HER2陽性乳がんの治療と最新進展について

HER2陽性乳がんの特徴と治療

 

HER2陽性乳がんの基本情報
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発生頻度

乳がん全体の約15~20%を占める

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特徴

増殖が早く、転移リスクが高い

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治療の進展

標的療法の開発により予後が劇的に改善

 

HER2陽性乳がんの分子メカニズムと特性

HER2陽性乳がんは、がん細胞表面にHER2(ヒト上皮成長因子受容体2)というタンパク質が過剰に発現していることが特徴です。HER2はHER Familyというタンパク質グループの一つで、HER1からHER4まで存在する中の2番目のタンパク質です。これらは細胞膜を通して外部からの刺激を核に伝達し、細胞分裂や生存に関わる信号を与えます。

正常な細胞にもHER2は存在していますが、HER2陽性乳がんでは遺伝子増幅によってHER2タンパク質が過剰に産生されます。この過剰発現により、がん細胞は制御不能に増殖し、より攻撃的な性質を持つようになります。

HER2陽性乳がんの特徴として以下が挙げられます。

  • 増殖速度が速い
  • 転移しやすい
  • 若年者に多い傾向がある
  • 診断時に進行している場合が多い
  • 適切な治療がなければ予後不良

日本において乳がんは女性の癌の中で最も発生頻度が高く、2020年には約9.2万人が新たに診断されています。その中でHER2陽性乳がんは全体の15~20%を占めており、特に注意が必要なサブタイプとされています。

日本乳癌学会の乳がん診療ガイドライン 2023年版

HER2陽性乳がんの診断方法と精度

HER2陽性乳がんの診断には、主に2つの検査方法が用いられます。これらの検査は乳がんの組織検体を用いて行われ、治療方針を決定する上で非常に重要な役割を果たします。

1. 免疫組織化学染色法(IHC)

IHCはHER2タンパク質の発現レベルを測定する検査で、結果は以下のようにスコア化されます。

  • スコア0または1+:HER2陰性
  • スコア2+:境界域(equivocal)
  • スコア3+:HER2陽性

スコア2+の場合は、結果が曖昧であるため、より精密なFISH検査が追加で行われます。

2. 蛍光in situハイブリダイゼーション(FISH)

FISHはHER2遺伝子の増幅の有無を直接確認する検査です。HER2遺伝子のコピー数が基準値を超えている場合、HER2陽性と診断されます。FISH検査はIHC検査よりも感度と特異度が高いとされていますが、コストが高く、特殊な設備が必要なため、通常はIHCでスコア2+と判定された場合に実施されます。

診断の精度を高めるために、American Society of Clinical Oncology(ASCO)と College of American Pathologists(CAP)によるガイドラインが定期的に更新されています。最新のガイドラインでは、より正確な診断のための基準が示されており、偽陽性や偽陰性を減らすための取り組みが行われています。

重要なのは、再発・転移時には再度生検を行い、HER2の状態を確認することです。約10%の症例では、初発時と再発時でHER2の状態が変化することがあります。特にホルモン受容体陽性の患者さんで、ホルモン療法を長期間受けた後にHER2陽性に変化するケースが報告されています。

HER2陽性乳がんの標的療法の進化と効果

HER2陽性乳がんの治療は、2000年前後にトラスツズマブ(ハーセプチン)が登場して以降、劇的な進歩を遂げています。かつては予後不良とされていたHER2陽性乳がんも、現在では適切な治療により良好な治療成績が得られるようになりました。

HER2標的療法の進化

  1. 第一世代:トラスツズマブ(ハーセプチン)
    • 2001年に日本で承認
    • HER2に特異的に結合するモノクローナル抗体
    • 術後補助療法として1年間投与することで再発リスクを約50%低減
  2. 第二世代:ラパチニブ(タイケルブ)
    • HER1とHER2の両方を標的とする小分子チロシンキナーゼ阻害剤
    • トラスツズマブ耐性例にも効果を示す
  3. 第三世代:ペルツズマブ(パージェタ)
    • トラスツズマブとは異なるHER2の部位に結合
    • トラスツズマブとの併用で相乗効果を発揮
  4. 抗体薬物複合体(ADC):トラスツズマブ エムタンシン(T-DM1、カドサイラ
    • トラスツズマブに細胞毒性物質を結合させた薬剤
    • がん細胞特異的に細胞毒を届けることで副作用を軽減
  5. 最新の治療薬:ツカチニブ
    • 2025年3月に日本で承認された新薬
    • HER2を特異的に標的とする小分子チロシンキナーゼ阻害剤
    • 脳転移例にも効果が期待される

これらの標的療法の登場により、HER2陽性乳がんの治療成績は飛躍的に向上しました。特に早期乳がんに対する術後補助療法としてのトラスツズマブの導入は、再発率を半減させ、生存率を大幅に改善しました。

治療効果と予後

HER2標的療法の導入前は、HER2陽性乳がんの予後は不良でしたが、現在では適切な治療により、他のサブタイプと同等かそれ以上の治療成績が得られるようになっています。

  • 早期HER2陽性乳がん:術後補助療法としてのトラスツズマブ投与により、10年無病生存率は約75%に向上
  • 進行・再発HER2陽性乳がん:複数の標的療法の組み合わせにより、全生存期間の中央値は4年以上に延長

最近の臨床試験では、早期HER2陽性乳がんに対する術前化学療法と標的療法の併用により、病理学的完全奏効(pCR)率が60%以上に達することも報告されています。pCRが得られた患者さんの長期予後は非常に良好であることが知られています。

HER2陽性乳がんの化学療法と併用戦略

HER2陽性乳がんの治療では、HER2標的療法に加えて化学療法も重要な役割を果たします。HER2標的療法単独よりも、化学療法との併用によって高い治療効果が得られることが多くの臨床試験で示されています。

化学療法レジメンの選択

HER2陽性乳がんに対して一般的に使用される化学療法レジメンには以下のようなものがあります。

  1. アンスラサイクリン系薬剤(ドキソルビシン、エピルビシンなど)
    • DNA複製を阻害することでがん細胞の増殖を抑制
    • 心毒性に注意が必要
  2. タキサン系薬剤(パクリタキセル、ドセタキセルなど)
    • 微小管の機能を阻害することで細胞分裂を抑制
    • 末梢神経障害が主な副作用
  3. その他の薬剤(カルボプラチン、シクロホスファミドなど)
    • DNA損傷を引き起こし、がん細胞の増殖を抑制

治療戦略と併用パターン

  1. 早期HER2陽性乳がんの場合
    • 術前/術後補助療法:アンスラサイクリン→タキサン+トラスツズマブ(+ペルツズマブ)
    • 心機能に問題がある場合:TCH療法(ドセタキセル+カルボプラチン+トラスツズマブ)
  2. 進行・再発HER2陽性乳がんの場合
    • 一次治療:タキサン+トラスツズマブ+ペルツズマブ
    • 二次治療:T-DM1(トラスツズマブ エムタンシン)
    • 三次治療以降:ツカチニブ+トラスツズマブ+カペシタビンなど

化学療法の選択にあたっては、患者さんの年齢、全身状態、併存疾患、以前の治療歴などを考慮する必要があります。特に心機能低下のリスクがある患者さんでは、アンスラサイクリン系薬剤の使用に注意が必要です。

副作用管理

HER2標的療法と化学療法の併用では、それぞれの薬剤特有の副作用に注意が必要です。主な副作用とその管理方法は以下の通りです。

  • 心毒性:トラスツズマブとアンスラサイクリン系薬剤の併用で増強するため、定期的な心機能評価が必要
  • 骨髄抑制:G-CSF製剤の予防的投与を検討
  • 末梢神経障害:早期発見と用量調整が重要
  • 下痢:特にラパチニブやツカチニブでは高頻度に発生するため、適切な対症療法が必要
  • 手掌・足底発赤知覚不全症候群:ツカチニブなどのチロシンキナーゼ阻害剤で発現することがある

最近の臨床試験では、化学療法の減量や期間短縮によっても十分な効果が得られる可能性が示されており、患者さんの負担軽減のための研究が進められています。

HER2陽性乳がんの地域差と筋肉適応の新知見

HER2陽性乳がんの発生率や治療反応性には、地域や人種による差異が存在することが近年の研究で明らかになってきました。また、HER2陽性乳がん患者の筋肉適応に関する新たな知見も注目されています。

地域差と人種差

HER2陽性乳がんの発生率は地域によって異なることが報告されています。

  • アジア系人種:約20~25%
  • 欧米白人:約15~20%
  • アフリカ系アメリカ人:約17~20%

これらの差異は遺伝的背景や環境要因、生活習慣などの複合的な要素によるものと考えられています。また、治療反応性にも人種差が存在する可能性があり、アジア人ではトラスツズマブに対する反応が良好である一方、特定の副作用(例:間質性肺炎)のリスクが高い傾向が指摘されています。

日本人のHER2陽性乳がん患者は、欧米の患者と比較して以下の特徴があるとされています。

  • 若年発症の割合が比較的高い
  • 腫瘍サイズが小さい傾向がある
  • ホルモン受容体との共発現率が高い

筋肉適応と運動療法の新知見

最近の研究では、HER2陽性乳がん患者における筋肉適応と運動療法の重要性が注目されています。2024年に発表された研究によると、筋肉の大きさと構造は運動トレーニング後に変化しますが、その変化は筋肉の部位によって異なることが示されています。

この研究では、筋肉の肥大(筋肉の大きさの増加)は筋肉内の異なる領域で均一ではなく、筋肉の長さに沿って複数の部位で測定することの重要性が強調されています。これは、HER2陽性乳がん患者を含むがん患者のリハビリテーションプログラムを設計する上で重要な知見です。

特にHER2陽性乳がん患者では、標的療法や化学療法による筋力低下や筋肉量減少が問題となることがあります。適切な運動療法を取り入れることで、以下のような効果が期待できます。

  1. 治療中の筋肉量維持
  2. 副作用(特に疲労感)の軽減
  3. 生活の質(QOL)の向上
  4. 長期的な予後の改善

運動療法を計画する際には、筋肉の異なる部位での適応を考慮し、複数の筋肉グループをターゲットにした包括的なプログラムを設計することが推奨されます。また、運動強度や頻度は個々の患者の状態に合わせて調整する必要があります。

参考:筋肉の大きさと構造に関する最新研究(2024年)

HER2陽性乳がん患者に対する運動療法は、治療の副作用管理と生活の質の向上に貢献する重要な支持療法の一つとして、今後さらに研究が進むことが期待されています。