心不全の治療薬の使い分け
心不全の薬物療法は近年、劇的なパラダイムシフトを遂げています。かつての「安静と利尿」を中心とした対症療法から、神経体液性因子の抑制を主眼とした予後改善療法へと進化し、現在では「Fantastic Four」と呼ばれる4剤併用療法が標準化されつつあります。医療従事者として、これらの薬剤をどのように使い分け、どのタイミングで導入すべきかを正確に理解することは、患者の生命予後を左右する重要な責務です。
心不全パンデミックと呼ばれる現代において、循環器専門医だけでなく、一般内科医やかかりつけ医、薬剤師による介入も不可欠です。本記事では、ガイドラインに基づいた標準治療から、現場でのクリニカルクエスチョンに応える実践的な使い分けまでを網羅的に解説します。
心不全治療薬の使い分けにおける最大のポイントは、左室駆出率(LVEF)による病態分類と患者背景(併存疾患・血行動態)のマトリクスで考えることです。特にHFrEF(LVEF < 40%)においては、予後改善効果が証明された薬剤をいかに忍容性を保ちながら導入・増量できるかが治療の質を決定づけます。一方で、長らく有効な治療法が確立されていなかったHFpEF(LVEF ≧ 50%)に対しても、SGLT2阻害薬の登場により新たな光が差しています。
ここでは、各薬剤クラスの特性を再確認し、実際の処方設計に役立つ知識を整理します。
- RAS系阻害薬(ARNI/ACE阻害薬/ARB): 心保護作用の要。ARNIが第一選択となりつつあるが、低血圧リスクへの配慮が必要。
- β遮断薬: 交感神経過緊張を抑制し、心臓の酸素需要を減らす。導入時の心不全増悪に注意しながら少量から開始する。
- MRA(ミネラルコルチコイド受容体拮抗薬): アルドステロンブレイクスルーを防ぐ。高カリウム血症の管理が必須。
- SGLT2阻害薬: LVEFに関わらず予後改善効果を示すゲームチェンジャー。早期導入が推奨される。
これらの薬剤を、患者個々の血圧、心拍数、腎機能、カリウム値に応じてパズルのように組み合わせていく作業こそが「使い分け」の本質です。単にガイドラインをなぞるだけでなく、目の前の患者にとって「今、最も優先すべき薬剤は何か」を常に問い続ける姿勢が求められます。
心不全の治療薬の使い分けとガイドライン
心不全治療の羅針盤となるのが、「急性・慢性心不全診療ガイドライン」です。最新のガイドラインでは、HFrEFに対する薬物療法として、従来段階的に導入されていた薬剤を、可能な限り早期に並行して開始することが推奨されています。これは、各薬剤が異なる機序で心保護作用を発揮し、相加的・相乗的な効果をもたらすことが大規模臨床試験で証明されたためです。
以前のステップアップ方式(ACE阻害薬から開始し、β遮断薬を追加、その後にMRA…という順序)では、全薬剤が導入されるまでに数ヶ月を要し、その間に心血管イベントが発生するリスクがありました。現在は、血行動態が安定していれば、数週間以内に4剤(ARNI/ACE阻害薬、β遮断薬、MRA、SGLT2阻害薬)を導入する「ラピッド・シークエンス」の概念が重要視されています。
ガイドラインに基づく分類と推奨クラスは以下のようになります。
| 分類 | 定義 (LVEF) | 推奨される基本薬 | 治療目標 |
|---|---|---|---|
| HFrEF | 40%未満 | ARNI/ACE阻害薬 + β遮断薬 + MRA + SGLT2阻害薬 | 死亡率・入院リスクの低減 |
| HFmrEF | 40%以上50%未満 | SGLT2阻害薬 + (利尿薬) ※他はHFrEFに準じて考慮 | 症状緩和とHFrEFへの移行阻止 |
| HFpEF | 50%以上 | SGLT2阻害薬 + (利尿薬) | うっ血の改善、併存疾患の管理 |
特に注目すべきはARNI(サクビトリルバルサルタン)の位置づけです。従来はACE阻害薬/ARBからの切り替えが主流でしたが、現在では入院中の新規導入や、未治療例への第一選択としても推奨されています。これは、ARNIがACE阻害薬と比較して有意に心血管死や心不全入院を抑制した(PARADIGM-HF試験)という強固なエビデンスに基づいています。
2021年改訂版 急性・慢性心不全診療ガイドラインの詳細については以下を参照してください。
2021年改訂版 急性・慢性心不全診療ガイドライン | 日本循環器学会
しかし、実臨床ではガイドライン通りにいかないケースも多々あります。例えば、収縮期血圧が90mmHgを切るような低血圧症例では、血管拡張作用を持つARNIやβ遮断薬の導入・増量が困難です。このような場合、血圧への影響が少ないSGLT2阻害薬やMRAを先行させたり、イバブラジン(洞調律かつ心拍数が高い場合)やベルイシグアト(増悪を繰り返す場合)といった新規薬剤を組み合わせたりする柔軟な対応が必要です。
また、ガイドラインは「平均的な患者」を対象としたものであり、超高齢者や重篤な腎機能障害(CKD G4-5)患者への適応には慎重な判断が求められます。こうした「グレーゾーン」においてこそ、専門家の知見と経験に基づいた使い分けが光ります。例えば、腎機能悪化を懸念してRAS阻害薬を中止するのではなく、腎血流維持のためにあえて少量継続するといった判断も、専門医の間では行われています。
重要なのは、「ガイドライン推奨薬が入っていない理由」を明確にすることです。「血圧が低いから」「カリウムが高いから」といった理由で漫然と導入を見送るのではなく、その阻害要因を取り除く(例:利尿薬の減量で血圧を上げる、カリウム吸着薬を併用する)努力を行い、少しでも予後改善薬を届ける姿勢が心不全管理の質を高めます。
心不全の治療薬の使い分けと利尿薬
心不全治療において、うっ血症状(呼吸困難、浮腫)の改善に即効性を持つのが利尿薬です。しかし、利尿薬自体には予後改善効果(死亡率低下)を示す明確なエビデンスが乏しいため、「必要最小限」にとどめることが鉄則です。うっ血が改善した後も漫然と高用量のループ利尿薬を継続することは、腎機能悪化(WRF: Worsening Renal Function)や電解質異常、神経体液性因子の活性化を招き、長期的には予後を悪化させる可能性があります。
利尿薬の使い分けにおけるキードラッグは以下の通りです。
- ループ利尿薬(フロセミド、アゾセミド等): 最も強力な利尿作用を持つ。うっ血除去の第一選択。短時間作用型のフロセミドと長時間作用型のアゾセミドの使い分けが重要。
- サイアザイド系利尿薬: ループ利尿薬の効果不十分な場合に併用(利尿薬抵抗性への対策)。低ナトリウム血症に注意。
- トルバプタン(バソプレシンV2受容体拮抗薬): 水利尿薬。電解質への影響が少なく、腎血流を保ちながら除水が可能。低ナトリウム血症やWRFを合併した症例に有効。
- SGLT2阻害薬: 浸透圧利尿作用を持つ。間質液からの除水効果が示唆されており、循環血液量を過度に減少させにくい。
ループ利尿薬の使用において、近年注目されているのが「アゾセミド」への切り替えです。フロセミドは半減期が短く、効果が切れた後に腎臓でのナトリウム再吸収が亢進する「リバウンド現象」が起きやすいとされています。一方、アゾセミドは作用時間が長く、リバウンドが起きにくいため、より安定した体液管理が期待できます。また、交感神経刺激作用がフロセミドより弱いという報告もあり、長期的な心保護の観点からアゾセミドを推奨する専門家も増えています。
利尿薬抵抗性(十分な用量のループ利尿薬を使用しても利尿が得られない状態)への対策としては、作用機序の異なる利尿薬を組み合わせる「Sequential Nephron Blockade」が有効です。
- ループ利尿薬(ヘンレ係蹄上行脚)
- サイアザイド系利尿薬(遠位尿細管)
- MRA(集合管)
- トルバプタン(集合管)
- SGLT2阻害薬(近位尿細管)
これらを多点ブロックすることで、ナトリウムの再吸収を各セグメントで阻止し、強力な利尿効果を得ることができます。特に、低アルブミン血症や低血圧でループ利尿薬の効果が出にくい場合、トルバプタンの早期併用は非常に有用です。トルバプタンは従来の利尿薬と異なり、アルブミンとの結合を介さずに作用するため、低栄養状態の高齢心不全患者でも効果が期待できます。
ただし、トルバプタン使用時は急激な脱水による高ナトリウム血症に厳重な注意が必要です。導入初期は頻回な飲水チェックと電解質モニタリングが欠かせません。また、非常に高価な薬剤であるため、費用対効果も考慮に入れた処方が求められます。
「うっ血が取れたら利尿薬を減らす(De-escalation)」という意識を持つことが重要です。日々の体重測定、浮腫の確認、BNP/NT-proBNPの推移を見ながら、ループ利尿薬を減量し、代わりに予後改善効果のあるARNIやSGLT2阻害薬、MRAへのシフトを目指すのが現代の心不全治療の定石です。SGLT2阻害薬の利尿作用はマイルドですが持続的であり、維持期においてループ利尿薬からの離脱や減量に大きく貢献します。
心不全の治療薬の使い分けと副作用
心不全治療薬は強力な作用を持つ反面、注意すべき副作用も多岐にわたります。特に「Fantastic Four」を導入する際は、血圧低下、腎機能障害、電解質異常(特に高カリウム血症)の3大副作用を常にモニタリングし、予防的かつ迅速に対処する必要があります。薬剤の効果を最大限に引き出すためには、副作用による脱落(治療中断)を防ぐマネジメント能力が問われます。
主要な薬剤ごとの注意すべき副作用と対策を以下の表にまとめます。
| 薬剤クラス | 主な副作用 | モニタリング項目 | 対策・使い分けのコツ |
|---|---|---|---|
| ARNI / ACE / ARB | 低血圧、腎機能悪化、高K血症、血管浮腫 | 血圧、sCre、K値 | 少量から開始し漸増。食後投与で血圧低下を緩和。脱水時は減量。 |
| β遮断薬 | 徐脈、低血圧、心不全増悪、倦怠感 | 心拍数、血圧、心音 | うっ血が残存している時期の導入は慎重に。喘息患者には禁忌(β1選択性の高いビソプロロール等を選択)。 |
| MRA | 高カリウム血症、女性化乳房 | K値、sCre | eGFR<30では禁忌または慎重投与。エサキセレノンは非ステロイド型で女性化乳房のリスクが低い。 |
| SGLT2阻害薬 | 性器感染症、頻尿、ケトアシドーシス | 陰部の清潔、血糖 | 1型糖尿病やインスリン不足時はケトアシドーシスに注意。高齢者の皮膚トラブルに配慮。 |
特筆すべきは、高カリウム(K)血症への対応です。RAS阻害薬とMRAは共にK値を上昇させる作用があり、腎機能が低下している心不全患者では特にリスクが高まります。従来は、K値が5.5mEq/Lを超えるとこれらの薬剤を減量・中止せざるを得ず、十分な治療が行えないジレンマがありました。しかし、新規カリウム吸着薬(パチロマー、ジルコニウムシクロシリケート)の登場により、K値をコントロールしながらRAS阻害薬やMRAを継続・増量することが可能になりました。これは「Enable therapy(治療を可能にする)」という考え方であり、副作用を恐れて薬剤を切るのではなく、副作用を管理して薬を使い続けるという積極的なアプローチです。
また、導入初期の腎機能悪化(Initial dip)についても正しい理解が必要です。SGLT2阻害薬やRAS阻害薬を開始直後、一時的にeGFRが低下することがあります。これは糸球体過剰濾過の是正に伴う血行動態の変化であり、多くの場合一過性で、長期的には腎保護に働きます。sCre値がベースラインから30%以内の上昇であれば、慌てて薬剤を中止せず、経過観察を続けることが推奨されます。この知識がないと、不必要な薬剤中止を招き、患者の予後を損なう可能性があります。
β遮断薬の副作用に関しては、「心不全増悪」が逆説的ですが重要です。導入初期や増量期に心収縮力が抑制され、一時的にうっ血が悪化することがあります。これを防ぐためには、「Dry weightまで十分に除水してから導入する」「非常に少量(カルベジロール1.25mg等)から開始する」「増量は2週間以上の間隔を空ける」といった慎重なプロトコルが必須です。もし増悪が見られた場合は、β遮断薬を直ちに中止するのではなく、利尿薬の一時的な増量で対応し、状態が落ち着いてから再度β遮断薬の維持・増量を試みることが、最終的な成功につながります。
SGLT2阻害薬の性器感染症や尿路感染症は、特に女性や糖尿病患者でリスクとなります。処方時に「ウォシュレットの使用」「入浴時の洗浄」など、具体的な陰部衛生指導を行うだけで、トラブルを未然に防ぐことができます。また、シックデイ(発熱、下痢、嘔吐時)には脱水やケトアシドーシスを防ぐため休薬するよう指導することも、安全管理上極めて重要です。
心不全の治療薬の使い分けと独自視点
ここでは、一般的なガイドラインや教科書的な解説ではあまり触れられない、しかし臨床現場で差がつく「独自視点」での使い分けについて深掘りします。それは、「心腎連関」と「腸管浮腫」をターゲットにした薬物動態学的アプローチ、そして「アドヒアランス維持のための処方設計」です。
まず、「腸管浮腫」は見落とされがちな病態ですが、経口薬の効果に直結する重要な因子です。右心不全による腸管のうっ血は、薬剤の吸収効率を著しく低下させます。特にループ利尿薬(フロセミド)はバイオアベイラビリティ(生物学的利用能)の個体差が大きく、腸管浮腫があると吸収が不安定になり効きにくくなります。
この際、単にフロセミドを増量するのではなく、以下の戦略が有効な場合があります。
- 静注への切り替え: 吸収プロセスをパスして確実に血中濃度を上げる。外来での短時間点滴も選択肢。
- トルバプタンの活用: トルバプタンは消化管吸収が比較的良好であるという報告もあり、腸管浮腫がある状態でも効果を発揮しやすい可能性があります。
- 吸収改善のための介入: うっ血が改善してくると、経口薬の効きが急によくなることがあります。この「吸収の改善」を見越して、うっ血改善後は早めに用量調整(減量)を行わないと、脱水や低血圧を招くリスクがあります。
次に、「アドヒアランス」の視点です。心不全患者は高齢者が多く、ポリファーマシー(多剤併用)になりがちです。「Fantastic Four」を全て導入すると、それだけで4種類以上の薬が増えます。さらに利尿薬、抗凝固薬、便秘薬などが加わると、服薬管理は困難を極めます。
ここで重要になるのが、配合剤の活用と服薬回数の最適化です。
- 1日1回投与への集約: ビソプロロール(1日1回)vs カルベジロール(1日2回)。アドヒアランスが懸念される場合は、半減期の長いビソプロロールを選択するのも一つの戦略です。ただし、即効性やα遮断作用への期待など薬理学的な違いも考慮する必要があります。
- 配合剤の利用: ARBと利尿薬、あるいはARBとCa拮抗薬の配合剤などは高血圧治療で一般的ですが、心不全治療においても、ARNI(サクビトリル/バルサルタン)は実質的に2つの作用機序を1錠で提供しています。
- 一包化: 基本中の基本ですが、多職種連携(薬剤師への依頼)で確実に実施します。
さらに、「フレイル・サルコペニア」を意識したSGLT2阻害薬の使い分けという視点も新しいトピックです。SGLT2阻害薬は体重減少を引き起こす可能性がありますが、これは主に脂肪量の減少であり、筋肉量の減少は比較的少ないとされています。しかし、元々痩せ型の高齢者(BMI<19など)では、さらなる体重減少がフレイルを加速させる懸念があります。
このような症例では、SGLT2阻害薬導入時に以下の栄養介入をセットで行うことが「隠れた使い分け」の技術です。
- タンパク質摂取の励行: ロイシンなどのアミノ酸サプリメントの検討。
- 適切なカロリー摂取: 糖尿病がない場合、過度な糖質制限を避ける。
最後に、「心拍数」に着目したβ遮断薬以外の選択肢です。β遮断薬を最大耐用量まで増量しても安静時心拍数が75回/分以上ある場合、あるいは血圧が低くβ遮断薬が増量できない場合、イバブラジンの併用が非常に有効です。イバブラジンは血圧を下げずに心拍数のみを低下させるユニークな薬剤です。HFrEF患者において心拍数高値は独立した予後不良因子であるため、「血圧は低いが心拍数は速い」というジレンマ(Clinical Dilemma)を解決する切り札となります。
このように、心不全治療薬の使い分けは、単なる薬剤の選択ではなく、患者の生活背景、生理機能の変化、そして薬剤の吸収・代謝までを見据えた包括的なマネジメントそのものなのです。
2021年改訂版 急性・慢性心不全診療ガイドライン | 日本循環器学会:心不全治療の基本となるガイドライン。LVEFによる分類や推奨薬の詳細が記載されています。
KEGG DRUG: エンレスト:ARNI(サクビトリルバルサルタン)の添付文書情報。適応や副作用、薬物動態について確認できます。

心不全と重症化の予防 (よくわかる最新医学シリーズ)