アンチトリプシン欠乏症治療薬一覧と補充療法の最新動向

アンチトリプシン欠乏症治療薬の種類と特徴

アンチトリプシン欠乏症治療の主な選択肢
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補充療法

血漿由来のα1-プロテイナーゼインヒビターを週1回点滴静注する治療法。肺疾患に対する標準治療。

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RNA干渉療法

変異型α1-アンチトリプシン蛋白の産生を抑制し、肝疾患の進行を阻止する新しいアプローチ。

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RNA編集療法

変異したmRNAを編集して正常なタンパク質の産生を促進する革新的治療法。臨床試験が進行中。

アンチトリプシン欠乏症(Alpha-1 Antitrypsin Deficiency: AATD)は、SERPINA1遺伝子の変異によって引き起こされる常染色体劣性遺伝疾患です。この疾患では、肝臓で産生される重要なタンパク質であるα1-アンチトリプシン(AAT)の血中濃度が低下し、肺気腫や肝疾患などの深刻な健康問題を引き起こします。

AATは主に好中球エラスターゼという酵素を阻害する働きがあり、この機能が低下すると肺組織が破壊され、早期発症の肺気腫を引き起こします。また、変異型AATが肝細胞内に蓄積することで肝障害を引き起こすことも知られています。

日本ではAATDは希少疾患とされていますが、近年、治療オプションが徐々に拡大しています。本記事では、現在利用可能なアンチトリプシン欠乏症の治療薬について詳しく解説します。

アンチトリプシン欠乏症の補充療法と適応基準

アンチトリプシン欠乏症に対する標準治療として、α1-プロテイナーゼインヒビター製剤による補充療法があります。日本では2021年に「リンスパッド点滴静注用1000mg」(一般名:ヒトα1-プロテイナーゼインヒビター)が承認されました。

この治療法は、血漿由来のα1-プロテイナーゼインヒビターを患者に投与することで、血中のAAT濃度を正常レベルまで上昇させ、肺組織の破壊を防ぐことを目的としています。

【適応基準】

リンスパッドの投与対象は、以下の条件を満たす患者です。

  • 血清AAT濃度が50mg/dL未満の重症AATD患者
  • PiZZ、PiZ(null)などの表現型を持つ患者
  • 臨床的に肺気腫が認められる患者

【投与方法】

  • 通常、成人ではAATとして60mg/kgを週1回投与
  • 約0.08mL/kg/分を超えない速度で点滴静注
  • 体重60kgの成人では、全体で約20分以上かけて投与

日本人AATD患者4名を対象とした国内第I/II相試験(GTI1401試験)では、週1回の点滴静注(60mg/kg)で欧米人と同等の安全性および薬物動態が確認されています。

アンチトリプシン欠乏症の肝疾患に対するRNA干渉療法

アンチトリプシン欠乏症による肝疾患(AATD-LD)に対しては、現在新たな治療アプローチとしてRNA干渉(RNAi)療法が開発されています。その代表的な薬剤がfazirsiran(TAK-999/ARO-AAT)です。

fazirsiranは、変異型α-1アンチトリプシン蛋白(Z-AAT)の産生を低減する目的で設計されたファースト・イン・クラスのRNAi治療薬です。AATDの患者さんでは、肝臓で蓄積するZ-AATが進行性肝疾患の原因となっていますが、このZ-AAT蛋白質の産生を抑制することで、肝疾患の進行を阻止し、肝臓の再生や修復を促す効果が期待されています。

臨床第2相SEQUOIA試験では、AATD-LDの患者42名を対象に、fazirsiranの安全性、忍容性と薬力学的作用が評価されました。患者はfazirsiran 25mg群、100mg群、200mg群、またはプラセボ群に割り付けられました。

【主な結果】

  • fazirsiran投与例の50%で線維化が改善
  • 肝臓におけるZ-AAT蓄積量が中央値で94%減少
  • 肝内封入体が68%減少
  • 試験治療下で発現した有害事象はfazirsiran群とプラセボ群で同等

これらの結果を受けて、現在、METAVIRステージF2~F4の線維化がみられるAATD-LDの治療におけるfazirsiranの有効性と安全性を評価する臨床第3相試験(TAK-999-3001)が進行中です。約160名の患者が1:1の比率で無作為化され、fazirsiranまたはプラセボの投与を受ける予定です。

米国では、fazirsiranはAATD-LDの治療薬として、FDA(米国食品医薬品局)より2021年7月にブレークスルー・セラピー指定、2018年2月にオーファンドラッグ指定を受けています。

アンチトリプシン欠乏症に対する革新的なRNA編集療法の展望

アンチトリプシン欠乏症の治療において、最も革新的なアプローチの一つがRNA編集療法です。この治療法は、変異したmRNAを直接編集して正常なタンパク質の産生を促進するという画期的な方法です。

Wave Life Sciences社が開発中のWVE-006は、ADAR(アデノシン・デアミナーゼ)を利用したRNA編集技術を用いた治療薬で、AATDの根本的な原因に対処することを目指しています。

RestorAATion-2試験では、Zアレルを2つ持つ(ホモ接合型ZZ)AATD患者2人にWVE-006を1回皮下投与したところ、以下の結果が得られました。

  • 血中のすべてのAATタンパク質量が増加
  • 変異のない正常なAATタンパク質の割合が平均で60%以上に
  • ベースラインからのタンパク質増加が投与3日目から57日目まで継続的に観察

WVE-006の安全性プロファイルおよび忍容性は良好で、RestorAATion-2試験と、健康なボランティアによるRestorAATion-1試験において発生した有害事象は全て軽度から中等度であり、重篤な有害事象は報告されていません。

この治療法の大きな利点は、現在の補充療法のように週1回の静脈内注入を必要とせず、より少ない頻度での投与で効果が期待できる点です。また、肺疾患と肝疾患の両方に対応できる可能性がある点も注目されています。

RestorAATion-2試験は現在も進行中で、2025年に多用量データが報告される予定です。この革新的なアプローチが成功すれば、AATDの治療パラダイムが大きく変わる可能性があります。

アンチトリプシン欠乏症治療薬の薬価と医療経済的側面

アンチトリプシン欠乏症の治療、特に補充療法は高額な治療費を要することが知られています。日本で承認されているリンスパッド点滴静注用1000mgの薬価は216,054円/瓶となっています。

週1回の投与が必要であることを考えると、年間の薬剤費だけでも約1,100万円以上になる計算です。これに投与に関わる医療費や通院費用などを加えると、患者や医療システムにとって大きな経済的負担となります。

【アンチトリプシン欠乏症治療薬の医療経済的側面】

治療法 薬価/費用 投与頻度 年間概算費用
リンスパッド(補充療法) 216,054円/瓶 週1回 約1,100万円以上
fazirsiran(開発中) 未定 未定 未定
WVE-006(開発中) 未定 未定(従来より少ない頻度) 未定

このような高額な治療費に対して、日本では以下のような医療費助成制度が利用可能です。

  1. 指定難病医療費助成制度:アンチトリプシン欠乏症は指定難病(指定難病番号85)に指定されており、認定されると医療費の自己負担が軽減されます。
  2. 高額療養費制度:月々の医療費が一定額を超えた場合に、超過分が払い戻される制度です。
  3. 医療費控除:年間の医療費が一定額を超えた場合に、確定申告で税金の還付を受けられる制度です。

これらの制度を活用することで、患者の経済的負担を軽減することが可能ですが、それでも長期にわたる治療の継続には経済的・心理的な負担が伴います。

新たに開発中のRNA干渉療法やRNA編集療法については、まだ薬価は未定ですが、これらの革新的治療法が従来の補充療法よりも投与頻度が少なく、長期的な効果が期待できるものであれば、総合的な医療経済的メリットがある可能性があります。

アンチトリプシン欠乏症の診断と治療薬選択のアルゴリズム

アンチトリプシン欠乏症の適切な治療を行うためには、正確な診断と患者の状態に応じた治療薬の選択が重要です。以下に、診断から治療薬選択までのアルゴリズムを示します。

【診断のステップ】

  1. スクリーニング検査
    • 血清AAT濃度測定(基準値:90-200mg/dL)
    • AAT濃度が低値の場合(<90mg/dL)、遺伝子型検査へ進む
  2. 遺伝子型検査
    • プロテアーゼインヒビター(Pi)型の同定
    • 主な遺伝子型:MM(正常)、MS、MZ(キャリア)、ZZ、SZ、Z(null)(重症)
  3. 臨床評価
    • 肺機能検査(FEV1、FVC、DLCO等)
    • 胸部CT検査(肺気腫の評価)
    • 肝機能検査(AST、ALT、γ-GTP等)
    • 必要に応じて肝生検(肝疾患の評価)

【治療薬選択のアルゴリズム】

  1. 重症AATD(血清AAT濃度<50mg/dL)で肺疾患主体の場合
  2. 重症AATDで肝疾患主体の場合
    • 現状:特異的治療薬なし(対症療法)
    • 将来的選択肢:fazirsiran(臨床試験中)
    • 重症例:肝移植の検討
  3. 軽度〜中等度AATD(血清AAT濃度50-90mg/dL)の場合
    • 基本的に補充療法の適応外
    • 症状に応じた対症療法
    • 生活指導(禁煙、感染予防等)
  4. キャリア(MZ、MS型など)の場合
    • 通常は特異的治療不要
    • 環境因子の回避(喫煙、職業性粉塵暴露等)
    • 定期的な経過観察

この診断・治療アルゴリズムは、患者の遺伝子型、臨床症状、臓器障害の程度などを総合的に評価して個別化する必要があります。また、新たな治療法の開発状況によって、今後変更される可能性があることに留意する必要があります。

日本呼吸器学会の「α1-アンチトリプシン欠乏症 診療の手引き2021」では、診断から治療までの詳細なアルゴリズムが提示されており、臨床現場での参考になります。

日本呼吸器学会「α1-アンチトリプシン欠乏症 診療の手引き2021」- 診断から治療までの詳細なガイドライン

アンチトリプシン欠乏症治療薬の国際比較と日本の現状

アンチトリプシン欠乏症の治療アプローチは国によって大きく異なります。ここでは、主要国の治療状況と日本の現状を比較します。

【主要国のAATD治療薬の状況】

国/地域 補充療法の承認状況 主な製品名 保険適用 新規治療法の開発状況
米国 1987年承認 Prolastin-C, Aralast, Zemaira, Glassia 保険適用(条件あり) RNA干渉療法、RNA編集療法など複数の臨床試験進行中
欧州 複数国で承認 Respreeza, Prolastin 国により異なる 複数の臨床試験参加
日本 2021年承認 リンスパッド 保険適用(指定難病) 限定的な臨床試験参加
オーストラリア 承認済み Prolastin-C 特別アクセス制度 一部臨床試験に参加

日本では2021年にようやくリンスパッドが承認されましたが、欧米に比べると約30年遅れての導入となりました。この背景には、日本におけるAATD患者の有病率が欧米に比べて低いことや、診断率の低さなどが影響していると考えられます。

【日本の現状と課題】

  1. 診断率の低さ

    日本ではAATDの認知度が低く、COPD患者におけるスクリーニング検査が十分に行われていないため、未診断の患者が多いと推測されています。日本人のAATD有病率は欧米に比べて低いとされていますが、実際には見逃されている可能性があります。

  2. 治療アクセスの地域格差

    リンスパッドによる補充療法は専門的な管理が必要なため、すべての医療機関で実施できるわけではありません。そのため、地方在住の患者は治療へのアクセスが制限される場合があります。

  3. 臨床試験参加の機会

    新規治療法の臨床試験は主に欧米を中心に実施されており、日本人患者が参加できる機会は限られています。fazirsiranの臨床第3相試験(TAK-999-3001)には日本も参加していますが、その他の革新的治療法の試験参加は限定的です。

  4. 経済的負担

    リンスパッドは指定難病医療費助成の対象となっていますが、それでも患者の経済的負担は小さくありません。特に、就労年齢の患者にとっては、週1回の通院による就労への影響も考慮する必要があります。

今後の展望として、日本においても以下の点が期待されます。

  • AATDの認知度向上と診断率の改善
  • 遠隔医療の活用などによる治療アクセスの改善
  • 国際共同治験への積極的な参加
  • 新規治療法の早期承認と保険適用

日本呼吸器学会を中心とした啓発活動や診療体制の整備が進められていますが、希少疾患であるがゆえの課題も多く、患者団体や医療者、製薬企業、行政の連携が重要となっています。

以上、アンチトリプシン欠乏症の治療薬について、現在利用可能な補充療法から開発中の革新的治療法まで、幅広く解説しました。この分野は急速に発展しており、今後も新たな治療選択肢が増えることが期待されます。患者さんやご家族、医療従事者の方々にとって、本情報が参考になれば幸いです。