僧帽弁の病気一覧と症状や治療法
僧帽弁の構造と機能について
僧帽弁は心臓の左心房と左心室の間に位置する重要な弁膜です。名前の由来は、その形状がカトリック教会の司教が着用する帽子(僧帽)に似ていることからきています。この弁は前尖と後尖という2枚の弁尖で構成されており、複雑な立体構造を持っています。
僧帽弁の構造は以下の要素から成り立っています。
- 弁尖(前尖と後尖): 実際に開閉する薄い膜状の部分
- 弁輪: 弁尖が付着している輪状の構造
- 腱索: 弁尖が左心房側に反転するのを防ぐ紐状の組織
- 乳頭筋: 腱索が付着している左心室壁の筋肉部分
僧帽弁の主な機能は、左心室が収縮して血液を大動脈へ送り出す際に、血液が左心房へ逆流するのを防ぐことです。健康な僧帽弁は、左心室の収縮時にしっかりと閉じて血液の逆流を防ぎ、拡張時には開いて肺から酸素化された血液が左心房から左心室へ流入するのを可能にします。
この精密な構造のどこかに問題が生じると、様々な僧帽弁疾患を引き起こします。弁の構造と機能を理解することは、僧帽弁疾患の診断と治療において非常に重要です。
僧帽弁狭窄症の原因と症状
僧帽弁狭窄症は、僧帽弁の開口部が狭くなり、左心房から左心室への血液の流れが妨げられる疾患です。正常な僧帽弁の弁口面積は4~6平方センチメートルありますが、中等度の狭窄症では1.5平方センチメートル、重症では1平方センチメートル以下にまで狭くなります。
主な原因
- リウマチ熱: かつては最も一般的な原因でしたが、抗生物質の普及により先進国では減少しています。溶連菌感染後に発症するリウマチ熱により、弁尖が癒着・肥厚し、弁の動きが制限されます。
- 加齢に伴う変性: 高齢者では弁尖や弁輪に石灰化が生じ、動脈硬化性僧帽弁狭窄症を引き起こすことがあります。
- 先天性異常: まれに生まれつきの弁の形成異常により狭窄が生じることがあります。
主な症状
- 息切れ(呼吸困難): 最も一般的な症状で、特に運動時や横になった時に悪化します。
- 疲労感: 全身への血液供給が減少することによる症状です。
- 動悸: 心臓が通常よりも早く鼓動し、不規則なリズムを感じることがあります。
- 咳: 特に夜間に悪化することがあり、時に血痰を伴うこともあります。
- 頻繁な肺感染症: 肺うっ血により感染リスクが高まります。
合併症
僧帽弁狭窄症が進行すると、以下のような合併症を引き起こす可能性があります。
- 心房細動: 左心房の拡大により発症リスクが高まります。
- 血栓塞栓症: 心房細動に伴い左心房内に血栓が形成され、脳梗塞などの塞栓症を引き起こすことがあります。
- 肺高血圧症: 左心房圧の上昇により、肺の血管に圧力がかかり、肺高血圧症を引き起こします。
- 肺水腫: 重症例では急性の肺うっ血により肺水腫を発症することがあります。
僧帽弁狭窄症は初期段階では無症状であることが多いため、定期的な健康診断や心臓検査が重要です。心雑音が聴取されることで発見されることが多く、症状が現れ始めたら早期に専門医の診察を受けることが推奨されます。
僧帽弁閉鎖不全症のメカニズムと診断
僧帽弁閉鎖不全症は、僧帽弁が完全に閉じなくなり、左心室の収縮時に血液が左心房へ逆流する状態です。近年増加傾向にある弁膜症で、その複雑なメカニズムと診断方法について詳しく解説します。
発症メカニズム
僧帽弁閉鎖不全症は、一次性と二次性に大別されます。
- 一次性僧帽弁閉鎖不全症。
- 弁尖自体の異常:変性、感染性心内膜炎による損傷
- 腱索の問題:断裂、延長(特に粘液腫様変性による)
- 乳頭筋の障害:心筋梗塞による断裂
- 二次性僧帽弁閉鎖不全症。
- 左心室の拡大:拡張型心筋症、虚血性心筋症
- 左心房の拡大:長期の心房細動による弁輪拡大
- テザリング現象:左心室のリモデリングにより弁尖が引っ張られる
診断方法
僧帽弁閉鎖不全症の診断には以下の検査が用いられます。
- 聴診: 特徴的な収縮期雑音が左心尖部で聴取されます。
- 心エコー検査:
- 経胸壁心エコー: 最も基本的な検査で、逆流の程度や原因を評価します。
- 経食道心エコー: より詳細な弁の構造評価が可能で、手術適応の判断に重要です。
- 負荷心エコー: 運動中の逆流の変化を評価し、症状との関連を調べます。
- 心臓MRI: 左心室機能や逆流量の定量的評価に有用です。
- 心臓カテーテル検査: 冠動脈疾患の合併評価や血行動態の詳細な評価に用いられます。
重症度分類
僧帽弁閉鎖不全症の重症度は以下の基準で評価されます。
重症度 | 逆流量 | 逆流分画 | 左室拡大 |
---|---|---|---|
軽度 | <30mL | <30% | なし/軽度 |
中等度 | 30-59mL | 30-49% | 軽度/中等度 |
重度 | ≥60mL | ≥50% | 中等度/重度 |
早期診断は予後改善に重要であり、特に無症状でも定期的な経過観察が必要です。心エコー検査は非侵襲的で情報量が多いため、僧帽弁閉鎖不全症の評価において最も重要な検査となっています。
僧帽弁疾患の最新治療法とアプローチ
僧帽弁疾患の治療は、症状の重症度や原因によって異なりますが、近年は低侵襲治療の発展により選択肢が広がっています。ここでは最新の治療アプローチについて解説します。
薬物療法
軽度から中等度の僧帽弁疾患では、まず薬物療法が検討されます。
- 利尿剤: うっ血症状の軽減に効果的です
- 血管拡張薬: 後負荷を減少させ、逆流を軽減します
- 抗不整脈薬: 心房細動などの合併症に対して使用します
- 抗凝固薬: 血栓形成リスクがある場合に使用します
外科的治療
重症の僧帽弁疾患では外科的介入が必要となることがあります。
- 僧帽弁形成術:
- 自己の弁を温存して修復する方法
- 弁輪形成リング、腱索再建、弁尖修復などの技術を用いる
- 長期成績が良好で、抗凝固療法が不要な場合が多い
- 僧帽弁置換術:
- 機械弁または生体弁による置換
- 機械弁は耐久性に優れるが生涯の抗凝固療法が必要
- 生体弁は抗凝固療法が不要だが10-15年で劣化する可能性がある
カテーテル治療
近年急速に発展している低侵襲治療法です。
- 経皮的僧帽弁接合不全修復術(MitraClip®):
- 足の付け根の静脈からカテーテルを挿入
- 専用クリップで弁尖をつかんで引き合わせ、逆流を減少させる
- 外科手術リスクの高い患者に適応
- 入院期間が短く、回復が早い
- 経皮的僧帽弁バルーン拡張術:
- 主に僧帽弁狭窄症に対して行われる
- カテーテルを用いて狭くなった弁をバルーンで拡張する
- リウマチ性僧帽弁狭窄症で弁の石灰化が少ない症例に有効
- 経カテーテル僧帽弁置換術(TMVR):
- 開発段階の治療法で、カテーテルを用いて人工弁を留置
- 外科的リスクの高い患者への新たな選択肢として期待
治療選択の基準
治療法の選択には以下の要素が考慮されます。
- 患者の年齢と全身状態
- 弁膜症の種類と重症度
- 弁の解剖学的特徴
- 合併症の有無
- 患者の希望
最適な治療法の決定には、循環器内科医、心臓外科医、画像診断医などによるハートチームでの総合的な評価が重要です。特に高齢者や併存疾患を持つ患者では、個々の状況に応じた治療戦略の立案が必要となります。
僧帽弁逸脱症と僧帽弁脱出症の違い
僧帽弁疾患の中でも混同されやすい「僧帽弁逸脱症」と「僧帽弁脱出症」について、その違いと特徴を解説します。これらは似た用語ですが、病態生理学的には異なる状態を指します。
僧帽弁逸脱症(Mitral Valve Prolapse: MVP)
僧帽弁逸脱症は、心臓の収縮時に僧帽弁の弁尖が左心房側へ異常に膨らむ状態です。
特徴。
- 弁尖が余剰組織を持ち、弁輪面を超えて左心房側へ膨隆します
- 粘液腫様変性が主な原因で、腱索の伸長を伴うことが多いです
- 一般人口の2-3%に見られる比較的一般的な状態です
- 多くの場合は無症状で、偶然の心エコー検査で発見されます
症状(ある場合)。
合併症。
- 僧帽弁閉鎖不全症(逸脱が進行すると逆流を生じる)
- 腱索断裂(重度の逆流を急激に引き起こす可能性)
- 心内膜炎(リスクは軽度上昇)
- 不整脈(特に上室性不整脈)
僧帽弁脱出症(Mitral Valve Flail)
僧帽弁脱出症は、腱索の断裂により弁尖の支持が失われ、弁尖が左心房内に完全に反転してしまう状態です。
特徴。
- 腱索断裂が主な原因で、弁尖の制御が完全に失われています
- 弁尖が左心房内に完全に反転(脱出)します
- 逸脱症よりも重篤な状態です
- 急性または亜急性の重度僧帽弁閉鎖不全症を引き起こします
症状。
合併症。
- 重度の僧帽弁閉鎖不全症(ほぼ必発)
- 急性心不全
- 肺高血圧症
- 心房細動
両者の鑑別と診断
両者の鑑別には心エコー検査が最も有用です。
- 逸脱症:弁尖が弁輪面を2mm以上超えて左心房側へ膨隆するが、腱索は基本的に intact(無傷)
- 脱出症:腱索断裂により弁尖が左心房内に完全に反転し、制御を失った状態
治療アプローチの違い
- 逸脱症:無症状で逆流がない/軽度の場合は経過観察。中等度以上の逆流がある場合は弁形成術を検討。
- 脱出症:急性期の血行動態安定化後、早期の外科的介入(弁形成術または弁置換術)が必要。
僧帽弁逸脱症と脱出症は連続したスペクトラム上にあるとも考えられ、逸脱症が進行して腱索断裂を起こすと脱出症に移行することがあります。早期発見と適切な経過観察が重要であり、特に脱出症では迅速な診断と治療が予後を大きく左右します。
僧帽弁疾患と心房細動の関連性
僧帽弁疾患と心房細動は密接に関連しており、互いに影響を及ぼし合う重要な心疾患です。この関連性を理解することは、両疾患の適切な管理において非常に重要です。
僧帽弁疾患が心房細動を引き起こすメカニズム
僧帽弁疾患、特に僧帽弁狭窄症や閉鎖不全症は、以下のメカニズムで心房細動のリスクを高めます。
- 左心房の拡大。
- 僧帽弁狭窄症では、弁口の狭小化により左心房内の圧力が上昇し、左心房が拡大します。
- 僧帽弁閉鎖不全症では、逆流した血液により左心房の容量負荷が増大し、拡大を引き起こします。
- 拡大した左心房では電気的リモデリングが生じ、不整脈の基質が形成されます。
- 左心房壁のストレス。
- 圧力や容量の過負荷により、心房筋細胞が伸展されます。
- この伸展ストレスは、イオンチャネルの発現変化や細胞間結合の変化を引き起こします。
- 線維化の促進。
- 慢性的な圧負荷や容量負荷は、左心房の線維化を促進します。
- 線維化は電気的伝導の不均一性を生じさせ、リエントリー回路の形成を容易にします。
心房細動が僧帽弁疾患に与える影響
逆に、心房細動も僧帽弁疾患の進行や症状に影響を与えます。
- 心房収縮の喪失。
- 心房細動では心房の効果的な収縮が失われます。
- 特に僧帽弁狭窄症では、心房収縮が左心室充満に重要であるため、その喪失は心拍出量の低下を招きます。
- 頻脈による弁機能の悪化。
- 持続的な頻脈は、弁の閉鎖不全を悪化させる可能性があります。
- 心拍数が速いと弁の閉鎖時間が短縮し、逆流が増加することがあります。
- 血栓塞栓症のリスク増大。
- 僧帽弁疾患と心房細動の併存は、血栓形成リスクを相乗的に高めます。
- 特に僧帽弁狭窄症と心房細動の組み合わせは、脳梗塞などの塞栓症リスクが極めて高くなります。
臨床的意義と管理戦略
僧帽弁疾患と心房細動の関連性は、以下の臨床的アプローチに影響します。
- 抗凝固療法。
- 僧帽弁疾患と心房細動を併せ持つ患者では、抗凝固療法が必須です。
- 特に機械弁置換後や僧帽弁狭窄症では、直接作用型経口抗凝固薬(DOAC)よりもワルファリンが推奨されることが多いです。
- レートコントロールとリズムコントロール。
- 僧帽弁疾患患者の心房細動管理では、適切な心拍数コントロールが重要です。
- 一部の症例では、カテーテルアブレーションによるリズムコントロールも検討されます。
- 手術タイミングの決定。
- 心房細動の存在は、僧帽弁手術の適応や時期の決定に影響を与えることがあります。
- 僧帽弁手術と同時に外科的メイズ手術(心房細動の外科的治療)を行うことで、両疾患を同時に治療できる可能性があります。
僧帽弁疾患患者では、心房細動の早期発見と適切な管理が重要です。定期的な心電図検査や長時間心電図モニタリングが推奨され、特に症状の変化や塞栓症リスクの評価が必要です。両疾患の包括的な管理アプローチにより、予後の改善が期待できます。
小児における僧帽弁疾患の特徴と管理
小児の僧帽弁疾患は成人とは異なる特徴を持ち、診断から治療まで特別な配慮が必要です。成長過程にある小児の心臓に対する長期的な影響を考慮した管理が重要となります。
小児僧帽弁疾患の主な原因
小児における僧帽弁疾患の原因は成人とは異なり、以下のようなものがあります。
- 先天性異常。
- 僧帽弁裂隙(弁尖の不完全な融合)
- パラシュート僧帽弁(単一乳頭筋に全ての腱索が付着)
- ハンモック僧帽弁(弁下組織の異常)
- 僧帽弁低形成(弁輪が小さい)
- 先天性心疾患に伴うもの。
- 房室中隔欠損症
- 左心低形成症候群
- 大動脈縮窄症
- 後天性疾患。
- リウマチ熱(発展途上国では依然として重要な原因)
- 感染性心内膜炎
- 結合組織疾患(マルファン症候群など)
- 川崎病の合併症
小児特有の臨床像と診断
小児の僧帽弁疾患は以下のような特徴があります。
- 症状の非特異性。
- 乳幼児では哺乳困難、成長障害、頻回の呼吸器感染症として現れることがある
- 年長児では運動耐容能の低下、疲労感、息切れなどが主訴となる
- 診断の難しさ。
- 小児では心雑音が生理的なものと病的なものの鑑別が難しいことがある
- 症状の表現が難しく、特に幼児では症状の評価が困難
- 診断方法。
- 経胸壁心エコー検査が基本(小児では経食道心エコーの必要性は少ない)
- 心臓MRIは弁機能や心室機能の詳細な評価に有用
- 心臓カテーテル検査は主に介入治療の際に行われる
小児僧帽弁疾患の治療アプローチ
小児の僧帽弁疾患の治療は、成長を考慮した特別なアプローチが必要です。
- 薬物療法。
- カテーテル治療。
- 経皮的僧帽弁バルーン拡張術:リウマチ性僧帽弁狭窄症に対して
- 小児では他のカテーテル治療の適応は限られている
- 外科的治療。
- 弁形成術の優先。
- 成長に伴う弁輪拡大に対応できる
- 抗凝固療法が不要
- 小児では可能な限り弁形成術が選択される
- 弁置換術の課題。
- 成長に伴う人工弁のサイズ不適合
- 機械弁では生涯の抗凝固療法が必要
- 生体弁は劣化が早い(小児では10年以内に再手術が必要となることが多い)
- Ross II手術。
- 自己肺動脈弁を僧帽弁位に移植
- 肺動脈弁位にはホモグラフトを使用
- 成長に対応できる利点があるが、技術的に難しい
- 弁形成術の優先。
長期フォローアップと生活管理
小児僧帽弁疾患患者の長期管理には以下が重要です。
- 定期的な心エコー検査:弁機能と心室機能の評価
- 運動制限の適切な設定:過度の制限を避け、QOL維持と心肺機能発達の両立
- 感染予防:適切な歯科ケアと感染性心内膜炎予防
- 成人先天性心疾患専門医への移行:思春期以降の継続的な管理
小児の僧帽弁疾患は、成長に伴う心臓の変化を考慮した長期的な視点での管理が必要です。特に弁置換術を受けた小児では、成長に伴う再手術の可能性を含めた計画的な管理が重要となります。早期発見と適切な介入により、多くの小児が良好な長期予後を得ることができます。