浸潤麻酔薬歯科の基本と種類
健康な成人でも浸潤麻酔は14本が上限です。
浸潤麻酔の基本原理と作用機序
浸潤麻酔は歯科治療で最も頻繁に使用される局所麻酔法です。歯茎の粘膜に注射針を刺入し、麻酔薬を注入することで治療する歯の周辺組織の痛みを軽減します。麻酔薬は歯茎から顎の骨の中へと浸透し、最終的に歯根の先端部分にある神経に到達することで麻酔効果を発揮する仕組みです。
この麻酔法の効力は通常2〜3時間持続します。虫歯治療や抜歯、歯周外科処置など、痛みを伴う歯科治療の大半で活用されています。部分麻酔である浸潤麻酔は、治療部位とその周辺のみに作用するため、患者への身体的負担が少ないメリットがあります。
麻酔薬が神経に直接作用するわけではない点が重要です。骨の中を浸透して歯根先端まで到達する必要があるため、骨の密度や炎症の状態によって効果に差が生じることがあります。
つまり骨質が決め手ですね。
下顎骨は上顎骨と比べて緻密で硬い構造をしているため、麻酔薬の浸透に時間がかかります。上顎骨は海綿骨と呼ばれる隙間の多い構造なので、麻酔薬が浸透しやすく効果が出やすい特徴があります。この解剖学的な違いを理解しておくことで、麻酔の効き方の個人差を患者に説明しやすくなります。
浸潤麻酔薬4種類の成分と特性比較
現在日本で使用されている主な歯科用浸潤麻酔薬は4製品あります。使用頻度順に、キシロカイン、オーラ注、シタネスト、スキャンドネストです。これらの製品は「麻酔薬」と「血管収縮薬」という2種類の有効成分の組み合わせによって区別できます。
最もポピュラーなキシロカインは、塩酸リドカインという麻酔薬にアドレナリンという血管収縮薬が配合されています。
内容量は1.8mlです。
オーラ注は同じく塩酸リドカインとアドレナリンの組み合わせですが、内容量が1.0mlと少なく、アドレナリン濃度が1/73,000とキシロカインの1/80,000より濃い特徴があります。小児など使用量が少ない場合や、確実な止血が必要な場面でオーラ注を選択することが多いです。
シタネストは塩酸プリロカインという麻酔薬にフェリプレシンという血管収縮薬を配合した製品です。フェリプレシンはアドレナリンと異なり、心臓への作用が少ないため不整脈のリスクが低い点が特徴です。
内容量は1.8mlです。
スキャンドネストはメピバカイン塩酸塩という麻酔薬のみで構成され、血管収縮薬も防腐剤も含まれていません。血管収縮薬が入っていないため血圧上昇や動悸を引き起こす作用がなく、循環器疾患のある患者に適しています。防腐剤のメチルパラベンも含まれないため、アレルギー体質の患者にも使用できます。
ピュアな麻酔薬ということですね。
| 製品名 | 麻酔薬成分 | 血管収縮薬 | 内容量 | 防腐剤 |
|---|---|---|---|---|
| キシロカイン | 塩酸リドカイン | アドレナリン(1/80,000) | 1.8ml | 有 |
| オーラ注 | 塩酸リドカイン | アドレナリン(1/73,000) | 1.0ml | 有 |
| シタネスト | 塩酸プリロカイン | フェリプレシン | 1.8ml | 有 |
| スキャンドネスト | メピバカイン塩酸塩 | なし | 1.8ml | 無 |
血管収縮薬の役割は麻酔効果の増強と持続時間の延長です。血管を収縮させることで麻酔薬が血流に流出するのを防ぎ、治療部位に長く留まらせます。また出血を抑制する効果もあるため、外科処置では特に有用です。
浸潤麻酔が効かない6つの理由と対処法
浸潤麻酔が効きにくい状況には明確な理由があります。
第一に強い炎症や痛みがある場合です。
健康な組織のpHは弱アルカリ性(pH7.4程度)ですが、炎症部位は酸性に傾きます。麻酔薬は弱アルカリ性の環境で最も効果を発揮するため、酸性環境では効果が低下してしまいます。
さらに炎症部位は血流が増加しているため、麻酔薬がその場に留まりにくく速やかに流れ去ってしまいます。急性炎症がある場合は、可能であれば抗生剤投与などで炎症を抑えてから処置する方が確実です。
第二に下顎の歯は麻酔が効きにくい傾向があります。前述のとおり下顎骨は緻密で硬い構造のため、麻酔薬の浸透に時間がかかるためです。特に下顎第一大臼歯(下顎6番)は麻酔が効きにくいことで知られています。どうしても効かない場合は、神経支配の破格を疑って下顎6番の近心舌側に刺入することもあります。
第三に飲酒習慣や鎮痛剤の常用がある患者では麻酔が効きにくくなります。これらの物質に対する代謝機能が亢進しているため、麻酔薬も速やかに分解されてしまうのです。
代謝がよい方も同様です。
第四に患者が極度に緊張している場合や敏感になっている状態では、麻酔の効果を感じにくいことがあります。心理的な要因が痛みの感受性を高めてしまうためです。事前に十分な説明を行い、リラックスした状態で処置を受けられるよう配慮することが大切です。
第五に体調不良時は麻酔が効きにくくなることがあります。体調が悪い場合は可能な限り処置を延期する判断も必要です。
第六に麻酔の手技自体に問題がある可能性もあります。適切な部位への刺入、十分な量の注入、ゆっくりとした注入速度などの基本手技を徹底することが重要です。細い針(35ゲージなど)を使用し、ゆっくりと麻酔薬を注入することで痛みを軽減できます。
麻酔が効かない場合の対処法として、伝達麻酔や歯根膜麻酔を追加する方法があります。伝達麻酔は太い神経の近くに麻酔薬を注入し、広範囲を麻酔する方法です。
下顎の奥歯や親知らずの処置で特に有効です。
歯根膜麻酔は歯と歯槽骨の間にある歯根膜腔に直接麻酔薬を注入する方法で、確実に効かせたい時に使われます。
これは確実な方法です。
浸潤麻酔の禁忌事項と患者選択基準
浸潤麻酔には絶対禁忌と相対禁忌があります。絶対禁忌は本剤の成分またはアミド型局所麻酔薬に対して過敏症の既往歴がある患者です。ただし実際には塩酸リドカインなどのアミド型局所麻酔薬自体に対するアレルギーは極めて稀です。リドカインによるアナフィラキシー反応の発生頻度は0.00007%という報告があります。
これは毎日100人の患者に麻酔をする歯科医院が年中無休で40年間診療を行うと1回起こるという計算になります。飛行機事故の確率0.0009%よりもはるかに低い数値です。多くの場合、麻酔薬に含まれる防腐剤のメチルパラベンや血管収縮薬のアドレナリンに対してアレルギー反応が出ています。
アレルギーの既往がある患者には、防腐剤を含まないスキャンドネストを選択することで対応できます。また注射針の刺入経路に感染がある場合、凝固障害がある場合も禁忌です。凝固障害は可能であれば処置前に是正する必要があります。
相対禁忌(原則禁忌)として挙げられるのは、高血圧、動脈硬化、心不全、甲状腺機能亢進、糖尿病の既往がある患者、血管攣縮の既往がある患者です。これらの患者ではアドレナリン含有の麻酔薬を使用すると血圧上昇や動悸、不整脈などのリスクがあります。
このような患者に対しては、アドレナリンを含まないスキャンドネストや、アドレナリンの代わりにフェリプレシンを含むシタネストを選択します。フェリプレシンは心臓への作用が少ないため、循環器疾患のある患者により安全です。ただし血管収縮作用はアドレナリンより弱いため、麻酔が効きにくかったり使用量が多くなったりする可能性があります。
妊娠中の患者については、可能であれば第1トリメスター(妊娠初期)での処置は避けることが推奨されます。ただし緊急性がある場合は、リスクとベネフィットを慎重に検討した上で処置を行います。授乳中の患者には通常の麻酔薬を使用しても問題ありませんが、患者が心配している場合は十分に説明することが大切です。
患者の既往歴や服用中の薬剤は必ず確認し、問診票に記載してもらうだけでなく口頭でも確認することが重要です。特にアドレナリンを投与中の患者(アナフィラキシーの救急治療を除く)への使用は禁忌となっています。
MSDマニュアルの骨膜上浸潤麻酔のページでは、禁忌事項と合併症について詳しく解説されています。
麻酔実施前の確認事項として参考になります。
浸潤麻酔の手技とコツ実践的アプローチ
浸潤麻酔の成功は患者の信頼を得る第一歩です。麻酔時の痛みを最小限に抑えるためには、いくつかの工夫が必要です。まず表面麻酔を使用することで、針を刺す時のチクッとする痛みを軽減できます。表面麻酔は注射の約1〜2分前に塗布し、十分に効かせてから注射を開始します。
針は可能な限り細いものを使用します。最近では35ゲージという最も細い針が販売されており、刺入時の痛みを大幅に減らせます。針を刺す際は、根尖約1/3の歯肉頬移行部に刺入することが一般的です。上顎、下顎の前歯部は唇側歯肉の歯肉頬移行部から刺入します。
麻酔薬の注入速度も重要なポイントです。急速に注入すると組織が圧迫されて強い痛みを感じます。ゆっくりと一定の速度で注入することで、痛みを最小限に抑えられます。電動麻酔器を使用すると、一定の圧力で自動的に注入できるため手動よりも痛みが少なくなります。
浸潤麻酔の痛みには大きく分けて3種類あります。針を歯茎に刺す時のチクッとする痛み、刺した針をさらに奥に進める痛み、麻酔液をグーッと注入する痛みです。表面麻酔で最初の痛みを、細い針とゆっくりとした刺入で2番目の痛みを、ゆっくりとした注入で3番目の痛みをそれぞれ軽減できます。
麻酔薬は事前に体温程度に温めておくと、注入時の痛みが少なくなります。冷たい麻酔液を注入すると温度差による刺激で痛みを感じやすくなるためです。
麻酔を効かせるコツとして、注入後は少し時間を置いてから処置を開始することが大切です。通常3〜5分程度待つことで、麻酔薬が十分に浸透し効果が安定します。急いで処置を始めると麻酔が不十分なことがあります。
待ち時間の目安を覚えておきましょう。
骨内麻酔という方法もあります。周囲の皮質骨をバーで穿孔して骨内に直接注射する方法です。骨は浸潤麻酔が効いているので穿孔しても痛くありません。この方法は浸潤麻酔が効きにくい場合の追加麻酔として有効です。
患者とのコミュニケーションも麻酔成功の鍵です。これから何をするのか、どのくらいの時間がかかるのか、どんな感覚があるのかを事前に説明することで、患者の不安を軽減できます。麻酔中も「もう少しです」「頑張ってください」などの声かけをすることで、患者は安心して処置を受けられます。
浸潤麻酔後の注意事項とトラブル対応
浸潤麻酔後には患者に対していくつかの注意事項を説明する必要があります。最も重要なのは、麻酔が切れるまでの食事制限です。麻酔が効いている間は口の感覚が鈍くなり、自分の唇や頬を噛んでしまうリスクがあります。特に硬い食べ物や熱い飲み物は避けるよう指導します。
麻酔の効力は浸潤麻酔で1〜2時間、伝達麻酔で4〜6時間持続します。まれに浸潤麻酔でも午前中に打った麻酔が夕方まで残ることがあるため、完全に感覚が戻るまでは食事を控えるよう伝えます。
麻酔が切れる前に唇や頬を触らないよう注意します。感覚がないため無意識に強く触ってしまい、腫れや痛みの原因になることがあります。小児の場合は特に注意が必要で、保護者にも説明しておくことが大切です。
アルコールやタバコは麻酔当日は避けるべきです。お酒を飲むことで血流が良くなり、抜歯した場所から再出血したり、腫れや痛みが増したりする可能性があります。喫煙も血流を変動させるリスクがあるため控えるよう指導します。
激しい運動も麻酔当日は避けるよう伝えます。血圧を大きく変動させるリスクがあり、治療部位からの出血や腫れを引き起こす可能性があるためです。
浸潤麻酔の副作用として、手足のしびれや震え、吐き気、悪心などが起こることがあります。多くの場合は緊張や痛みによる一時的な反応で、しばらく休むと症状は改善します。しかし症状が続く場合や悪化する場合は、すぐに歯科医師に連絡するよう指導します。
麻酔薬にはリドカイン塩酸塩とアドレナリンが含まれていることが多いため、血圧上昇や動悸が起こることもあります。持病として高血圧や心臓病などの循環器疾患がある患者には、事前に十分な問診を行い、必要に応じて血管収縮薬を含まない麻酔薬を選択します。
伝達麻酔を行った場合はしばらくの間、舌まで感覚が麻痺します。
舌を噛まないよう特に注意が必要です。
また高血圧や心臓病など基礎疾患を持つ患者の場合、麻酔後も血圧や脈拍のモニタリングを継続することが望ましいです。
適切な口腔ケアを継続することも重要です。麻酔後も優しくブラッシングを行い、治療部位を清潔に保ちます。ただし治療直後の患部は強く磨かず、慎重に行うよう指導します。
異常を感じたらすぐに歯科医院に連絡するよう伝えます。麻酔が切れた後に予想以上の痛みがある場合、腫れが引かない場合、出血が止まらない場合などは、早期に対応することで重症化を防げます。緊急連絡先を記載したカードを渡しておくと患者も安心です。
歯科用局所麻酔薬の使い分けに関する専門記事では、日本歯科麻酔学会専門医による詳しい解説が掲載されており、麻酔薬選択の判断基準として参考になります。
局所麻酔薬による中毒症状についても理解しておく必要があります。ある分量以上の麻酔薬が血中に混入すると中毒症状が現れることがあります。初期症状として多弁、興奮、血圧上昇、脈拍数増加などが見られ、進行すると意識障害や痙攣、呼吸抑制などの重篤な症状に至ることがあります。健康な成人では14本程度まで局所麻酔が可能ですが、小児や高齢者では量を減らすことが必要です。
麻酔投与からの時間間隔を見て、患者の状態を確認しながら歯科医師の判断で追加することもあります。適切な使用量を守り、患者の状態を常に観察することが安全な麻酔管理につながります。