蝶口蓋動脈鼻出血手術
蝶口蓋動脈と鼻出血の関係
鼻出血は前鼻出血と後鼻出血に大別され、前鼻出血が全体の80~90%を占めますが、残りの10~20%は鼻腔後方からの出血である後鼻出血となります。後鼻出血の主な原因血管は、顎動脈の分枝である蝶口蓋動脈であり、この血管からの出血は前鼻出血と比較して出血量が多く、コントロールが困難となる傾向があります。
蝶口蓋動脈は翼口蓋窩を通過して蝶口蓋孔から鼻腔内に入り、鼻腔後方の粘膜に血液を供給しています。この動脈は鼻中隔前方のキーゼルバッハ部位にも吻合しており、鼻腔全体の重要な栄養血管となっています。
後鼻出血は鼻腔後方が解剖学的に狭い場所であるため、詳細な観察や保存的止血処置が困難な場合が多くあります。出血部位が明視できず、また保存的治療に抵抗して出血を繰り返す症例では、手術治療または血管塞栓術が検討されます。
蝶口蓋動脈結紮術の適応と手術方法
反復性難治性の鼻出血に対して、従来より経上顎洞顎動脈結紮術や血管内カテーテルを用いた動脈塞栓術が行われてきましたが、経上顎洞顎動脈結紮術は術後の腫れや頬部のしびれなど歯齦切開による合併症が生じうる問題がありました。また血管内カテーテルによる動脈塞栓術は限られた施設でしか施行できず、脳梗塞や血管内膜損傷などの重篤な合併症をきたしうるという課題がありました。
参考)反復性鼻出血に対する内視鏡下蝶口蓋動脈結紮術施行例の検討 (…
近年、内視鏡下鼻副鼻腔手術の発展に伴い、内視鏡下に蝶口蓋動脈にアプローチする方法が多く報告されています。内視鏡下蝶口蓋動脈結紮術では、必要に応じて鼻中隔矯正術や粘膜下下鼻甲介骨切除術も併用され、ワーキングスペースの確保が行われます。
参考)蝶口蓋動脈凝固術 (耳鼻咽喉科・頭頸部外科 87巻12号)
手術の実際としては、まず明らかな出血点を同定するためによく鼻内を観察し、蝶口蓋動脈領域からの出血が疑わしいことを確認した上で手術操作を開始します。内視鏡下で蝶口蓋動脈を直接確認し、クリッピングや結紮、または超音波凝固術を用いた凝固を行います。
参考)https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjrhi/49/4/49_4_501/_pdf
内視鏡下蝶口蓋動脈凝固術の有効性に関する詳細な術式と成績(日本鼻科学会会誌)
手術の合併症とリスク管理
内視鏡下蝶口蓋動脈手術の術後合併症としては、報告によると急性上顎洞炎が認められた症例があります。しかし、経過観察期間中に蝶口蓋動脈領域からの再出血はほとんど認められておらず、一部の症例で術後数ヶ月後にキーゼルバッハ部位からの軽度出血があった程度で、容易に止血可能であったと報告されています。
蝶形骨洞周辺の手術では、視神経や内頸動脈など損傷危険部位が多く、手術操作時に慎重な操作を要します。特に内頸動脈は損傷すると重篤な後遺症や生命に関わる大出血を来し得るため、術前に危険度を評価し、対処法を万全に準備して手術に臨むべきです。
参考)内頸動脈破裂が懸念された蝶形骨洞髄膜瘤手術例~大出血へのリス…
内視鏡下蝶口蓋動脈凝固術は低侵襲であるため、出血性基礎疾患を持つ症例や抗血小板薬・抗凝固薬内服例も適応となる場合があります。これは従来の外切開法や血管塞栓術と比較して大きな利点となっています。
蝶口蓋動脈手術の治療成績と再出血率
蝶口蓋動脈結紮術は止血効果が高く、また外切開による手術や血管塞栓術に比べ低侵襲とされています。複数の施設からの報告では、手術を施行した症例のうち、蝶口蓋動脈領域からの再出血はほとんど認められていません。
ある報告では、内視鏡下蝶口蓋動脈結紮術を施行した13例のうち、1例のみで再出血をきたし血管塞栓術にて止血を得たと報告されています。これは再出血率が約7.7%という計算になりますが、多くの研究では3年以上の経過観察期間で蝶口蓋動脈領域からの再出血を認めていないとの良好な成績が示されています。
手術の効果としては、70%程度の患者で良好に経過すると報告されており、適切な症例選択と手術手技により高い止血効果が期待できます。術後は定期的な通院と適切なケアにより、再手術を回避できる可能性が高まります。
参考)鼻づまり・副鼻腔炎等の日帰り手術の流れ|おぎのクリニック京都…
反復性鼻出血に対する内視鏡下蝶口蓋動脈結紮術施行例の詳細な検討結果(日本耳鼻咽喉科学会会報)
従来の止血法との比較
従来の鼻出血治療として、鼻腔パッキングによる圧迫止血が広く行われてきました。バルーンタンポナーデは施行が容易であり患者にとってより快適であるため好まれますが、鼻腔後部のパッキングは非常に強い不快感を伴い、静注による鎮静および鎮痛が必要になることが多く、入院が必要となります。
参考)バルーンによる後鼻出血の治療 – 16. 耳鼻咽喉疾患 – …
また、鼻出血に対する後鼻タンポンは、止血効果よりも誤嚥や気道閉塞の防止に重要な役割を果たしていますが、確実な止血方法とはいえません。従来のガーゼパッキングによる止血率は50%程度と報告されており、これらは疼痛や不快感を伴う処置であり、患者は鼻出血に対して大きな不安や恐怖を抱くこととなります。
血管内カテーテルによる動脈塞栓術は、脳梗塞や血管内膜損傷などの重篤な合併症のリスクがあり、また限られた施設でしか施行できないという制約があります。一方、内視鏡下蝶口蓋動脈手術は、出血部位に近い蝶口蓋動脈を直接処理できるため、止血効果が高く、外切開による手術や血管塞栓術に比べ低侵襲であるという大きな利点があります。
術後管理と回復期間の特徴
内視鏡下蝶口蓋動脈手術後は、最初の数日間は鼻づまりや微量の出血が続く可能性がありますが、これらは徐々に解消されます。術後数日間は少量の出血が続く可能性があり、一時的に鼻づまりが悪化し、頭痛や発熱が現れることがありますが、内服薬で対応可能です。
術後は定期的に通院し、鼻内の血液や分泌物、痂皮の清掃を行います。抗生剤の内服やステロイド点鼻薬を一定期間継続することが推奨されます。副鼻腔粘膜の回復には最低3ヶ月程度かかるため、この間は定期的な鼻洗浄が極めて重要となります。
術後2週間程度は、約1%程度の確率で遅発性出血のリスクがあるため注意が必要です。しかし、蝶口蓋動脈手術では従来の方法と比較して入院期間が短縮でき、患者の身体的・精神的負担軽減につながるという利点があります。手術直後から通常の日常生活への復帰が比較的早く、外切開による手術のような頬部の腫れや頭頸外部の瘢痕がないことも患者にとって大きなメリットとなっています。
参考)https://www1.cgmh.org.tw/intr/intr2/c3350/new/column_article.asp?pno=64amp;RR=R2amp;Language=