アシネトバクターのセフトリアキソン耐性
アシネトバクター感染症の基本特性と治療困難性
アシネトバクター属菌は、グラム陰性球桿菌として知られ、院内感染症の主要な起炎菌の一つです。特にAcinetobacter baumanniiは、免疫力の低下した入院患者において重篤な感染症を引き起こし、高い死亡率を示すことが報告されています。
参考)薬剤耐性アシネトバクター感染症の治療|国立健康危機管理研究機…
この菌の最も重要な特徴は、元来から多くの抗菌薬に対する耐性を示すことです。アンピシリン、セファゾリン、セフトリアキソン、セフォタキシムなどの広域β-ラクタム系抗菌薬に対して自然耐性を持っており、これが治療を困難にしている主な理由となっています。
参考)https://www.jstage.jst.go.jp/article/kansenshogakuzasshi/95/3/95_301/_pdf
アシネトバクター感染症は、主に人工呼吸器関連肺炎、血流感染症、髄膜炎、創部感染症などの形で現れ、特に集中治療室(ICU)における院内感染として問題となっています。健常人への感染は稀であり、多くは日和見感染症として発症することが知られています。
参考)アシネトバクター感染症(Acinetobacter infe…
アシネトバクターにおけるセフトリアキソン耐性機序
セフトリアキソンに対するアシネトバクターの耐性は、複数の分子機序によって発現されます。最も重要な耐性機序は、染色体上に存在するAmpC型セファロスポリナーゼ(ADC-1など)の産生です。この酵素は広域セファロスポリンを分解し、セフトリアキソンの抗菌効果を無効化します。
参考)https://www2.huhp.hokudai.ac.jp/~ict-w/kansen/6.07_MDRAB.pdf
また、薬剤排出ポンプ(AdeABC)の機能亢進も重要な耐性機序として挙げられます。このポンプ系は、細胞内に侵入した抗菌薬を能動的に細胞外に排出することで、薬剤濃度を治療有効域以下に低下させる働きがあります。
さらに深刻な問題として、カルバペネム耐性機序も同時に獲得されることがあります。OXA-51-like酵素の遺伝子上流に挿入配列(ISAba1など)が挿入されたり、外来性にOXA-23-likeやOXA-58-likeなどのカルバペネマーゼ遺伝子を獲得したりすることで、最後の砦とされるカルバペネム系薬剤さえも無効化されてしまいます。
アシネトバクター感染症の標準治療プロトコル
アシネトバクター感染症の治療は、薬剤感受性試験の結果に基づいて選択することが基本となります。第一選択薬としては、カルバペネム系抗菌薬(イミペネム、メロペネム)が推奨されており、重症感染症においては標準治療薬と位置づけられています。
しかし、単剤療法では治療効果が限定的であることが多いため、多剤併用療法が実施されるケースが一般的です。典型的な組み合わせとしては、カルバペネム系薬剤とアミノグリコシド系薬剤(アミカシン、ゲンタマイシン)の併用が行われます。
参考)アシネトバクター(Acinetobacter)感染症 – 1…
近年注目されているのは、スルバクタムの抗アシネトバクター活性です。スルバクタムは本来β-ラクタマーゼ阻害剤ですが、アシネトバクターに対しては例外的に抗菌薬としての活性を有します。日本では、アンピシリン・スルバクタムまたはセフォペラゾン・スルバクタムとして利用可能であり、カルバペネム耐性株においてもスルバクタム感性を示す場合があるため、重要な治療選択肢となっています。
参考)アシネトバクター感染症(3/3) │ KANSEN JOUR…
全国のアシネトバクター属菌の93.6%がアンピシリン・スルバクタムに感性を示しており、特に非重症例においては有力な治療薬候補となります。ただし、治療目的での使用では、スルバクタムとして6g/日以上(アンピシリン・スルバクタム換算で18g/日)の高用量投与が必要とされる点に注意が必要です。
多剤耐性アシネトバクター(MDRA)の治療上の課題
多剤耐性アシネトバクター(MDRA)は、カルバペネム系、アミノグリコシド系、フルオロキノロン系の3系統の薬剤に同時に耐性を示すアシネトバクター属菌と定義されています。このような多剤耐性株による感染症が発症した場合、宿主の易感染性とも相まって極めて高い死亡率を示すことが知られています。
参考)https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou11/01-05-140912-4.html
MDRAに対する治療選択肢は著しく制限されており、従来の併用療法(β-ラクタム剤+アミノグリコシド剤など)の有効性についても十分なエビデンスが得られていないのが現状です。
参考)多剤耐性アシネトバクター院内感染事例の報告を受けて|感染症ト…
最も抗菌活性が期待されるのは、コリスチンとチゲサイクリンですが、これらの薬剤は現在日本では承認されておらず、一般の医療機関での使用は困難な状況にあります。一部の施設では、MDRP感染症に対する有効性からコリスチンの個人輸入を行っているケースもありますが、広く利用できる状況にはありません。
このような状況において、スルバクタムが感性を示すMDRA株に対しては、高用量スルバクタム療法が重要な治療選択肢となります。ただし、最適な投与量・投与法については不確かな部分が多く、さらなる研究が必要とされています。
アシネトバクター感染症の予防策と院内感染対策
アシネトバクター感染症の制御において、治療と同等かそれ以上に重要なのが予防策と院内感染対策です。アシネトバクターは環境中に広く存在し、乾燥に対して強い抵抗性を示すため、医療器具や環境表面を介した交差感染のリスクが高い特徴があります。
感染制御の基本は標準予防策の徹底実施です。手洗いや手指消毒の不完全な実施が、汚染された医療器具や環境表面を介した感染拡大の主要因となるため、医療従事者への教育と意識改革が不可欠です。
参考)薬剤耐性アシネトバクター感染症 Multi-drag-res…
多剤耐性アシネトバクターが検出された患者については、個室隔離と接触予防策の実施が推奨されています。具体的には、患者ケア時のガウンと手袋の着用、専用器具の使用、退室時の適切な防護具の除去と手指衛生の徹底が求められます。
参考)https://www.hosp.kagoshima-u.ac.jp/ict/bacteria/Acinetobacter.htm
また、環境清拭においては、アルコール系消毒薬や次亜塩素酸ナトリウムを用いた定期的な清拭が効果的とされています。特に、患者が接触する可能性の高い箇所(ベッド柵、オーバーテーブル、ドアノブなど)については、重点的な清拭が必要です。
最近の研究では、アシネトバクターが接触依存性殺菌や噬菌体溶解を通じて耐性決定因子を放出することが明らかになっており、これらの新しい知見も踏まえた感染制御戦略の構築が求められています。
参考)https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/fmicb.2020.01918/pdf