訪問看護6割規制の人員配置基準
訪問看護ステーションの人員配置規制強化の経緯
2020年11月、厚生労働省は社会保障審議会・介護給付費分科会において、訪問看護ステーションの人員配置基準に関する重要な提案を行いました。この提案の核心は、看護職員が指定訪問看護の提供に当たる従業員に占める割合を6割以上とする要件を設けることでした。
この規制強化の背景には、訪問看護ステーションにおけるリハビリテーション専門職(理学療法士、作業療法士、言語聴覚士)の急激な増加があります。一部の事業所では、職員の大半をリハビリ専門職が占め、事実上「訪問リハビリステーション」化している状況が問題視されていました。
- 現状の課題
- リハビリ専門職の割合が看護職員を上回る事業所の存在
- 訪問看護本来の機能である療養上のケアや診療補助の軽視
- 医師の指示に基づく適切なリハビリテーション提供体制の不備
厚生労働省は、訪問看護が本来果たすべき機能として「在宅介護を受けている高齢者に療養上のケアや診療の補助を行うこと」を明確に位置づけました。リハビリテーションサービスについては、医師の指示に従って適切に行われる必要があるため、医療機関もしくは介護老人保健施設による「訪問リハビリ」として提供されるべきとの見解を示しています。
訪問看護6割基準導入見送りと代替措置の実施
当初提案された人員配置基準の厳格化は、業界関係者からの強い反発を受けました。日本理学療法士協会、日本作業療法士協会、日本言語聴覚士協会の職能3団体は、この規制により「約8万人の利用者がサービスを受けられなくなり、約5千人のリハビリ専門職が失職する」と訴えて署名活動を展開しました。
この反対運動を受けて、厚生労働省は2020年12月、人員配置基準の厳格化について2021年4月の介護報酬改定での実施を見送る方針を決定しました。しかし、訪問看護の本来の役割・機能を踏まえた事業所運営を求める基本スタンスは変更せず、代替措置として以下の対応を実施しました。
- 代替措置の内容
- リハビリ専門職による訪問の単位数引き下げ
- 提供回数の適正化
- 看護体制強化加算の要件として「看護職員6割以上」を導入
2021年度の介護報酬改定では、リハビリ専門職の訪問に対して厳しい報酬見直しが行われました。特に要支援者への1日3回以上の訪問では5割減という大幅な減額が実施され、「ちょっと触って、たくさん回れば儲かる」というビジネスモデルへの強力な牽制となりました。
訪問看護における看護体制強化加算と6割基準の実装
人員配置基準としての直接的な導入は見送られましたが、「看護職員6割以上」の要件は看護体制強化加算の算定要件として実装されました。この加算は、医療ニーズの高い重度者対応体制を構築する訪問看護ステーションを評価する制度です。
看護体制強化加算の概要
- 算定要件の変更点
- 看護職員の割合:従業員の6割以上
- 特別管理加算算定利用者:30%から20%に緩和
- 報酬額:加算(Ⅰ)600単位→550単位、加算(Ⅱ)300単位→200単位
この加算制度により、厚生労働省が推奨する事業運営モデルが明確になりました。看護職員6割以上の配置は、医療保険の機能強化型訪問看護療養費の算定要件にも既に導入されており、官民を通じた統一的な方向性を示しています。
興味深い点として、2024年度の介護報酬改定では、医療機関や老人保健施設での訪問リハビリの報酬が要支援者・要介護者ともに307単位に引き上げられ、訪問看護ステーションからの訪問と報酬上の評価が初めて逆転しました。これは、訪問リハビリテーションの適切な提供場所を明確に示す政策転換と解釈できます。
訪問看護6割規制による現場への具体的影響とサービス変化
6割基準の導入が現場に与える影響は多岐にわたります。特に、現在リハビリ専門職の割合が高い事業所では、根本的な運営体制の見直しが必要となります。
具体的な影響シナリオの例
現在の職員構成が看護師4名、リハビリ専門職6名(PT3名、OT2名、ST1名)の事業所の場合。
- 現状:看護職4割、リハビリ職6割
- 対応策①:看護職を9名に増員(リハビリ職は現状維持)
- 対応策②:リハビリ職を2.6名以下に削減(看護職は現状維持)
この調整には相当な経営的負担が伴います。看護職の確保は全国的に困難な状況にあり、急激な人員増強は現実的でない場合が多いためです。一方、リハビリ職の削減は、現在サービスを受けている利用者への影響が避けられません。
- 利用者サービスへの影響
- 現在リハビリサービスを受けている約8万人の利用者の一部がサービス継続困難
- 医療機関併設の訪問リハビリへの移行推進
- 通所リハビリテーションなど代替サービスの活用促進
しかし、医療機関での訪問リハビリには構造的な課題があります。原則として事業所の医師の診察が必要で、事業所数そのものが限られているため、利用しづらいという問題が指摘されています。訪問看護ステーションの場合、かかりつけ医師の指示書一枚で済むため、利用者にとって利便性が高く、これが需要増加の要因となっていました。
訪問看護6割規制の未来展望と経営戦略への示唆
業界関係者の間では、今回の6割基準導入見送りは「先送りになっただけ」というのが共通の見方となっています。将来的には、より厳格な人員配置基準が導入される可能性が高く、事業所には中長期的な戦略的対応が求められています。
将来予測される展開
- 段階的規制強化のシナリオ
- 現行:看護体制強化加算での6割基準
- 将来①:人員配置基準での6割基準導入
- 将来②:8割基準への引き上げ(全国健康保険協会理事長提案)
全国健康保険協会の安藤伸樹理事長は、「看護職員の割合を要件化することに賛成。6割以上からのスタートに異論はないが、8割以上くらいが本来のあるべき姿」と発言しており、より厳格な基準への移行が将来的に検討される可能性を示唆しています。
一方で、地域医療の実情を踏まえた柔軟な対応を求める声もあります。神奈川県の黒岩知事は、「現在、訪問リハ事業所の開設は医療機関や老健施設などに限られているが、医師との連携が図られている場合には、リハ職のみでの開設も認めるべき」と提案しています。この提案は、利用者ニーズに応える新たなサービス提供体制の構築を目指すものです。
経営戦略への示唆
訪問看護ステーションの経営者にとって、この規制動向は事業戦略の根本的な見直しを迫るものです。「需要があるからといって漫然とリハビリ職を増やしていたところもやっていけなくなる。経営的にも看取りや医療ニーズの高い中重度者の対応を増やしていく必要がある」という業界関係者の指摘は、今後の方向性を明確に示しています。
- 推奨される経営戦略
- 看護職員の計画的確保と育成
- 中重度者対応体制の強化
- 看取りケア等の高付加価値サービスの拡充
- 医療機関との連携強化による機能分化
興味深いことに、終末期の訪問看護においては、がん患者では死期が近づくにつれて訪問頻度が高まるのに対し、非がん患者では悪化期から高頻度の訪問が必要になるという研究結果があります。このような専門的知見に基づく看護ケアの提供こそが、訪問看護ステーションの真価を発揮する分野といえるでしょう。
終末期医療に関する調査では、6割の日本人が自宅で過ごすことを望む一方で、それが不可能だと思う人も6割存在し、家族の負担と急変時の不安が主な理由として挙げられています。専門性の高い看護職員による24時間対応体制の構築は、こうしたニーズに応える重要な社会インフラとしての役割を果たします。