の普及における最大の課題は、装置の大型化と高コストです。従来の重粒子線治療施設は、サッカー場サイズの土地と莫大な建設費用を必要としていました。この課題を解決するため、各メーカーは装置の小型化技術の開発に取り組んでいます。
群馬大学重粒子線医学センターに導入された「普及型重粒子線治療装置」は、重粒子線のエネルギーを病院の規模に合わせて最適化し、各機器を最新の技術により改良した結果、面積を先行施設(HIMAC)の約3分の1以下に、建設・運転コストも大幅に削減することに成功しました。この施設は縦横約45m×65m、高さ約20mの建築物で、直径約20mのシンクロトロン加速器と3治療室を備えています。
さらに革新的な小型化を目指す「量子メス」では、QSTが持つ高強度レーザー技術と超伝導技術の応用により、入射器とシンクロトロンや回転ガントリーの小型化を進め、既存の病院建物内に設置できる20m×10mのサイズを実現する計画です。これにより、装置のサイズと費用を大幅に抑え、より多くの病院での導入が可能になると期待されています。
東芝エネルギーシステムズは、超伝導電磁石技術を活用した小型回転ガントリーの開発に成功し、国内外での導入実績を積み重ねています。韓国では、延世大学校医療院、ソウル大学病院に続き、2025年4月にはアサンメディカルセンターから重粒子線治療装置を受注しました。この装置は、固定ポート式の治療室1室と回転ガントリー式の治療室2室で構成され、高速スキャニング照射技術と超伝導電磁石を採用した小型の回転ガントリーを備えています。
重粒子線治療装置のスキャニング照射技術と被ばく低減の進化
重粒子線治療装置の照射技術も進化を続けています。従来のブロードビーム照射法から、より精密なペンシルビームスキャニング照射法への移行が進んでいます。
ブロードビーム照射法では、広がった重粒子線ビームを照射し、コリメータやボーラスと呼ばれる器具でビームの形状を整えていました。これに対し、スキャニング照射法では、細いペンシルビームを使用し、2台のスキャニング電磁石で磁場を高速に変化させることで、ビームを走査させながら腫瘍全体を塗りつぶすように照射します。
東芝エネルギーシステムズは、量子科学技術研究開発機構と共同開発したコイル巻線製造技術を活用し、1台のスキャニング電磁石で2方向の照射を実現する技術を開発しました。これにより、装置のさらなる小型化と効率化が可能となっています。
QST病院では、2011年5月から3次元スキャニング照射治療(臨床試験)を開始し、より高精度な治療を実現しています。この技術により、従来よりも正確にがん病巣に線量を集中させることが可能となり、周囲の正常組織への影響をさらに低減することができます。
また、重粒子線治療における被ばく線量の評価も進んでいます。QSTと日本原子力研究開発機構は、重粒子線治療の患者毎に異なる複雑な照射体系を構築し、シミュレーションにより患者全身の被ばく線量を高精度に評価するシステム「RT-PHITS for CIRT」を開発しました。このシステムにより、治療部位から離れた正常組織への被ばく線量を詳細に評価することが可能となり、2次がん発生リスクの低減に向けた研究が進められています。
重粒子線治療は、一般に放射線治療では低確率で発生する晩発の2次がんのリスクが低いとされていますが、このシステムにより、その理由を科学的に解明し、さらに安全な治療法の開発につなげることが期待されています。
重粒子線治療装置の技術革新は、がん治療の効果向上と患者負担の軽減を両立させる方向に進んでいます。小型化技術、回転ガントリー、マルチイオン照射、スキャニング照射など、各メーカーが開発する最先端技術により、より多くの医療機関での導入が可能となり、より多くのがん患者が高いQOLを維持しながら効果的な治療を受けられる未来が近づいています。
量子科学技術研究開発機構による次世代重粒子線治療研究プロジェクト「量子メス」の詳細情報
東芝エネルギーシステムズの重粒子線治療装置に関する製品情報