ソーレー帯とヘムの構造と測定

ソーレー帯とヘムの関係

この記事のポイント
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ソーレー帯とは

400nm付近の青色領域における強い吸収ピークで、ポルフィリン化合物の特徴的なスペクトル

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ヘムとの関係

ヘムタンパク質の分析や酸化還元状態の測定に広く活用されている吸収帯

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医療への応用

シトクロムの測定や酵素活性の評価など、臨床検査で重要な測定法

ソーレー帯とヘムの基本的な構造

ソーレー帯は、可視スペクトルの青色波長領域における強いピークであり、400nm付近に極大吸収を示す特徴的な吸収帯です。この現象は、π-π*遷移を起こす電気双極子移動によって主に発生し、ポルフィリン化合物において最もよく観察されます。名称は、この現象を発見したスイスの科学者ジャック=ルイ・ソレに因んで命名されました。

参考)ソーレー帯 – Wikipedia


ヘムは、4個のピロール環が4個のメチン橋で結合した環状化合物であるポルフィリン環の中心に鉄イオンが配位した構造を持っています。ポルフィリンは26個のπ電子共役系を持ち、このπ電子の遷移に基づいて紫外から可視波長領域に強い吸収スペクトルを示します。この構造的特徴により、ヘムを含むタンパク質は独特の光学特性を示し、ソーレー帯による分析が可能となります。

参考)https://kenko-eiyo.bigmind.me/wp/wp-content/uploads/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%A0%E3%81%AE%E7%94%9F%E5%8C%96%E5%AD%A6-1.pdf


ポルフィリン化合物の吸収スペクトルには、ソーレー帯以外にもQ帯と呼ばれる吸収帯が存在します。Q帯は600nmから900nmの波長領域に対応し、ポルフィリンではソーレー帯に比べて吸収が小さい特徴があります。これら二つの吸収帯は、分子軌道のHOMOからLUMOへの電子遷移における角運動量の違いによって生じており、ソーレー帯はΔml = ±1、Q帯はΔml = ±9の励起状態に帰属されます。

参考)ソーレー帯 (Soret band) href=”https://www.chem-station.com/chemglossary/2014/12/soret-band-q-band.html” target=”_blank”>https://www.chem-station.com/chemglossary/2014/12/soret-band-q-band.htmlamp;#038; Q帯 (…

ヘムタンパク質におけるソーレー帯の測定

ヘムタンパク質の分析研究では、紫外可視分光法を用いて励起波長としてそれぞれのソーレー帯の波長が使用されます。例えば、シトクロムP450は一酸化炭素で飽和された還元型で450nmのソーレーピークを示し、これはCO差スペクトル試験と呼ばれる測定法に利用されています。P450が変性している場合、このピークは420nmにシフトするため、酵素の状態を評価する指標として活用されます。​
ヘムタンパク質の吸光度スペクトル測定の詳細(Ocean Photonics)
ヘムグループの状態によって変化する吸収スペクトルの形状について、実際の測定例とともに解説されています。

参考)生理学分野におけるヘムタンパク質の特性評価のための分光測定|…


ヘムタンパク質には400nm付近に補欠分子族であるヘムに由来する強い吸収があり、クリプトンレーザーの413.1nmの発振光を励起光として使用した共鳴ラマン分光法でも測定が行われます。この測定法では、200~2000cm⁻¹の範囲のラマンシフトを観測し、ヘムの振動モードから配位子の状態や電子構造に関する詳細な情報を得ることができます。また、ヘムタンパク質は500~600nmにQバンドと呼ばれる第二の吸収帯を持ち、568.2nmのレーザー光での励起により、413.1nm励起とは異なるヘムの振動モードを観測できます。

参考)共鳴ラマン分光法を利用したヘムタンパク質の活性部位近傍の構造…


測定されたヘムタンパク質の吸光度スペクトルは、メトヘモグロビン、メトミオグロビン、酸化チトクロムcなどの種類によって特徴的なパターンを示します。これらのスペクトル形状から、ヘムグループの鉄原子の酸化状態や配位子の結合状態を判断することが可能です。​

ソーレー帯を利用したヘムの生理機能評価

生体内では、ヘムがタンパク質と結合することにより、酸素の運搬貯蔵などの多様な生理機能を発揮しています。ヘモグロビンやミオグロビン、シトクロムbなどの色素部分は、プロトポルフィリンに鉄が配位したものであり、生体内の酸化還元反応に重要な役割を果たします。ソーレー帯の測定により、これらのヘムタンパク質の機能状態や酵素活性を評価することができます。

参考)細胞内の鉄濃度を調節するタンパク質の働きを原子レベルで解明(…


シトクロムP450は、種々の金属を含んだポルフィリン環を酵素内に有しており、通常の酵素では見られない長波長領域に吸収を示します。この特徴的な吸収スペクトルを利用して、薬物代謝酵素の活性や阻害状態を評価することが可能です。また、シトクロムc3などの多ヘムタンパク質では、ソーレー帯の吸収スペクトルの変化から各ヘムの酸化還元電位を決定する研究も行われています。

参考)http://www.ach.nitech.ac.jp/~physchem/kandori/biomol33/pdf/09.pdf


細胞内鉄濃度調節とヘムの役割(分子科学研究所)
ヘムの細胞内濃度を調節するタンパク質の働きと、遊離ヘムの毒性について原子レベルでの解明が報告されています。​
細胞内のヘムは、タンパク質に結合していない遊離の状態では活性酸素を発生させ、細胞にとって猛毒となるため、多くの生物が細胞内のヘム濃度を厳密に制御するシステムを持っています。ヘムセンサータンパク質と呼ばれる一群のタンパク質は、ヘムの結合・解離によって転写制御や翻訳制御を行い、細胞内のヘム恒常性を維持しています。ソーレー帯の測定は、これらの制御機構を研究する上でも重要なツールとなっています。

参考)https://www.fmu.ac.jp/about/centers/icsh/publications/file/kiyoo/2012-11-04.pdf

ポルフィリン化合物とソーレー帯の分光学的特性

ポルフィリンは4個のピロールが4個のメチン橋で結合した環状化合物の総称であり、26個のπ電子共役系におけるπ電子の遷移に基づいて、紫外から可視波長領域に強い吸収スペクトルを持つ赤色物質です。400nm付近のソーレー帯は吸収極大を示し、遠紫外線照射により美麗な赤色蛍光を発する特性があります。この蛍光特性は、ポルフィリン化合物の検出や定量分析にも利用されています。​
ポルフィリンを含む成分のほとんどの分析研究は、紫外可視分光法を用いて行うことができ、それぞれの化合物のソーレー帯の波長を励起波長として使用します。ヘム核酸の研究では、ポルフィリン環のπ-π*遷移によるソーレー帯が濃色効果、深色効果、および等吸収点を示すことが報告されており、これらの分光学的変化から分子間相互作用を解析することができます。

参考)http://www.ach.nitech.ac.jp/~physchem/kandori/biomol33/pdf/26.pdf


ポルフィリン類は長い進化の過程を経て広く動植物界に分布しており、その大部分は遊離の形ではなく、Fe(ヘム)、Mg(クロロフィル)、Co(ビタミンB12)などのように特定の金属をキレートし、さらに特定のタンパク質と配位的に結合した形で存在します。これらの金属ポルフィリン錯体は、それぞれ異なるソーレー帯の波長を示し、その違いを利用して化合物の同定や定量が可能です。​

ソーレー帯測定の医療診断への応用

ソーレー帯の測定は、臨床検査や医療診断の分野で広く応用されています。ヘモグロビンの測定では、ソーレー帯の吸収スペクトルを利用して、酸化型、還元型、一酸化炭素結合型などの異なる状態を識別することができます。メトヘモグロビン血症のような病態では、ヘムの鉄が酸化されて酸素運搬能が低下するため、ソーレー帯の変化を測定することで診断に役立てることができます。​
ピリジンフェロヘモクロムのα吸収ピークの位置測定により、ヘムA(587nm)、ヘムB(557nm)、ヘムC(550nm)などの異なるタイプのヘムを識別することが可能です。この測定法は、ミトコンドリアの電子伝達系酵素であるシトクロムオキシダーゼのヘムAや、各種シトクロムのヘムタイプを決定する際に使用されます。

参考)ヘム – 光合成事典


共鳴ラマン分光法によるヘムタンパク質の活性部位解析(日本タンパク質科学会)
ソーレー帯を利用した共鳴ラマン分光法の詳細な測定プロトコルと、得られる構造情報について解説されています。​
ポルフィリン症の診断においても、ソーレー帯の測定は重要な役割を果たします。ポルフィリン症患者では、ヘム生合成経路の特定の酵素が欠損しているため、障害酵素までの中間体であるポルフィリン類が蓄積します。尿や血液中のポルフィリン類を、ソーレー帯の吸収スペクトルや蛍光測定により検出・定量することで、どの酵素段階に障害があるかを診断することができます。​
ヘム分解酵素であるヘムオキシゲナーゼ(HO)の活性測定にも、ソーレー帯の変化が利用されます。ヘムオキシゲナーゼは、ヘムを分解してビリベルジン、一酸化炭素、鉄を生成する酵素であり、抗酸化作用や抗炎症作用など多くの生理機能を担っています。酵素反応の進行に伴うソーレー帯の減少を測定することで、酵素活性を定量的に評価することができます。

参考)https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcrsj/53/3/53_3_213/_pdf

ヘム生合成とソーレー帯を用いた代謝経路の研究

ヘム生合成経路の研究において、ソーレー帯の測定は中間体の同定や定量に不可欠なツールとなっています。ヘムが生産されるまでに7つの代謝物(中間体)を経る過程で、各中間体は特徴的な吸収スペクトルを示します。最初の中間体であるδ-アミノレブリン酸(ALA)から、ポルフォビリノゲン(PBG)、ウロポルフィリノゲンⅢ、コプロポルフィリノゲンⅢ、プロトポルフィリノゲンⅨ、プロトポルフィリンⅨを経て、最終的に鉄が挿入されてヘムが完成します。​
プロトポルフィリン(PP)は、波長400nm付近のソーレー帯で強い吸収を示し、光分解させると直ちに緑色のフォトプロトポルフィリンの混合物となる性質があるため、測定時には注意が必要です。ポルフィリン代謝の特徴として、どの酵素段階も合成方向に強く傾いた逆反応がない一方向性反応であるため、障害が生じた場合には特定の中間体が蓄積します。​
生体内ではδ-アミノレブリン酸(ALA)がミトコンドリア内でビタミンB6の存在下でスクシニルCoAとグリシンの縮合により生成され、その後細胞質に放出されます。ALA2分子が脱水縮合して最初のピロールであるポルフォビリノゲン(PBG)が生成され、PBG4分子が次々とhead-to-tailに縮合してポルフィリン環化合物が形成されます。各段階の代謝物は、ソーレー帯の測定により追跡することが可能であり、酵素活性の評価や代謝異常の診断に応用されています。​
植物のクロロフィル生合成においても、プロトポルフィリンⅨまでの経路はヘム生合成と共通しており、その後マグネシウムが挿入されてクロロフィル合成へと進みます。クロロフィルもソーレー帯を示すため、同様の分光学的手法で生合成経路の研究が行われています。ヘム代謝とクロロフィル代謝の合成制御やシグナルとしてのヘムの機能についても、ソーレー帯の測定を用いた研究が進められています。

参考)ポルフィリン|日本大百科全書・岩波 生物学辞典・世界大百科事…