生合成と合成の違いと医薬品への応用

生合成と合成の違い

この記事のポイント
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生合成の特徴

酵素を触媒として生体内で行われる温和な条件下での合成反応

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化学合成の特徴

化学反応により実験室や工場で物質を人工的に製造する方法

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医薬品への応用

両者の長所を活かした医薬品製造と今後の展望

生合成の基本的な定義と特徴

生合成とは、生物体内で酵素を触媒として簡単な化合物から複雑な化合物が作られる合成的物質代謝のことを指します。生体内では、タンパク質、核酸、糖、脂質、補酵素、ホルモン、抗生物質、ヘム、ヌクレオチド、アミノ酸など、多くの重要な物質が生合成されています。

参考)生合成(セイゴウセイ)とは? 意味や使い方 – コトバンク


生合成の最大の特徴は、酵素の働きによって1気圧、37℃前後の温度、中性付近のpHという温和な条件下で反応が進むことです。また、酵素は非対称な立体構造を持つため、右手と左手の関係にあるような対掌体を区別でき、生合成されるアミノ酸はほとんどがL-型、糖はほとんどがD-型という高い立体選択性を示します。​
生合成の代謝経路は、一つ一つのステップが決まった化合物のみを反応させて、決まった化合物のみを生産する高い特異性を持っています。これは化学合成では特殊な系を設定しない限り達成できない特性であり、生物が持つ精密な分子認識能力の現れと言えます。

参考)https://www.jstage.jst.go.jp/article/yukigoseikyokaishi1943/41/11/41_11_994/_pdf

化学合成の基本的な定義と特徴

化学合成とは、化学反応を利用して実験室や工場プラントで物質を人工的に製造する方法です。天然物や医薬品を市販されている安価な原料から合成する全合成は、化学合成の代表例であり、自然からは微量からしかとれない天然物を大量合成することを目標としています。

参考)Weekly iGEM〜全合成と生合成、なにが違うねん〜|i…


化学合成の特徴は、反応条件を自由に設定できることです。温度、圧力、撹拌速度、添加速度などの反応パラメータを精密に制御することで、目的の化合物を効率的に合成できます。ただし、生合成と異なり、特殊な系を設定しない限りラセミ体が生成されるため、光学活性体を得るには追加の工夫が必要です。

参考)https://www.mt.com/jp/ja/home/applications/L1_AutoChem_Applications/L2_ReactionAnalysis/synthesis-reactions.html


化学合成の大きな利点は、天然に存在する物質だけでなく、構造を改変した新規化合物も作れることです。天然物の構造の一部を変えることで、未知の機能を持つ物質や、より優れた特性を持つ医薬品候補化合物を創出できます。また、方法論の発展が早く、新しい反応や変換が次々と開発されているのも化学合成の特徴です。​

生合成における酵素反応の役割と機構

生合成において酵素は中心的な役割を果たし、複数の酵素による多段階の反応を経て複雑な化合物が合成されます。酵素反応では、生合成中間体が各酵素により厳密に認識・変換され、次の反応を担う酵素へと受け渡される精密なシステムが構築されています。

参考)研究内容/工藤史貴研究室(生体反応化学研究室)|神奈川大学化…


植物ホルモンの一つであるブラシノステロイドの生合成では、CYP90B1という酵素が最初の触媒反応を担い、その遺伝子欠損が植物の矮小化を引き起こすほど重要な役割を果たしています。また、抗生物質の生合成においては、酵素反応の選択性が構造多様性の構築に重要であることが明らかになっています。

参考)抗生物質の構造多様性構築に重要な生合成酵素反応の分子基盤を解…


補酵素SAM(S-アデノシルメチオニン)を利用する酵素では、メチル基転移反応と3-ACP転移反応という異なる反応が、同じ補酵素から選択的に進行する精密な触媒機構が存在します。このような酵素のカスケード反応は生合成において広く見られ、核生成反応、求電子反応、ペリ環状反応、ラジカル反応など多様な化学反応が酵素によって制御されています。

参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC6529181/

化学合成と生合成のメリット・デメリット比較

生合成の主なメリットは、生物を化学工場として利用することで時間、手間、コストを大幅に削減できる点です。天然物の複雑な構造も生物にとっては容易に合成でき、高価な試薬も最小限で済みます。また、キラリティー(不斉合成)の観点からも、酵素の立体選択性により光学活性体を直接得られる大きな利点があります。​
一方、化学合成のメリットは、やり方次第で天然にあるもの以外も作れる柔軟性です。構造の一部を変えることで、天然物の知られていなかった機能を見つけたり、より優れた特性を持つ化合物を創出できます。また、方法論の発展が早く、クロスカップリング反応など画期的な反応が次々と開発されています。​
生合成のデメリットとしては、現時点では化学合成が達成している精密さに至らない部分が多いことや、酵素反応の特異性が高い分、化学合成ほど柔軟に反応の改善を実施できないことが挙げられます。化学合成のデメリットは、複雑な天然物を合成する際に金、時間、人手、薬品を大量に使わなければならないことです。

参考)https://shop.tokyo-mooon.com/blogs/blog/how-to-synthesize-cbd

比較項目 生合成 化学合成
反応条件 温和な条件(1気圧、37℃前後、中性pH) 高温・高圧など多様な条件設定が可能
立体選択性 高い(酵素の不斉構造による) 特殊な系が必要
コスト 低い(生物を利用) 高い(試薬・設備)
柔軟性 限定的(酵素の特異性による) 高い(構造改変が自由)
精製方法 確立途上 実績のある方法が利用可能

医薬品製造における生合成と化学合成の応用

医薬品製造では、主に化学合成による低分子化合物と、遺伝子組換え細胞による生合成を利用したバイオ医薬品の2つのアプローチがあります。バイオ医薬品の製造では、培養工程で生産細胞を培養して薬のもととなるタンパク質を生産し、精製工程で不純物を除去して純度の高い原薬を得ます。

参考)バイオ医薬品の作り方|知る・学ぶ|協和キリン


化学合成による医薬品原薬製造では、反応・濃縮・晶析といった工程で有機化学反応により目的物質を製造します。抗がん剤成分のTaxolやフグ毒のTTXなどの全合成研究が特に有名で、自然からは微量しか得られない貴重な化合物の大量供給を可能にしています。

参考)合成原薬工程|各種工程について|事業紹介|中外製薬工業株式会…


最近では、化学合成と生物合成を組み合わせた次世代ものづくりが注目されています。天然物やその類縁体を提供する目的は同一でも、両者は異なるアプローチとして独自の発展を遂げてきましたが、それぞれの長所を活かした統合的なアプローチが今後の医薬品開発において重要になると期待されています。

参考)1+1から∞の理学 第22回 化学合成 × 生物合成で拓く次…


協和キリン「バイオ医薬品の作り方」:培養工程と精製工程の詳細な解説

生合成を模倣した有機合成戦略の意義

生物が天然物を合成するルート、すなわち生合成経路を指針として全合成を進めることは、極めて合理的とされています。生合成経路は自然が長い進化の過程で最適化してきた反応経路であり、より反応の進みやすい方向を示唆してくれるからです。

参考)生合成を模倣した有機合成


1917年にRobinsonが報告したトロピノンの生合成的合成は、有機合成と生合成との関係を考える上で歴史的に重要な研究であり、合成研究者に最大の示唆を与えたものとされています。このように、生合成の反応機構を理解し、それを有機合成に応用することで、より効率的で環境に優しい合成法の開発が可能になります。

参考)https://www.jstage.jst.go.jp/article/kagakutoseibutsu1962/12/5/12_5_329/_pdf


生合成を模倣した有機合成は、単に効率性の問題だけでなく、生体内で起こる化学反応の本質を理解することにもつながります。インドールアルカロイドをはじめとする複雑な天然物の合成において、生合成類似の反応を設計することで、従来法では達成困難だった変換を実現できる場合があります。

参考)https://www.semanticscholar.org/paper/3dd6e6f721e6f451ad51823cb0aa408fc367e875


さらに、生合成的合成アプローチは、合成化学と生物化学の両方を知ることの利点を示しています。生合成研究が合成化学的研究に良いヒントを与え、逆に合成化学反応が生物化学的研究のヒントになるという相互作用が、両分野の発展を加速させています。​
Chem-Station「生合成を模倣した有機合成」:生合成経路を利用した合理的な全合成戦略の解説

生合成と化学合成の今後の展望と課題

生合成工学の分野では、微生物を用いた有用物質生産が急速に発展しています。テルペテンシンなどの複雑な化合物の生合成に関与するジテルペン環化酵素の解明が進み、遺伝子クラスターの機能研究により新規化合物の生産が可能になっています。

参考)Journal of Japanese Biochemica…


化学合成の分野では、有機分子触媒を用いる天然物や医薬品の合成を志向した反応開発が進んでいます。プロアポルフィンアルカロイド類など、医薬品としても用いられる化合物の効率的な合成法の開発が続けられています。

参考)有機分子触媒を用いる天然物や医薬品の合成を志向した反応開発と…


今後の課題として、生合成では酵母菌などを利用する生物学的技術の精密さを化学合成レベルまで高めることが求められます。特に精製方法の確立が重要で、現時点では化学合成の方が実績のある方法を利用できるため、純粋なカンナビノイドなどの製造では化学合成が実用的です。​
一方、生体内合成化学治療という新しいアプローチも注目されています。これは、活性や毒性のない原料や試薬を体内に導入し、体内の特定の場所で時空間的に生理活性分子をピンポイントで創製する方法で、副作用の低減が期待されています。このように、生合成と化学合成のどちらが優れているかではなく、両者とも未来を作るために必要な技術として発展していくことが重要です。

参考)生体内合成化学治療


酵素工学や合成生物学による有用物質生産に向けた知見の拡大により、より効率的で持続可能な物質生産システムの構築が期待されています。AIを活用した未知の二次代謝生合成酵素の機能解明や、複合酵素反応における蛋白質間相互作用予測など、最先端技術の導入により、生合成研究はさらなる飛躍を遂げようとしています。

参考)補酵素骨格を転移する生合成酵素の触媒機構を解明


東京大学「化学合成 × 生物合成で拓く次世代ものづくり」:両アプローチを統合した未来の物質生産に関する研究紹介