授乳中ロキソニン60と産婦人科
授乳中のロキソニン60服用の安全性と赤ちゃんへの影響
産後の育児において、会陰切開の傷の痛み、後陣痛、乳腺炎、あるいは頭痛や歯痛など、母親が激しい痛みに見舞われる場面は少なくありません。その際、多くの産婦人科で処方されるのが「ロキソニン錠60mg(一般名:ロキソプロフェンナトリウム水和物)」です。しかし、添付文書には「授乳を避けること」といった記載があるため、多くの母親が「赤ちゃんに影響があるのではないか」と不安を抱きます。
結論から申し上げますと、授乳中にロキソニン60mgを服用することは、医学的にほぼ問題がないとされています。
この根拠となるのが、薬の「母乳移行率」に関するデータです。ロキソプロフェンは、服用後に体内で代謝されて効果を発揮する「プロドラッグ」という性質を持っています。日本の製薬会社の研究データによると、授乳中の女性にロキソニン60mgを経口投与した場合、母乳中への薬物移行量は検出限界以下(0.02μg/mL未満)であったという報告があります。
- 検出限界以下とは?
最新の分析機器を使っても検出できないほど微量、あるいは全く含まれていないレベルであることを指します。
- RID(Relative Infant Dose:相対乳児投与量)
母親が摂取した薬の量に対して、母乳を通じて赤ちゃんが摂取してしまう割合を示す指標です。一般的にRIDが10%以下であれば、授乳中でも安全に使用できるとされていますが、ロキソニンの場合は0.06%以下と極めて低い数値が算出されています。
また、ロキソプロフェンは半減期(薬の血中濃度が半分になる時間)が非常に短いため、体内に長時間留まり続ける薬ではありません。このため、万が一微量が母乳に含まれたとしても、赤ちゃんの代謝機能に負担をかける可能性は極めて低いと考えられています。
ただし、新生児(生後28日未満)や早産児など、代謝機能が未熟な赤ちゃんの場合や、赤ちゃん自身に何らかの疾患がある場合は、念のため小児科医や産婦人科医に相談することが推奨されます。しかし、一般的な健康な乳児であれば、母親がロキソニンを服用したからといって、授乳を中断したり、搾乳して捨てたりする必要はないというのが、現在の産婦人科医療のスタンダードな見解です。
国立成育医療研究センター:授乳中に安全に使用できると考えられる薬
授乳中のロキソニン60の血中濃度と授乳間隔の時間
ロキソニンを服用する際、より安全性を高めるために意識したいのが「服用のタイミング」と「授乳間隔」です。薬の血中濃度がピークになる時間を避けて授乳することで、理論上のリスクをさらにゼロに近づけることができます。
ロキソニン(ロキソプロフェン)の体内動態は以下のようになっています。
- 最高血中濃度到達時間(Tmax)
- 未変化体(ロキソプロフェン):約30分
- 活性代謝物(trans-OH体):約50分
- 血中消失半減期(T1/2)
- 約1時間15分(1.25時間)
このデータからわかることは、服用してから約30分〜1時間後に、血液中の薬の濃度が最も高くなるということです。その後、約1時間15分ごとに濃度は半分、またその半分へと急速に低下していきます。
この薬物動態に基づいた、最も推奨される服用タイミングは以下の2つです。
- 授乳直後の服用
授乳が終わった直後に薬を飲めば、次の授乳までの時間が最も長く空くことになります。新生児の場合、授乳間隔は2〜3時間おきであることが多いですが、ロキソニンの半減期は約1.25時間なので、次の授乳時には血中濃度はピーク時の4分の1以下にまで下がっています。
- 授乳直前の服用
「えっ、直前で大丈夫?」と思われるかもしれませんが、薬を飲んでから胃で溶け、腸から吸収されて血液中に入るまでには最短でも15〜30分かかります。つまり、飲んですぐに授乳を始めれば、薬の成分が血液(そして母乳)に移行する前に授乳を終えることができるのです。
「薬を飲んだら24時間授乳をあけるべき」という情報をネットで見かけることがありますが、ロキソニンに関してはこれは誤解です。ロキソニンのような排泄の早い薬で24時間も空ける必要はなく、むしろ授乳を中断することで乳腺炎のリスクが高まったり、母乳分泌が低下したりするデメリットの方が大きくなります。
また、ロキソプロフェンは「蛋白結合率」が高い(約97%以上)という特徴があります。血液中の薬の成分の多くがタンパク質と結合しており、タンパク質と結合した薬は分子が大きくなるため、母乳中へ移行しにくくなります。この性質も、ロキソニンが授乳中に使いやすい理由の一つです。
授乳中のロキソニン60による疼痛緩和が母乳分泌に与えるメリット
多くの記事では「薬の安全性」にばかり焦点が当てられますが、ここでは「母親の痛みを取り除くことが、母乳育児にどのようなプラスの影響を与えるか」という、生理学的な視点から解説します。これは検索上位の記事ではあまり深く触れられていない、しかし非常に重要なポイントです。
母乳の分泌には、主に2つのホルモンが関わっています。
このうち、オキシトシンは非常にデリケートなホルモンであり、精神的なストレスや身体的な「痛み」によって分泌が強く抑制されることが分かっています。これを「オキシトシン反射(射乳反射)の阻害」と呼びます。
もし母親が「薬は赤ちゃんに悪いから」と我慢して激しい痛みに耐えながら授乳をしていると、次のような悪循環に陥る可能性があります。
- 痛みが強いと、交感神経が優位になり、体は緊張状態(ストレス状態)になる。
- ストレスによりオキシトシンの分泌が抑制される。
- 赤ちゃんが吸っても母乳がスムーズに出てこない(射乳反射が起きない)。
- 赤ちゃんが満足に飲めず、ぐずったり、乳首を強く噛んだりして、さらに痛みが増す。
- 飲み残しが発生し、乳腺炎のリスクが高まる。
つまり、痛みを我慢することは、結果的に母乳育児を困難にしてしまうのです。
逆に、ロキソニンなどの鎮痛剤を適切に使用して痛みを取り除くことは、以下のようなメリットを生み出します。
- リラックス効果:痛みが和らぐことで副交感神経が優位になり、オキシトシンが出やすくなる。
- スムーズな授乳:射乳反射が正常に働き、赤ちゃんが飲みやすくなる。
- 育児への前向きな気持ち:痛みのストレスから解放されることで、赤ちゃんへの愛着形成や育児意欲が保たれる。
産婦人科医が授乳中のロキソニンを処方するのは、単に「安全だから」というだけでなく、「母親のQOL(生活の質)を守ることが、結果として赤ちゃんの健やかな成長につながる」と理解しているからです。痛み止めを使うことに罪悪感を持つ必要はありません。むしろ、賢く薬を使って笑顔で赤ちゃんに接することの方が、育児全体にとってはプラスに働きます。
授乳中のロキソニン60とカロナールなどの他鎮痛剤との比較
授乳中によく処方される鎮痛剤には、ロキソニン以外にもいくつか種類があります。代表的なのが「カロナール(成分名:アセトアミノフェン)」や「ボルタレン(成分名:ジクロフェナクナトリウム)」です。それぞれの特徴と使い分けについて比較表で確認しましょう。
薬剤名(成分名) 授乳中の安全性(RID) 鎮痛効果 特徴と使い分け カロナール(アセトアミノフェン) 極めて高い(RID < 1-2%) 穏やか 最も安全性が高いとされる第一選択薬。脳の体温調節中枢に作用。抗炎症作用は弱いため、腫れを伴う痛みには効きにくい場合がある。 ロキソニン(ロキソプロフェン) 高い(RID < 0.06%) 強い 炎症を抑えるNSAIDs(非ステロイド性抗炎症薬)。産後の傷の痛みや乳腺炎など、炎症を伴う痛みに効果的。胃への負担が比較的少ない。 ボルタレン(ジクロフェナク) 高い(RID < 1-2%) 非常に強い ロキソニンより強力だが、その分胃腸障害などの副作用リスクもやや高い。非常に激しい痛みの際に頓服として使われることがある。 イブ(イブプロフェン) 高い(RID < 0.6%) 強い ロキソニンと同じNSAIDs。市販薬としても一般的。世界的に授乳中の安全性が確立されており、海外では第一選択となることも多い。 ■ カロナール(アセトアミノフェン)との違い
多くの産婦人科では、まず安全性が最も確立されている「カロナール」が処方されます。しかし、カロナールは「抗炎症作用(腫れを引かせる力)」が弱いため、会陰切開の傷の痛みや、乳腺炎のズキズキとした痛みには十分な効果が得られないことがあります。
その点、ロキソニンは「炎症」そのものを抑える力が強いため、産後の痛みには非常に効果的です。「カロナールでは痛みが引かない」という場合に、ロキソニンに切り替えることは理にかなった選択です。
■ 市販薬(OTC医薬品)の使用について
ドラッグストアで売られている「ロキソニンS」などは、医療用と同じ成分(ロキソプロフェンナトリウム水和物)が含まれています。基本的には病院で処方されるものと同じと考えて差し支えありません。
ただし、市販薬の中には「ロキソニンSプレミアム」のように、鎮痛成分以外に「鎮静成分(アリルイソプロピルアセチル尿素など)」や「カフェイン」が配合されているものがあります。
- 鎮静成分:眠気を催す成分。赤ちゃんにも移行して、赤ちゃんが眠り続けたり、哺乳力が低下したりするリスクがわずかながらあります。
- カフェイン:赤ちゃんが興奮して寝付きが悪くなる可能性があります。
授乳中に市販のロキソニンを購入する場合は、余計な成分が入っていないシンプルな「ロキソニンS」や、薬剤師に相談して単一成分の製剤を選ぶことが重要です。パッケージの裏面を見て、成分が「ロキソプロフェンナトリウム水和物」だけであるかを確認しましょう。
授乳中のロキソニン60に関する国立成育医療研究センターや添付文書の見解
最後に、公的な情報源や添付文書の記載と、実際の臨床現場での扱いのギャップについて解説します。ここを理解しておくと、添付文書を読んだ時の不安が解消されるはずです。
■ 添付文書の記載
ロキソニン錠の添付文書(薬の説明書)には、以下のように記載されています。
「授乳中の婦人には本剤投与中は授乳を避けさせること。[ヒト母乳中への移行が報告されている。]」
これだけを読むと、「絶対に飲んではいけない」「飲んだら断乳しなければならない」と思ってしまいます。しかし、これは製薬会社が「念のために最大限のリスク回避」をして書いている定型文であり、必ずしも最新の臨床データを反映した「禁止命令」ではありません。日本では、少しでも母乳移行の可能性がある薬には一律でこのような記載をする慣習が長く続いてきました。
■ 国立成育医療研究センターの見解
一方で、日本の小児医療・周産期医療の拠点である「国立成育医療研究センター」の「妊娠と薬情報センター」では、最新の世界的データに基づいて、授乳中に安全に使用できる薬のリストを公開しています。
このリストにおいて、ロキソプロフェン(ロキソニン)は、「授乳中に安全に使用できると考えられる薬」に分類されています。
同センターは、添付文書の記載に関わらず、以下の理由から使用可能と判断しています。
- 母乳への移行量が極めて微量であること。
- 赤ちゃんに重篤な副作用が起きた報告がないこと。
- 世界中の研究データ(LactMedなど)で安全性が支持されていること。
■ 医師への相談の仕方
産婦人科医は、この「添付文書」と「臨床データ」の両方を知った上で、メリットがリスクを上回ると判断して処方しています。もし不安な場合は、医師に以下のように確認してみると良いでしょう。
- 「添付文書には授乳を避けるとありますが、先生の経験上、授乳を続けても大丈夫でしょうか?」
- 「痛みが強くて辛いのですが、カロナールでは効きません。ロキソニンを飲んだ直後に授乳しても平気ですか?」
医師も、患者さんの不安を取り除く義務があります。多くの医師は、「データ上ほとんど移行しないので大丈夫ですよ」「心配なら授乳直後に飲んでください」と明確に答えてくれるはずです。
自己判断で痛みを我慢してストレスを溜めるのではなく、信頼できる医療機関の情報を基に、適切に薬を使用して、快適な授乳期間を過ごしてください。
