セリアック病の症状と治療
セリアック病は、小麦、大麦、ライ麦などに含まれるタンパク質であるグルテンに対して異常な免疫反応が生じ、小腸粘膜を攻撃してしまう自己免疫疾患です。この疾患は遺伝的要因と環境要因が複雑に絡み合って発症します。HLA-DQ2やDQ8という特定の遺伝子を持つ人がグルテンを摂取することで発症リスクが高まることが知られています。
セリアック病は世界的には人口の約1%が罹患していると言われていますが、日本ではこれまで比較的稀な疾患とされてきました。しかし、食生活の欧米化に伴い、近年では日本でも患者数が増加傾向にあります。特に、過敏性腸症候群(IBS)と診断されている患者の中にセリアック病が隠れているケースも少なくないとされています。
セリアック病の消化器症状と診断の難しさ
セリアック病の消化器症状は多岐にわたります。成人では下痢、腹痛、腹部膨満感、便秘、吐き気、嘔吐などが主な症状として現れます。特に特徴的なのは、脂肪便と呼ばれる悪臭を放つ蒼白で体積の大きい脂ぎった便が見られることです。これはグルテンによる小腸粘膜の障害により、脂肪の消化吸収が妨げられるために起こります。
しかし、セリアック病の診断を難しくしている要因の一つは、すべての患者さんが典型的な消化器症状を示すわけではないという点です。実際、成人のセリアック病患者の約半数以上は消化器症状をほとんど示さないか、非常に軽微な症状しか示さないことがあります。また、症状の重症度は小腸がどれだけ障害を受けているかによって大きく異なります。
さらに、セリアック病の症状は他の消化器疾患、特に過敏性腸症候群(IBS)と類似していることが多いため、誤診されるケースも少なくありません。IBSと診断された患者の中には、実はセリアック病であったというケースも報告されています。
セリアック病の全身症状と長期的な健康リスク
セリアック病は消化器症状だけでなく、全身にさまざまな影響を及ぼします。小腸粘膜の障害により栄養素の吸収が妨げられるため、栄養不良状態に陥りやすくなります。特に鉄分、カルシウム、ビタミンD、ビタミンB12、葉酸などの吸収障害が起こりやすいです。
これらの栄養素の欠乏により、以下のような全身症状が現れることがあります。
- 鉄欠乏性貧血(倦怠感、めまい、息切れなど)
- 骨密度低下(骨粗鬆症、骨軟化症)
- 神経障害(手足のしびれ、バランス障害、認知機能障害)
- 関節痛
- 不妊症や月経異常
- 成長障害(小児の場合)
- 皮膚症状(疱疹状皮膚炎)
- 口内炎や舌炎
- うつ症状や不安
特に特徴的な症状として、約10%のセリアック病患者に見られる疱疹状皮膚炎(dermatitis herpetiformis)があります。これは小さな水疱に痛みとかゆみを伴う発疹が肘、膝、臀部、頭皮などに現れる皮膚疾患で、セリアック病の皮膚症状として知られています。
長期間未治療のままセリアック病が続くと、悪性リンパ腫や小腸がんなどの合併症リスクが高まることも報告されています。特に難治性のセリアック病では、腸管の慢性炎症が続くことで、10〜20年後にこれらの悪性疾患が発生する可能性があります。
セリアック病の診断方法と検査の進め方
セリアック病の診断は、症状の評価、血清学的検査、小腸生検、遺伝子検査などを組み合わせて行われます。診断の流れは以下のようになります。
- 症状評価と問診:消化器症状や全身症状の有無、家族歴などを詳しく聴取します。
- 血清学的検査。
- 組織トランスグルタミナーゼ(tTG)IgA抗体
- 抗エンドミシウム抗体(EMA)
- 抗グリアジン抗体(AGA)
- 脱アミド化グリアジンペプチド(DGP)抗体
これらの抗体検査は、グルテン摂取中に行う必要があります。グルテン除去食を始めた後では偽陰性となる可能性があります。
- 小腸生検:上部消化管内視鏡検査で十二指腸から生検を行い、絨毛萎縮や陰窩過形成、上皮内リンパ球増加などの特徴的な組織学的変化を確認します。これがセリアック病診断の確定検査となります。
- HLA遺伝子検査:HLA-DQ2またはDQ8の存在を確認します。これらの遺伝子型がない場合、セリアック病の可能性はほぼ否定できます。ただし、これらの遺伝子を持つ人の多くはセリアック病を発症しないため、陽性結果だけでは診断確定にはなりません。
- グルテン負荷試験:診断が不確かな場合や、すでにグルテン除去食を始めている場合に行われることがあります。
日本ではセリアック病の検査は大学病院などの専門施設で受けることができます。過敏性腸症候群と診断されている患者さんで、通常の治療で症状が改善しない場合には、セリアック病の可能性も考慮して検査を検討する価値があります。
セリアック病の治療法とグルテン除去食の実践
セリアック病の基本的な治療法は、生涯にわたるグルテン除去食(Gluten-Free Diet: GFD)です。グルテンを含む食品を完全に避けることで、小腸粘膜の炎症を抑え、組織の修復を促します。多くの患者さんでは、グルテン除去食を始めてから1〜2週間で症状の改善が見られ、数ヶ月で小腸粘膜の修復が進みます。
グルテンを含む食品(避けるべきもの)。
- 小麦(パン、パスタ、うどん、菓子類など)
- 大麦(麦茶、ビールなど)
- ライ麦
- これらを原料とする加工食品(醤油、麦芽、麦芽酢など)
グルテンを含まない代替食品。
- 米(米粉製品を含む)
- とうもろこし(コーンスターチ、ポップコーンなど)
- じゃがいも
- そば(純粋なそば粉の場合)
- あわ、ひえ、きび
- キヌア、アマランサスなどの擬似穀物
- 豆類
- ナッツ類
- 果物、野菜
グルテン除去食を実践する際の注意点として、加工食品に隠れたグルテンの存在があります。例えば、以下のような食品にもグルテンが含まれていることがあります。
- 醤油(小麦を使用しているもの)
- 麦芽酢
- ブイヨンキューブ
- ソース類
- プロセスチーズ
- アイスクリーム
- 一部の薬剤やサプリメント
グルテン除去食の実践には、栄養士のサポートを受けることが推奨されます。特に初期段階では、食品ラベルの読み方や代替食品の選び方、栄養バランスの取り方などについて専門家のアドバイスが役立ちます。
セリアック病の難治例に対する最新治療アプローチ
グルテン除去食を厳格に実践しても症状が改善しない患者さんが約5%存在し、これを難治性セリアック病と呼びます。難治性セリアック病に対しては、以下のような治療アプローチが検討されています。
- ステロイド療法。
従来のステロイド治療は効果が認められるものの、全身性の副作用が問題となっていました。近年では、オープンブデソニドという新しい治療法が注目されています。これはブデソニド(局所作用型ステロイド)のカプセルを開け、粉状の薬剤を直接服用する方法です。局所での炎症を抑えつつ、肝臓で不活性化されるため全身性の副作用が少ないという利点があります。
- 免疫抑制剤。
アザチオプリンなどの免疫抑制剤を使用して、T細胞などの免疫反応を抑制する治療法も難治例に対して用いられています。
- 生物学的製剤。
抗TNF-α抗体などの生物学的製剤の使用も研究されていますが、まだ臨床試験段階のものが多いです。
- グルテン分解酵素。
グルテンを分解する酵素サプリメントの開発も進められていますが、現時点では補助的な使用にとどまっています。
- グルテンワクチン。
グルテンに対する免疫寛容を誘導するワクチンの開発も進行中です。
これらの新しい治療法は、まだ研究段階のものも多く、標準治療として確立されているわけではありません。しかし、難治性セリアック病の患者さんにとっては、将来的な治療の選択肢として期待されています。
日本消化器病学会雑誌に掲載されたセリアック病の最新知見に関する総説
セリアック病の栄養管理と長期フォローアップの重要性
セリアック病患者の栄養管理は治療の重要な柱です。グルテン除去食を実践する際には、以下の栄養素の摂取に特に注意が必要です。
- 鉄分:鉄欠乏性貧血はセリアック病でよく見られる合併症です。鉄分を多く含む食品(赤身肉、レバー、ほうれん草、豆類など)を積極的に摂取し、必要に応じて鉄剤の補充を行います。
- カルシウムとビタミンD:骨密度低下を防ぐために重要です。乳製品、小魚、緑黄色野菜などからのカルシウム摂取と、日光浴や食品からのビタミンD摂取を心がけます。
- ビタミンB群:特にB12と葉酸は吸収障害が起こりやすいため、肉類、魚類、卵、緑黄色野菜などからの摂取を意識します。
- 食物繊維:グルテン含有穀物を避けることで食物繊維摂取が不足しがちになるため、野菜、果物、グルテンフリーの全粒穀物などから十分に摂取します。
セリアック病の長期フォローアップも非常に重要です。定期的な検査によって、以下の点を評価します。
- 症状の改善状況
- 栄養状態(血液検査による各種栄養素の評価)
- 骨密度検査
- 抗体検査(グルテン除去食の遵守状況の指標)
- 内視鏡検査(小腸粘膜の回復状況の評価)
- 合併症のスクリーニング(特に悪性リンパ腫などのリスク評価)
特に難治例の患者さんでは、腸管の慢性炎症が続くことで悪性リンパ腫や小腸がんのリスクが高まるため、10〜20年後を見据えた定期的なフォローアップが必要です。内視鏡検査によって小腸粘膜の異常を早期に発見することが重要となります。
また、セリアック病患者の家族も発症リスクが高いため、一親等の親族に対しては検査を勧めることも検討すべきでしょう。
セリアック病患者の長期フォローアップに関する国際的なガイドライン
セリアック病は完治することは難しいものの、適切な食事療法と定期的なフォローアップによって、多くの患者さんは症状のない健康的な生活を送ることができます。医療従事者として、セリアック病の可能性を念頭に置いた診療と、診断後の適切な管理を行うことが重要です。