がん遺伝子と癌原遺伝子の違い
がん遺伝子と癌原遺伝子の定義
がん遺伝子(oncogene)とは、正常な遺伝子が修飾を受けて発現・構造・機能に異常をきたし、その結果として正常細胞のがん化を引き起こす遺伝子を指します。一方、癌原遺伝子(proto-oncogene)は、がん化を引き起こす前の正常な状態の遺伝子であり、細胞のシグナル伝達を引き起こす重要な役割を担っています。
癌原遺伝子は正常細胞において細胞分裂のシグナルを適切に調節する機能を持ち、通常は翻訳されたタンパク質を介して細胞増殖を制御しています。しかし、この癌原遺伝子が変異や異常な活性化を受けると、がん遺伝子へと変化し、悪性腫瘍の誘導因子として機能するようになります。
参考)がん原遺伝子|キーワード集|実験医学online:羊土社 -…
歴史的には、1911年にペイトン・ラウスがニワトリに肉腫を発生させるラウス肉腫ウイルスを発見し、このウイルスに含まれる遺伝子が世界初のがん遺伝子であるSrc(Sarcomaの意味)として同定されました。この発見により、ウイルスのがん遺伝子と全く同一の塩基配列を持つ遺伝子が正常細胞にも存在し、それが癌原遺伝子と呼ばれることが明らかになりました。
参考)http://www3.kmu.ac.jp/bioinfo/H20test.pdf
癌原遺伝子からがん遺伝子への活性化機構
癌原遺伝子は比較的小さな機能変異によってがん遺伝子へと変化します。活性化のメカニズムには主に2つの経路があり、1つ目はタンパク質構造の変化による経路です。
タンパク質構造が変化すると、タンパク質や酵素の活性が増大したり、調節機能を失調したりします。また、複合タンパク質を形成して細胞分裂期に染色体異常を引き起こすこともあり、造血幹細胞分裂時には成人白血病を引き起こすことが知られています。
2つ目の経路はタンパク質濃度の増加です。調節不能のためにタンパク質の発現量が増大したり、細胞内でタンパク質の安定性や存在する寿命が延びてタンパク質の活性が増大したりします。さらに、遺伝子の複製により細胞中の機能タンパク質が倍増することもあります。
国立がん研究センターの研究では、正常細胞でがん遺伝子が活性化すると、DNA複製の進行を妨害してDNA複製ストレスを誘発することが発見されています。このDNA複製ストレスに応答するタンパク質がストレスを回避させる過程で、ゲノム異常を誘発するメカニズムが明らかになっています。
参考)正常細胞でのゲノム異常獲得機構解明|国立がん研究センター
がん遺伝子の種類と機能
がん遺伝子には多様な種類が存在し、それぞれが細胞増殖のシグナル伝達経路の異なる段階で機能しています。主な種類として、細胞増殖因子やその受容体チロシンキナーゼ、非受容体型チロシンキナーゼのsrc、低分子量Gタンパク質のRAS、セリン・スレオニンキナーゼといったシグナル伝達因子が含まれます。
さらに下流で機能する転写因子としてmycやetsなどが知られています。EGFR遺伝子、HER2遺伝子、RAS遺伝子など、たくさんの種類のがん遺伝子が発見されており、これらの遺伝子が変異を起こすと、必要以上にタンパク質が作られて細胞のがん化が進行します。
参考)がんという病気について:[国立がん研究センター がん情報サー…
プロテインキナーゼと関連タンパク質では、上皮成長因子受容体(EGFR)、血小板由来成長因子受容体(PDGFR)、血管内皮成長因子受容体(VEGFR)といった受容体が構造的に活性化状態になることでがん遺伝子として機能します。これらのがん遺伝子産物は、厳密な制御を通して多細胞動物の発生や体制の維持に重要な役割を担っているため、制御機構の破綻は細胞のがん化につながります。
参考)https://www.jstage.jst.go.jp/article/yakushi/132/10/132_12-00204/_pdf/-char/ja
遺伝子変異のタイプと染色体異常
遺伝子変異には点突然変異と染色体突然変異の2つの大きなタイプがあります。点突然変異は一遺伝子内で生じたDNA鎖の塩基配列の微小変化に基づくものです。
一方、染色体突然変異は遺伝子の欠失、逆位、挿入、転座など多数の遺伝子に関係するような変化を伴い、染色体の構造変化を伴うため点突然変異と区別されています。転座では、切断された染色体末端の再結合が2つの染色体にかかわる場合、2つの異常染色体ができ、それぞれ他の染色体の一部と結合して自身の染色体の一部が欠落します。
参考)染色体突然変異:均衡型構造再配列 href=”https://www.rerf.or.jp/glossary/transloc/” target=”_blank”>https://www.rerf.or.jp/glossary/transloc/amp;#8211; 公益財団法…
転座の結果遺伝物質が喪失することがない場合は均衡型と呼ばれ、細胞に生物学的異常を生じることはまれですが、転座を有する個体内で生殖細胞が形成される際に染色体分布が正常でない場合があり、これが流産や子供の奇形、精神遅滞の原因となることがあります。
がん遺伝子の活性化においては、これらの遺伝子変異に加えて、遺伝子増幅も重要なメカニズムとして知られています。c-myc遺伝子増幅が46.7%、N-ras遺伝子増幅が25.0%の症例で確認されており、遺伝子増幅によって細胞中の機能タンパク質が倍増することががん化につながっています。
参考)https://dl.ndl.go.jp/view/prepareDownload?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F10691712
がん抑制遺伝子との関係性
がん遺伝子とは対照的に、がん抑制遺伝子はがんの発生を抑制する重要な役割を担っています。代表的ながん抑制遺伝子にはp53、p16、PTEN、SMAD4などがあり、これらが欠損したり機能喪失したりすると細胞はがん化します。
参考)がん抑制遺伝子 href=”https://chuoclinic.jp/treatment01/” target=”_blank”>https://chuoclinic.jp/treatment01/amp;#8211; 【がん治療専門】がん中央クリ…
p53は「ゲノムの守護神」と呼ばれ、DNAの修復、細胞増殖停止、アポトーシス(細胞の自死)の誘導などによりがんを防ぐ働きがあり、がん細胞において最も高頻度に異常が見られる遺伝子です。p16は細胞周期を調節することによりがんを抑制し、PTENはホスファチジルイノシトール-3,4,5-トリスリン酸(PIP3)を脱リン酸化することによってがんを抑制します。
がん化は多段階的なプロセスであり、その一つの段階が「がん抑制遺伝子」の機能欠損による細胞の不死化です。正常細胞ががん化するためには、がん遺伝子の活性化だけでなく、がん抑制遺伝子の機能喪失が組み合わさることが必要です。
参考)細胞の老化が阻害されてがんが発生する仕組みをハエで解明—マイ…
興味深い事実として、ショウジョウバエの研究では、がん遺伝子Rasを活性化しただけではがん化は起こらず、がん促進タンパク質Yorkieを同時に活性化させると激しいがん化が起こることが明らかになっています。これは、がん化には複数の遺伝子異常が協調して作用する必要があることを示しています。
分子標的薬による治療応用
がん遺伝子の発見は、分子標的薬という新しい治療法の開発につながっています。分子標的薬とは、がん細胞に特異的に発現する特徴を分子や遺伝子レベルで捉えてターゲットとし、がん細胞の異常な分裂や増殖を抑えることを目的とした治療薬です。
参考)分子標的薬とは|がん治療専門の医療相談コンサルタントがんメデ…
従来の抗がん剤は細胞を傷害する薬で、がん細胞にも正常細胞にも作用するため強い副作用を伴いますが、分子標的薬はがん化にかかわる遺伝子の異常に働きかけることで、がん細胞の増殖を抑え、治療効果を発揮します。
参考)がん遺伝子検査ってなに 遺伝子異常と分子標的薬のマッチングが…
具体的な例として、抗EGFR抗体(セツキシマブ)はRAS野生型の大腸がんに有効な治療薬として実用化されており、治療効果をあげています。しかし、RAS変異を持つ大腸がんは抗EGFR抗体による治療が全く効果を示さないことが明らかになっており、遺伝子変異のタイプに応じた治療戦略が重要です。
参考)https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/48257/files/B18087.pdf
KRAS、NRAS、BRAFなどのRAS経路の遺伝子変異は、血液腫瘍および固形腫瘍の両方において同定されており、NRASは血液腫瘍およびメラノーマで、KRASは結腸がんおよび肺がんで高頻度に変異が見られます。これまでにRas阻害剤の開発には成功していませんが、下流のRas/Raf/MEK/ERKメディエーターについてはいくつかの阻害剤の開発に成功しています。
参考)【いまさら聞けないがんの基礎 9】Ras/Raf/MEK/E…
抗EGFR治療後の獲得耐性に関する研究では、治療進行後にKRAS変異(27%)やEGFR増幅(41%)、CDK6増幅(24%)、BRAF増幅(20%)、MYC増幅(17%)などが新たに獲得されることが明らかになっています。これらの情報は、治療抵抗性に至ったがんの新たな治療法の確立へ道を開く重要な知見となっています。
参考)https://www.tmghig.jp/research/topics/202306-14899/
<参考リンク>
国立がん研究センターによるがん遺伝子活性化とゲノム異常獲得機構の解説:正常細胞でのゲノム異常獲得機構解明 | 国立がん研究センター
がん情報サービスによるがん遺伝子の詳細説明:がんという病気について – がん情報サービス
分子標的治療の詳しい情報:がん遺伝子検査ってなに 遺伝子異常と分子標的薬の関係
