アクチンとミオシンの滑り込みメカニズム
滑り込み説の発見とアクチンミオシン複合体の構造
筋収縮のメカニズムを説明する滑走説(滑り込み説)は、現在の筋収縮理論の基盤となっている 。この理論によると、筋収縮は筋原線維内でアクチンフィラメント(薄いフィラメント)がミオシンフィラメント(太いフィラメント)の間に滑り込むことで起こる 。
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1950年代に確立されたこの理論は、電子顕微鏡による観察により、収縮時にサルコメア(筋節)の長さが短くなるものの、各フィラメント自体の長さは変化しないことが判明したことから生まれた 。サルコメアはZ線に区切られた筋原線維の基本単位であり、アクチンとミオシンが規則正しく配置されている 。
アクチンとミオシンの複合体形成において重要なのは、ミオシン分子の頭部(ミオシンヘッド)がアクチンフィラメント上の特定の結合部位に結合することである 。この結合により形成されるクロスブリッジは、筋収縮の原動力となる構造的基盤を提供する 。
サルコメア構造における滑り込みの実際メカニズム
サルコメアの詳細な構造を理解することは、滑り込みメカニズムを把握する上で重要である 。サルコメアは、明帯(I帯)、暗帯(A帯)、H帯、Z線、M線という特徴的な構造から構成される 。
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収縮時の変化として注目すべきは、A帯(ミオシンフィラメントの長さに相当)は一定に保たれる一方、I帯(アクチンフィラメントのみの領域)とH帯(ミオシンフィラメントのみの中央領域)が狭くなることである 。これは、フィラメント自体が収縮するのではなく、フィラメント同士が相互に滑り込むことを明確に示している 。
サルコメアの収縮における力学的な特徴として、各サルコメアの変位は小さいものの、筋線維内に直列に存在する多数のサルコメアの効果が合わさることで、全体として大きな筋収縮が生じることが挙げられる 。この構造的な特性により、効率的な力の発生と伝達が可能となっている。
ATP加水分解とミオシンヘッドの動きによる滑走機構
筋収縮における化学エネルギーから機械エネルギーへの変換は、ATP(アデノシン三リン酸)の加水分解によって駆動される 。ミオシンヘッドに含まれるATP分解酵素(ATPase)が、ATPをADP(アデノシン二リン酸)とリン酸(Pi)に分解する際に放出されるエネルギーが、滑り込み運動の原動力となる 。
クロスブリッジサイクルの詳細なプロセスでは、ATP非結合状態でアクチンと強く結合した硬直複合体にATPが結合すると、アクチンとの親和性が約1万分の1に下がり、ミオシンヘッドがアクチンから解離する 。その後、ATP加水分解産物を保持したミオシンヘッドがアクチンに再結合し、パワーストロークと呼ばれる力発生段階を経て硬直複合体に戻る 。
参考)骨格筋収縮時のミオシン分子頭部とアクチンフィラメント間の硬直…
興味深い発見として、従来の単純なレバーアーム首振り説では説明できない新たなミオシンヘッド構造が、急速凍結レプリカ法による電子顕微鏡観察により明らかになっている 。この新規構造では、ミオシンヘッドがアクチンフィラメントを抱き込むように丸まった形状を示し、従来の理論を修正する必要性が示唆されている 。
参考)https://www.jstage.jst.go.jp/article/biophys/53/5/53_258/_pdf
カルシウムイオンによるアクチンミオシン相互作用の制御
筋収縮の制御において、カルシウムイオン(Ca2+)は中心的な役割を果たす 。弛緩状態では、トロポミオシンがアクチンフィラメントを取り巻き、アクチン上のミオシン結合部位を遮蔽している 。
参考)Signal
神経刺激により筋小胞体からカルシウムイオンが放出されると、トロポニン複合体(TnI、TnC、TnT)にカルシウムが結合する 。トロポニンCがカルシウムを結合すると立体構造変化が起こり、トロポミオシンがアクチンのミオシン結合部位から移動し、ミオシンヘッドがアクチンと相互作用できるようになる 。
トロポニン複合体の構造研究により、3つのサブユニット(TnT、TnC、TnI)が複雑に絡み合った独特な構造を持つことが明らかになっている 。特に、TnIはアクチンとミオシンの相互作用を抑制(inhibition)し、TnTはトロポミオシン(tropomyosin)と結合する機能を持つ 。この制御機構は、筋収縮のON-OFFスイッチとしての役割を果たしている 。
筋疲労とアクチンミオシン系エネルギー代謝の病態生理
筋疲労の発生メカニズムは、アクチンとミオシンの滑り込み機構におけるエネルギー代謝の破綻と密接に関連している 。筋収縮には大量のATPが必要であり、その不足は直接的な筋疲労の原因となる 。
参考)乳酸とは
運動中にグルコースや酸素の供給が不足すると、肝臓に蓄えられたグリコーゲンが嫌気性代謝によって乳酸に分解される 。従来「疲労物質」として考えられていた乳酸だが、現在では乳酸生成過程で発生する水素イオンの影響や、エネルギー基質の枯渇が主要な疲労要因とされている 。
参考)筋肉疲労はなぜ起きるの?
クロスブリッジサイクルの継続的な活動により、ミオシンヘッドがアクチンフィラメントに結合している時間は1サイクルのわずか5%に過ぎないため、多数のミオシンが協調して働く必要がある 。このため、ATP再合成システムの破綻は、効率的な筋収縮を阻害し、疲労症状として現れる 。筋小胞体へのカルシウムイオンの能動輸送にもATPが必要であり、収縮だけでなく弛緩にもエネルギーが消費される 。