摂食障害と診断基準
摂食障害は食行動や体重・体型への過度なこだわりを特徴とする精神疾患です。DSM-5(精神疾患の診断・統計マニュアル第5版)では、摂食障害は「食行動症および摂食症群」として分類されています。この疾患群は、食事のとり方や食べる量、食後の行動に異常が見られる障害の総称であり、患者の生活の質を著しく低下させるだけでなく、重篤な身体合併症を引き起こす可能性もあります。
摂食障害の有病率は報告によって異なりますが、特に思春期から青年期の女性に多く見られます。近年では男性の症例も増加傾向にあり、医療従事者はこの疾患に対する理解を深める必要があります。
摂食障害の診断基準とDSM-5の変更点
DSM-5における摂食障害の診断基準は、以前のDSM-IVから重要な変更が加えられています。主な変更点として、「神経性無食欲症(Anorexia Nervosa)」は「神経性やせ症」、「神経性大食症(Bulimia Nervosa)」は「神経性過食症」と呼称が変更され、また「特定不能の摂食障害」から「過食性障害(Binge Eating Disorder)」が独立した診断カテゴリーとなりました。
神経性やせ症の診断基準には以下が含まれます。
- エネルギー摂取の制限による著しい低体重
- 体重増加または肥満に対する強い恐怖
- 自己の体重や体型の認知の障害、または体重・体型が自己評価に過度に影響
神経性過食症の診断基準は次の通りです。
- 短時間の間に大量の食物を消費する過食のエピソードを繰り返す(週2回以上の過食が3カ月間以上)
- 食べることへの頑固なこだわり、および食べることへの強い欲求または強迫感
- 体重増加を防ぐための代償行動(自己誘発性嘔吐、下剤乱用、絶食、過度の運動など)
- 肥満に対する病的な恐怖を伴うボディ・イメージの歪み
また、DSM-5では新たに「回避・制限性食物摂取症(Avoidant/Restrictive Food Intake Disorder: ARFID)」が加えられました。これは、食物への関心の欠如や感覚的特性による回避により、栄養や熱量の必要量を満たせない状態を指します。神経性やせ症と異なり、体重や体型へのこだわりはありません。
摂食障害と神経性やせ症の症状と合併症
神経性やせ症(拒食症)の主な症状は、極端な食事制限や過度な運動による著しい低体重です。患者は体重増加に対する強い恐怖を抱き、自分の体型を実際よりも太っていると認識する体型認知の歪みが特徴的です。
神経性やせ症の身体的合併症には以下のようなものがあります。
- 低体温、徐脈、低血圧などの自律神経症状
- 無月経や骨粗鬆症などの内分泌系の異常
- 電解質異常(特に低カリウム血症)
- 心筋萎縮や不整脈などの心血管系の問題
- 白血球減少や貧血などの血液学的異常
- 胃腸運動の低下や便秘
精神的合併症としては、うつ病、不安障害、強迫性障害などが高率に合併します。特に重度の神経性やせ症では、認知機能の低下や判断力の障害が見られることもあります。
神経性やせ症の重症度は、BMI(Body Mass Index)に基づいて評価されます。
- 軽度:BMI ≥ 17 kg/m²
- 中等度:BMI 16-16.99 kg/m²
- 重度:BMI 15-15.99 kg/m²
- 最重度:BMI < 15 kg/m²
摂食障害と神経性過食症の特徴と治療アプローチ
神経性過食症は、短時間での過食(むちゃ食い)と、それに続く体重増加を防ぐための代償行為(自己誘発性嘔吐、下剤乱用など)を特徴とします。過食エピソードでは、通常の食事量をはるかに超える量の食物を、コントロールを失った感覚とともに摂取します。
神経性過食症の治療アプローチは、身体面、精神面、社会適応の三つの側面から行われます。
- 身体面への対処。
- 嘔吐を伴う症例では、血清カリウム値や心電図のチェックが必須
- 過食や嘔吐、下剤乱用による合併症の管理
- 栄養状態の評価と改善
- 精神面への働きかけ。
- 認知行動療法(CBT):最も効果的な心理療法の一つとされる
- 対人関係療法(IPT):対人関係の問題に焦点を当てた治療法
- 症状の全容把握と段階的なコントロール:最初から「過食・嘔吐ゼロ」を目指すのではなく、徐々に減らしていく
- 薬物療法。
- 社会適応の援助。
- 就労援助
- 対人関係の援助
- 自助グループへの参加
神経性過食症の治療では、患者の恥の感情や罪悪感に配慮しながら、症状の背景にある心理的要因や対人関係の問題に取り組むことが重要です。また、再発予防のために長期的なフォローアップが必要とされます。
摂食障害とストレスの関連性と心理的要因
摂食障害の発症・維持には、ストレスが深く関与していることが明らかになっています。特に、喪失体験、肉体的・精神的虐待、対人関係ストレス、性的被害などのトラウマ体験は、摂食障害の発症リスクを高めることが知られています。
神経性やせ症(AN)患者の多くは、対人関係ストレスが契機となって発症しているケースが多く見られます。研究によれば、AN患者の約13.7%が心的外傷後ストレス障害(PTSD)を合併しているとされています。
一方、神経性過食症(BN)患者は、情動変化、怒りや敵意、ストレスが契機となって過食嘔吐を行うことが多いです。言語的ストレス、対人関係ストレス、視聴覚ストレスなどの様々なストレス負荷によって過食衝動が高まることが報告されています。
摂食障害とストレスの関連性を理解することは、治療アプローチを考える上で非常に重要です。ストレス対処能力(コーピングスキル)の向上は、摂食障害の治療において重要な要素の一つとなります。具体的なストレス管理技法としては、以下のようなものがあります。
- リラクセーション技法(深呼吸、筋弛緩法など)
- マインドフルネス瞑想
- 問題解決スキルの向上
- アサーティブなコミュニケーションスキルの訓練
- 感情調整スキルの向上
また、トラウマ体験がある患者に対しては、トラウマ焦点化認知行動療法(TF-CBT)やEMDR(Eye Movement Desensitization and Reprocessing:眼球運動による脱感作と再処理法)などのトラウマ治療が有効な場合もあります。
摂食障害の回避・制限性食物摂取症と臨床現場での対応
回避・制限性食物摂取症(ARFID)は、DSM-5で新たに追加された診断カテゴリーであり、従来の「小児期の哺育障害」や「小児期の摂食障害」を拡張・再定義したものです。ARFIDは、体重や体型へのこだわりがないという点で神経性やせ症と異なります。
ARFIDの主な特徴は以下の通りです。
- 食物への関心の欠如
- 食物の感覚的特性(味、匂い、質感など)による回避
- 食後の悪心や嘔吐、窒息への恐怖や不安による摂食困難
ARFIDは、その症状や表れ方によって以下のように分類されることがあります(GOS Criteria)。
- 食物回避性情緒障害:不安や抑うつにより食欲が低下
- 選択的摂食:食べられるものが限定的
- 制限摂食:年齢相応より摂取量が少ない
- 食物拒否:場面依存的に摂取を拒否(例:保育園では食べない)
- 機能的嚥下障害:嚥下への恐怖や不安による摂食困難
- 広汎性拒絶症候群:食べる以外の行動も拒否
- うつ状態による食欲低下
臨床現場でのARFIDへの対応としては、以下のアプローチが有効です。
- 詳細な病歴聴取。
- 食事が食べられなくなった時の状況(胃腸炎、嘔吐を見た経験、死別、いじめなど)
- 成長曲線の確認(体重・身長の変化)
- 食行動の詳細な評価
- 身体的評価。
- 栄養状態の評価
- 合併症のスクリーニング(血液検査、画像検査など)
- 治療アプローチ。
ARFIDは自閉スペクトラム症、不安症、抑うつ状態などと併存することが多いため、これらの併存症への対応も重要です。予後については、多くの場合、摂取困難な状況は徐々に回復しますが、神経発達症の特性が強い場合や環境調整がうまくいかない場合には、長期化することもあります。
医療従事者は、ARFIDを含む摂食障害の多様な臨床像を理解し、個々の患者に合わせた柔軟な対応を心がけることが重要です。特に、患者の恐怖や不安に共感的な姿勢で接し、小さな進歩を認め、肯定的なフィードバックを提供することが治療関係の構築に役立ちます。
摂食障害は複雑な疾患であり、その治療には多職種による包括的なアプローチが必要です。医師、看護師、栄養士、心理士、ソーシャルワーカーなどが協力して、身体的、心理的、社会的側面からの支援を提供することが重要です。また、家族を治療チームの一員として位置づけ、家族療法や家族教育を取り入れることも効果的です。
摂食障害の治療は長期にわたることが多く、再発予防のための継続的なフォローアップが必要です。医療従事者は、患者の回復過程に寄り添い、適切な支援を提供することで、患者の生活の質の向上と社会復帰を促進することができます。
最後に、摂食障害の予防と早期発見・早期介入の重要性も強調しておきたいと思います。学校や地域での啓発活動、メディアリテラシー教育、ボディイメージに関する健全な価値観の育成などを通じて、摂食障害の発症リスクを低減することが可能です。また、プライマリケアの現場での適切なスクリーニングと専門機関への迅速な紹介システムの構築も、早期介入の鍵となります。
医療従事者として、摂食障害に関する最新の知見を常にアップデートし、エビデンスに基づいた治療を提供することが、患者の回復を支援する上で不可欠です。