ウィルソン病の症状と治療
ウィルソン病は、銅の代謝異常により体内に銅が過剰に蓄積する先天性疾患です。この疾患は常染色体劣性遺伝形式をとり、ATP7B遺伝子の変異によって引き起こされます。銅は体に必要な微量金属ですが、過剰に蓄積すると肝臓や脳をはじめとする全身の臓器に障害をもたらします。日本国内の患者数は約3,000人と推定されており、指定難病(指定難病171)に指定されています。
本記事では、ウィルソン病の症状から診断、治療法まで医療従事者向けに詳細に解説します。早期発見・早期治療が予後を大きく左右するこの疾患について、最新の知見を交えながら理解を深めていきましょう。
ウィルソン病の肝障害:症状と診断のポイント
ウィルソン病の臨床症状として最も一般的なのが肝障害です。特に小児期(3〜15歳)に肝障害として発見されることが多く、以下のような症状や所見が見られます。
多くの場合、無症状の段階で血液検査におけるAST(GOT)・ALT(GPT)などの肝機能異常を指摘されて発見されることもあります。治療が行われなければ、肝障害は徐々に進行し、以下のような状態に発展する可能性があります。
肝型のウィルソン病の診断には、血清セルロプラスミン値の低下(10mg/dL未満)、尿中銅排泄量の増加(80μg/日以上)、肝生検による肝銅含量の測定(250μg/g乾肝重量以上)などが重要な検査所見となります。また、クームス陰性溶血性貧血が見られることもあります。
肝障害の評価には、Child-Pugh分類が用いられ、スコアがB(7〜9点)またはC(10〜15点)の場合は重症と判断されます。
ウィルソン病の神経症状:発症機序と臨床像
ウィルソン病の神経症状は、主に思春期以降に出現することが多く、脳内に銅が蓄積することで様々な神経障害を引き起こします。神経型のウィルソン病では、以下のような症状が段階的に進行していきます。
初期症状
- 構音障害(ろれつが回らない)
- 微細運動障害(字を書くことや細かい作業が困難になる)
進行期症状
- 振戦(手足のふるえ)の増強
- 筋強剛(筋肉の硬直)
- ジストニア(筋肉が不随意に収縮し、体の一部がねじれる)
- 歩行障害(突然止まれなくなるなど)
- 表情の硬直
重度の症状
- 歩行不能
- 寝たきり状態
神経症状に加えて、精神症状も出現することがあります。
- 記憶力・計算力の低下
- 精神状態の不安定化
- 無気力
- うつ状態
- 統合失調症様の症状
神経症状の評価には、modified Rankin Scale(mRS)や食事・栄養、呼吸の評価スケールが用いられ、いずれかが3以上の場合は重症と判断されます。
神経型ウィルソン病の診断において特徴的な所見として、カイザー・フライシャー角膜輪があります。これは黒目(角膜)の周りに銅が沈着し、青緑色または黒緑褐色のリング状の線として観察されます。この角膜輪は肉眼ではっきりと確認できるのは思春期以降であることが多いです。また、頭部MRIで銅沈着の所見が認められることもあります。
ウィルソン病の治療法:銅キレート薬と亜鉛製剤の使い分け
ウィルソン病は適切な治療を行うことで症状の進行を抑制することができる疾患です。治療の基本は、体内の過剰な銅を排出するための薬物療法であり、現在日本では以下の3種類の経口薬が使用されています。
- 銅キレート薬
- D-ペニシラミン
- 塩酸トリエンチン(トリエンチン塩酸塩)
- 亜鉛製剤
- 酢酸亜鉛
これらの薬剤の作用機序と特徴は以下の通りです。
銅キレート薬(D-ペニシラミン、塩酸トリエンチン)
- 体内の銅と結合(キレート)し、尿中への銅排泄を促進
- 食間空腹時(食前1時間以上前、食後2時間以降)に服用する必要がある
- 効果を発揮するためには空腹時の服用が必須
亜鉛製剤(酢酸亜鉛)
- 腸管からの銅吸収を阻害する
- 食事中の銅吸収を妨げる
治療薬の選択は、病型や病状により異なります。
肝型ウィルソン病
- 肝障害が主体の場合は、銅キレート薬(D-ペニシラミンまたは塩酸トリエンチン)が第一選択となることが多い
神経型ウィルソン病
- 神経症状が軽度から中等度の場合:塩酸トリエンチン単剤
- 重度の神経症状(強いジストニアや急速に進行する症例):塩酸トリエンチンと酢酸亜鉛の併用
発症前型
- 酢酸亜鉛または塩酸トリエンチンの単剤投与
治療維持期
- 臨床症状や検査所見が安定している場合は、減量した銅キレート薬または酢酸亜鉛で治療を継続
重要なポイントとして、D-ペニシラミンは神経症状を一時的に悪化させる可能性があり(約10〜50%の症例で報告)、塩酸トリエンチンでも約20%の頻度で同様の現象が報告されています。一方、亜鉛製剤ではこのような一時的悪化はほとんど見られないとされています。
ただし、日本人のウィルソン病患者では、塩酸トリエンチンによる神経症状の一時的悪化は見られないか、あっても軽度であるという報告もあります。また、神経症状への治療効果はD-ペニシラミンよりも優れているとされています。
なお、劇症肝炎、肝不全、重度の肝硬変の場合は、肝移植が治療選択肢となります。肝移植後はウィルソン病の治療は不要となります。
ウィルソン病の食事療法:低銅食の重要性と実践方法
ウィルソン病の治療において、薬物療法と並行して重要なのが食事療法です。特に銅の摂取を控える「低銅食」が推奨されています。
銅を多く含む食品
- 貝類・甲殻類(牡蠣、エビ、カニなど)
- レバー(肝臓)
- 豆類(大豆製品を含む)
- 穀類(特に全粒穀物)
- ココア
- チョコレート
- ナッツ類(クルミ、アーモンドなど)
- きのこ類
- 乾燥果物
これらの食品は完全に禁止するのではなく、摂取量を控えめにすることが推奨されます。特に発症初期や症状が活動的な時期には、より厳格な制限が必要となる場合があります。
食事療法のポイント
- バランスの良い食事を心がける
- 銅を多く含む食品の摂取を控える
- 水道水から銅が溶出する可能性があるため、朝一番の水は飲用・調理に使用しない
- 銅製の調理器具の使用を避ける
- サプリメントに含まれる銅に注意する
食事療法だけでウィルソン病をコントロールすることはできませんが、薬物療法の効果を高め、症状の安定化に寄与します。栄養士や医師と相談しながら、個々の状態に合わせた食事計画を立てることが重要です。
ウィルソン病患者の長期管理:生涯治療と定期検査の必要性
ウィルソン病は生涯にわたる治療と管理が必要な疾患です。治療を中断すると症状が再燃・悪化し、致命的となる可能性もあります。長期管理において重要なポイントを解説します。
治療の継続性
ウィルソン病の治療薬(銅キレート薬、亜鉛製剤)は、症状が改善した後も生涯にわたって服用を継続する必要があります。治療の中断は症状の再燃や急激な悪化を招く恐れがあり、特に注意が必要です。
定期的な検査
以下の検査を定期的に行い、治療効果や副作用のモニタリングを行います。
薬剤の副作用モニタリング
各治療薬には特有の副作用があり、定期的な確認が必要です。
- D-ペニシラミン
- 皮疹、発熱、リンパ節腫脹
- 蛋白尿、血尿
- 血小板減少、白血球減少
- 味覚障害
- 塩酸トリエンチン
- 鉄欠乏性貧血
- 消化器症状(胃部不快感、悪心など)
- 酢酸亜鉛
- 消化器症状(胃部不快感、悪心など)
- 亜鉛過剰症(まれ)
妊娠・出産に関する管理
女性患者の妊娠・出産に際しては、特別な配慮が必要です。
- 妊娠中も治療の継続が必要(胎児の発育に銅は必要だが、母体の銅過剰状態は危険)
- D-ペニシラミンは減量が考慮される場合がある
- 塩酸トリエンチンや酢酸亜鉛は比較的安全とされる
- 妊娠中は頻回の検査でモニタリングが必要
小児患者の成人期への移行
小児期に診断されたウィルソン病患者が成人期に移行する際には、以下の点に注意が必要です。
- 小児科から内科・神経内科などへの円滑な診療移行
- 思春期・青年期における服薬コンプライアンスの維持
- 進学・就職などライフイベントに合わせた治療計画の調整
- 遺伝カウンセリングの提供
予後と生活の質
早期に診断され適切な治療が行われた場合、ウィルソン病患者の予後は比較的良好です。治療によって症状の進行を抑制し、正常に近い生活を送ることが可能となります。ただし、診断が遅れ重度の肝障害や神経障害が生じた場合は、完全な回復が難しいケースもあります。
患者の生活の質を向上させるためには、医療チーム(消化器内科、神経内科、精神科、栄養士など)による多角的なサポートが重要です。また、患者会などの社会的支援も活用することで、疾患と共に生きる上での情報共有や精神的サポートを得ることができます。
ウィルソン病友の会のウェブサイト。
ウィルソン病の長期管理において最も重要なのは、患者自身が疾患について正しく理解し、治療の必要性を認識することです。医療従事者は、患者教育と定期的なフォローアップを通じて、生涯にわたる治療の継続をサポートしていく役割を担っています。
ウィルソン病の最新研究動向:遺伝子治療の可能性
ウィルソン病の治療は、従来の銅キレート薬や亜鉛製剤による対症療法が中心ですが、近年は根本的な治療法の開発に向けた研究も進んでいます。特に遺伝子治療は、将来的に有望な治療選択肢となる可能性があります。
遺伝子治療研究の現状
ウィルソン病の原因遺伝子であるATP7B遺伝子を標的とした遺伝子治療の研究が進められています。アデノ随伴ウイルス(AAV)ベクターを用いて、正常なATP7B遺伝子を肝細胞に導入する方法が動物モデルで検討されています。
マウスモデルでの前臨床研究では、AAVベクターによる遺伝子導入後、肝臓での銅代謝が改善し、銅の蓄積が減少したという報告があります。また、長期間にわたって治療効果が持続する可能性も示唆されています。
新規治療薬の開発
従来の治療薬に加え、新たな作用機序を持つ薬剤の開発も進められています。
- メタロチオネイン誘導薬:体内の銅結合タンパク質であるメタロチオネインの産生を促進し、銅の無毒化を図る薬剤
- 銅トランスポーター調節薬:銅の細胞内輸送を調節する薬剤
- 抗酸化薬:銅過剰による酸化ストレスを軽減する薬剤
バイオマーカー研究
ウィルソン病の早期診断や治療効果のモニタリングに有用なバイオマーカーの研究も進んでいます。従来のセルロプラスミンや尿中銅排泄量に加え、以下のようなバイオマーカーが検討されています。
- 非セルロプラスミン結合銅(NCC):遊離銅の指標
- 酸化ストレスマーカー
- マイクロRNA(miRNA)プロファイル
個別化医療への展開
ウィルソン病は同じATP7B遺伝子の変異でも、症状の発現や重症度に個人差があります。遺伝子型と表現型の関連性の研究が進むことで、個々の患者に最適な治療法を選択する「個別化医療」の実現が期待されています。
国際共同研究
ウィルソン病は希少疾患であるため、国際的な研究ネットワークの構築が進められています。患者レジストリの整備や臨床試験の国際共同実施により、より効率的な研究開発が可能となっています。
日本においても、厚生労働省の難治性疾患政策研究事業として「新生児スクリーニング対象疾患等の先天代謝異常症の成人期にいたる診療体制構築と提供に関する研究班」が組織され、診療ガイドラインの整備や研究推進が図られています。
ウィルソン病の研究は着実に進展しており、将来的には生涯にわたる薬物療法に代わる、より根本的な治療法の実用化が期待されています。医療従事者は最新の研究動向にも注目しながら、現在利用可能な最善の治療を患者に提供していくことが重要です。
日本神経学会のウィルソン病診療ガイドラインに関する情報。