胃洗浄を何時間以内に実施すべきか
胃洗浄の従来の時間制限と現在の見解
従来から胃洗浄は薬物や毒物の経口摂取後1時間以内に実施することが推奨されていました 。この基準は、時間の経過とともに胃内容物が十二指腸へ移行し、胃洗浄による除去効果が低下するという考えに基づいています 。
参考)薬物中毒の治療1:胃洗浄 – 救命救急センター 東京医科大学…
しかし、最近の医学的見解では、この「1時間神話」の撤廃が進んでいます 。日本中毒学会編『新・急性中毒標準治療ガイド』では、胃洗浄における時間的な施行基準を撤廃し、個別の症例に応じた総合的な判断を重視する方向へシフトしています 。
現在では、1時間を超えても胃内に薬物が残っている可能性があることや、活性炭では1時間以上経過していても有効性を示すデータがあることから、厳密な時間制限よりも患者の状態と薬物の特性を考慮した判断が重要とされています 。
胃洗浄の適応基準と実施条件
胃洗浄の適応は「毒物を経口的に摂取した後1時間以内で、大量服毒の疑いがあるか、毒性の高い物質を摂取した症例」が基本となっています 。具体的には、生命を脅かす可能性のある量の毒物・薬物摂取が確認された場合に考慮されます 。
参考)https://kango-oshigoto.jp/hatenurse/article/9921/
実際の医療現場では、以下の条件を満たす場合に胃洗浄が検討されます。
- 致死量の薬物または毒物の摂取が確認されている
- 摂取した物質の毒性が高い
- 患者の意識状態や全身状態が許可する
- 合併症のリスクよりも除去効果が上回ると判断される
参考)https://www.jstage.jst.go.jp/article/naika/102/2/102_455/_pdf
意識障害や咽頭反射が弱い場合は、誤嚥を防ぐため事前に気管挿管を行うことが必要です 。また、パラコートなどの胃粘膜付着性の高い薬物や、三環系抗うつ薬など胃腸蠕動を低下させる薬物の場合は、1時間以上経過しても胃洗浄を実施することがあります 。
参考)OD(オーバードーズ)の救急対応~身近に潜む中毒たち②~
胃洗浄の手技と実施方法
胃洗浄の手技は以下の手順で行われます。まず、患者を左側臥位・頭低位(約15度)に体位を設定し、胃幽門側を高位として十二指腸への流出を防止します 。
参考)https://kango-oshigoto.jp/hatenurse/article/1268/
使用する胃管は可能な限り太いものを選択し、成人では36Fr超、小児では24Frのチューブを使用します 。胃管を経口的に挿入し、位置確認後に胃内容物をできるだけ吸引除去します 。
参考)中毒の一般原則 – 22. 外傷と中毒 – MSDマニュアル…
洗浄液は微温湯または生理食塩水を使用し、一回200~300ml程度を注入して排液を繰り返します 。排液が無色無臭、混濁物がなくなるまで継続し、全工程で最低1Lの洗浄を行います 。洗浄終了後は活性炭50~100g(小児25~50g)と緩下剤を注入してから胃管を抜去します 。
参考)https://www.wakayama-med.ac.jp/med/eccm/assets/images/library/bed_side/44.pdf
胃洗浄の禁忌事項と注意点
胃洗浄には明確な禁忌事項があります。最も重要なのは腐食性物質(強酸・強アルカリ)を摂取した場合で、洗浄により上部消化管が再度腐食性物質に曝露されるリスクがあるため絶対禁忌です 。
参考)https://www.jstage.jst.go.jp/article/jos1956/39/12/39_12_1074/_pdf/-char/ja
石油製品の誤飲も胃洗浄の禁忌とされています 。これらの物質は低粘度・低表面張力のため、洗浄により誤嚥のリスクが高まり、より重篤な合併症を引き起こす可能性があります 。
参考)https://www.pref.kyoto.jp/nosan/documents/1214897566833.pdf
その他の禁忌として以下が挙げられます。
- 上部消化管穿孔の疑いがある場合
- 意識障害やけいれんがある場合(気管挿管なしでは)
- 咽頭反射が著しく低下している場合(気道保護が困難)
これらの場合は胃洗浄を避け、活性炭投与や対症療法を選択することが重要です 。
胃洗浄のエビデンスと現代医療での位置付け
現在の医学的エビデンスにおいて、胃洗浄の有効性には限界があることが明らかになっています。実験では除去率は安定しておらず時間とともに低下し、胃洗浄によって予後が改善するという明確な証拠は存在しません 。
むしろ胃洗浄により合併症が有意に増加することが報告されており、現在では救命救急センターでも稀に施行される程度となっています 。合併症として誤嚥性肺炎、食道・胃の機械的損傷、低血圧・徐脈・不整脈などの副交感神経反射、電解質異常や低体温症などが挙げられます 。
参考)https://dbarchive.biosciencedbc.jp/yokou/pdf/2007/200707052240426.pdf
そのため現代の中毒治療では、胃洗浄よりも活性炭投与が第一選択となることが多く、胃洗浄は「生命に関わる可能性がある量を摂取し、かつリスクよりもベネフィットが上回る特殊な症例」にのみ限定して実施されています 。医療従事者は個々の症例で慎重にリスクとベネフィットを評価し、総合的な判断のもとで実施の可否を決定することが求められています 。