多剤耐性アシネトバクターの届出:基準と手順
保菌者を届け出ると、あなたは法的に誤届出となり、個人情報保護上の問題を生じさせます。
多剤耐性アシネトバクター(MDRA)とは:感染症法上の位置づけ
多剤耐性アシネトバクター(Multidrug-resistant Acinetobacter spp.:MDRA)は、カルバペネム系・フルオロキノロン系・アミノグリコシド系という3系統の抗菌薬すべてに耐性を示すアシネトバクター属菌による感染症です。 2014年9月より感染症法上の5類感染症・全数把握対象疾患に指定されており、診断した医師には届出義務が課せられています。 maruishi-pharm.co(https://www.maruishi-pharm.co.jp/medical/knowledge/infectious-disease-information/mdra/)
アシネトバクター属菌はもともと自然環境中に広く分布する菌で、健常者には無害です。 しかし集中治療室(ICU)などで管理される重症患者、免疫機能が低下した患者に対しては、呼吸器感染・尿路感染・カテーテル関連血流感染・敗血症などを引き起こします。 これが医療現場でMDRAを特別視する理由です。 mhlw.go(https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/001523264.pdf)
感染症法における位置づけを整理しておきましょう。多剤耐性アシネトバクター感染症は、MRSA・VRE・多剤耐性緑膿菌などと並んで「薬剤耐性菌感染症」として法定化されています。 法改正の変遷として、2011年2月1日施行の感染症法改正で5類感染症に追加されたのが最初の法定化です。 jscm(https://www.jscm.org/modules/guideline/index.php?content_id=13)
| 分類 | 把握方式 | 届出期限 | 届出者 |
|---|---|---|---|
| MDRA感染症(5類) | 全数把握 | 診断から7日以内 | 診断した医師 |
| 麻しん・侵襲性髄膜炎菌感染症 | 全数把握 | ただちに | 診断した医師 |
| インフルエンザ(5類) | 定点把握 | 週報 | 指定届出機関管理者 |
多剤耐性アシネトバクター届出基準のMIC値:臨床基準との違いに注意
ここが最も誤解されやすいポイントです。感染症法の届出基準として定められたMDRAの判定MIC値は、以下の3つすべてを満たす場合です。 maruishi-pharm.co(https://www.maruishi-pharm.co.jp/medical/knowledge/infectious-disease-information/mdra/)
- カルバペネム系:イミペネム(IPM)のMIC ≧ 16μg/mL
- アミノグリコシド系:アミカシン(AMK)のMIC ≧ 32μg/mL
- フルオロキノロン系:シプロフロキサシン(CPFX)のMIC ≧ 4μg/mL
この3条件をすべて満たして初めて、届出基準上の「MDRA」と判定されます。 1つでも欠けていれば、届出の対象外となります。 maruishi-pharm.co(https://www.maruishi-pharm.co.jp/medical/knowledge/infectious-disease-information/mdra/)
注意すべきは、このMIC基準値が院内の臨床判定に使われるCLSI基準と異なる場合がある点です。 たとえばCLSIはイミペネムの耐性基準を2013年以降 MIC≧8μg/mLに更新しましたが、感染症法の届出基準は≧16μg/mLのままです。 つまり病院の検査システムで「耐性」と出た株が、届出基準では「非該当」になるケースが実際に生じています。 id-info.jihs.go(https://id-info.jihs.go.jp/surveillance/idss/target-diseases/multidrug-resistant-acinetobacter-infection/2022/index.html)
臨床基準と届出基準は別物と覚えておくことが原則です。検査結果を届出に転用するときは、使用している判定基準がどちらの基準値に基づくかを必ず確認してください。 判定基準の違いによる誤届出・届出漏れは、法的リスクと感染対策上のリスク双方につながります。 id-info.jihs.go(https://id-info.jihs.go.jp/surveillance/idss/target-diseases/multidrug-resistant-acinetobacter-infection/2022/index.html)
参考:届出基準の詳細は厚生労働省の公式ページで確認できます。
厚生労働省「24 薬剤耐性アシネトバクター感染症」届出基準・届出様式
多剤耐性アシネトバクターの届出対象:保菌者は対象外という重要事実
「MDRAが検出されたら届出しなければならない」と思い込んでいる医師は少なくありません。しかし、届出対象となるのは感染症を発症した患者のみです。 臨床症状を示さず、単にMDRAを保菌しているだけの状態では届出の対象外となります。 id-info.jihs.go(https://id-info.jihs.go.jp/surveillance/idss/target-diseases/multidrug-resistant-acinetobacter-infection/2021/index.html)
ただし、届出義務がないことと、感染対策が不要であることは全く別の話です。厳しいところですね。
保菌者であっても、MDRAについては「保菌も含めて1例目の発見をもってアウトブレイクに準じた厳重な感染対策を実施する」ことが国の指針で求められています。 保菌者を届け出なくていいからといって、感染対策を緩めてよい根拠にはなりません。むしろ保菌者の院内伝播防止こそが、感染者発生を防ぐ最前線です。 mie-icnet(https://www.mie-icnet.org/document/a2/)
届出が必要な「患者(確定例)」の定義を整理すると、臨床的特徴を有すること・規定された検査材料と検査方法による診断が確定していること、この2条件が必要です。 検体の種類(喀痰・血液・尿・創部など)によっても届出の対象判断が変わることがあるため、厚生労働省の届出基準を各検体ごとに確認する習慣が求められます。 mhlw.go(https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou11/01-05-140912-4.html)
多剤耐性アシネトバクター届出の実務手順:誰が・どこへ・いつ
実際の届出フローを把握しておきましょう。届出の実務は以下の流れになります。 kms.ac(http://www.kms.ac.jp/~mrsa/infection_control/manual/pdf/4_3(040301).pdf)
- 担当医が検査結果と臨床症状から「MDRA感染症(確定例)」と診断する
- 診断から7日以内に、医師が届出票を作成する
- 届出票を施設の感染対策室(ICT)に提出する
- 感染対策室が最寄りの保健所へ提出・報告する
7日以内という期限は法定義務です。 麻しんや侵襲性髄膜炎菌感染症のような「直ちに」ではありませんが、だからといって後回しにしていいわけではありません。これは必須です。 mhlw.go(https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/kenkou/kekkaku-kansenshou/kekkaku-kansenshou11/01.html)
届出票の書式は厚生労働省のウェブサイトから入手でき、各都道府県・保健所のフォームを使用することが一般的です。 医師が直接保健所に届け出ることも可能ですが、多くの病院では感染対策室や事務部門が仲介するフローを採用しています。届出漏れを防ぐためにも、施設内の報告ルートを事前に確認しておくことが重要です。 mhlw.go(https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou11/01-05-140912-4.html)
参考:国立感染症研究所(JIHS)による届出状況の集計レポートです。自施設の状況と比較する際に有用です。
JIHS「感染症法に基づく薬剤耐性アシネトバクター感染症の届出状況」
多剤耐性アシネトバクターのアウトブレイク対応:届出だけでは終わらない現場の実態
届出を提出した後、医療現場での対応はむしろここからが本番です。国内においても医療機関でのMDRAアウトブレイク事例は報告されており、ある病院では院内感染後に32名の患者からMDRAが検出された事例もあります。 hospital.fujita-hu.ac(https://hospital.fujita-hu.ac.jp/about/safety/bacterium/01.html)
アウトブレイクを疑う状況では、保健所への届出と並行して、厚生労働省への報告、施設内での緊急感染対策強化が同時進行します。 つまり届出は感染拡大を管理するための「入口」であり、届出後の対応体制こそが患者保護に直結します。 mhlw.go(https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/000566183.pdf)
具体的な感染対策としては、接触予防策の徹底・個室管理または集団隔離・医療器具の専用化・環境清拭の強化などが基本です。 MDRAは乾燥した環境でも長時間生存できる特性があり、人工呼吸器・点滴ルートなどの医療機器を介した伝播リスクが高いことが知られています。 idsc.niid.go(https://idsc.niid.go.jp/iasr/31/365/dj3654.html)
アウトブレイク時には届出以外に、都道府県知事への報告義務も発生します。 この点は通常の個別届出とは別のルートになるため、感染管理担当者(ICN・ICD)と連携した対応が不可欠です。対応が後手に回ると、感染拡大・行政指導・施設の信頼失墜につながります。 mhlw.go(https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/000566183.pdf)
参考:MDRAおよびMDRP(多剤耐性緑膿菌)をまとめた感染症法改正の経緯を長崎県のページで確認できます。
多剤耐性アシネトバクター届出後のサーベイランス活用:データを感染対策に活かす視点
届出は法的義務の履行だけでなく、全国サーベイランスデータに貢献するという重要な役割を持っています。これは見落とされがちな視点ですね。
国立感染症研究所(JIHS)は毎年、感染症法に基づく届出データを集計・公開しており、MDRAの発生動向・地域分布・季節変動を把握できます。 自施設の検出状況と全国平均を比較することで、院内感染対策の評価や改善点の発見につながります。 id-info.jihs.go(https://id-info.jihs.go.jp/surveillance/idss/target-diseases/multidrug-resistant-acinetobacter-infection/2022/index.html)
JANISデータによれば、アシネトバクター71,657株中98株(0.14%)が多剤耐性と判定されており、そのうち約半数がA. baumanniiでした。 比率は低いように見えますが、ICU・重症患者の多い施設では検出リスクが格段に高く、1件の検出がアウトブレイクの起点になりうる点を忘れてはなりません。 idsc.niid.go(https://idsc.niid.go.jp/iasr/31/365/tpc365-j.html)
サーベイランスデータを活用する具体的な方法として、JANISへの参加と自施設データの定期的なフィードバック確認が挙げられます。感染対策に関わる医師・ICN・薬剤師は、年次報告書を定期的にチェックし、自施設の薬剤耐性菌発生動向と照らし合わせる習慣が有効です。 届出という「義務」を「感染対策の改善サイクル」に組み込むことが、長期的な院内感染リスク低減につながります。 id-info.jihs.go(https://id-info.jihs.go.jp/surveillance/idss/target-diseases/multidrug-resistant-acinetobacter-infection/2022/index.html)
参考:JANISの検査部門データから得られた知見をまとめた国立感染症研究所の資料です。