静脈性Na利尿ペプチドの一覧と作用機序
静脈性Na利尿ペプチドの発見と歴史的背景
ナトリウム利尿ペプチドの発見は、循環器医学における重要な転換点となりました。1958年に心房特異顆粒が発見されたことから始まり、1979年にカナダのド・ボールド(Adolfo J. de Bold)らが、ラット心房組織からの抽出物を別のラットに静脈投与すると、ナトリウム利尿作用と血圧低下作用があることを示しました。
この発見を契機に、1984年に日本の松尾壽之と寒川賢治らの研究グループがヒト心房組織から心房性ナトリウム利尿ペプチド(ANP)の単離に成功し命名しました。その後、1988年には同グループがブタ脳から脳性ナトリウム利尿ペプチド(BNP)を単離。興味深いことに、後の研究でBNPは主に心室から分泌されていることが明らかになりました。さらに1990年には、C型ナトリウム利尿ペプチド(CNP)も同グループによって発見されました。
これらの発見は、心臓の役割が単なるポンプ器官ではなく、重要な内分泌器官でもあるという概念を医学界にもたらしました。特に日本の研究者がこの分野で先駆的な役割を果たしたことは、国内の医学研究の誇るべき成果といえるでしょう。
静脈性Na利尿ペプチドANPの構造と生理作用
心房性ナトリウム利尿ペプチド(ANP)は、28個のアミノ酸からなるペプチドで、主に心房で生合成され貯蔵されています。ANPの構造は特徴的で、7番目と23番目のシステイン残基間でジスルフィド結合を形成し、17個のアミノ酸からなるリング構造を持っています。
ANPの配列は以下の通りです。
H-Ser-Leu-Arg-Arg-Ser-Ser-Cys-Phe-Gly-Gly-Arg-Met-Asp-Arg-Ile-Gly-Ala-Gln-Ser-Gly-Leu-Gly-Cys-Asn-Ser-Phe-Arg-Tyr-OH
ANPの主な生理作用には以下のものがあります。
- 血管拡張作用:末梢血管を拡張させ、血管抵抗を下げることで心臓の負荷を軽減します。
- 利尿・ナトリウム利尿作用:腎臓での水分とナトリウムの排泄を促進し、体液量を減少させます。
- レニン・アンジオテンシン・アルドステロン系抑制作用:血圧上昇を引き起こす系を抑制します。
- 交感神経抑制作用:血管拡張時に通常見られる反射性の頻脈が起こりにくいという特徴があります。
これらの作用が総合的に働くことで、ANPは強力な血圧降下作用を示します。最近の研究では、ANPの降圧作用が血管内皮細胞の受容体への結合を介して生じることが明らかになっています。これは2022年5月に国立循環器病研究センターの研究チームによって報告された新しい知見です。
静脈性Na利尿ペプチドBNPの臨床的意義と診断価値
脳性ナトリウム利尿ペプチド(BNP)は、名前に「脳性」とありますが、主に心室から分泌されるペプチドホルモンです。BNPは心筋細胞の伸展刺激によって産生・分泌が促進されるため、心不全の状態では血中濃度が著明に上昇します。
BNPの臨床的意義は非常に大きく、特に以下の点で重要です。
- 心不全の診断:BNPまたはその前駆体であるNT-proBNPの血中濃度測定は、心不全の診断に広く用いられています。特に心不全の除外診断において高い陰性適中率を示すため、非常に有用です。
- 重症度評価:BNP値は心不全の重症度と相関するため、NYHA心機能分類などの臨床的評価と併せて患者の状態を客観的に評価するのに役立ちます。
- 予後予測:BNP値は心不全患者の予後予測にも有用で、高値を示す患者ほど予後不良となる傾向があります。
- 治療効果のモニタリング:心不全治療の効果判定にもBNP値の推移が参考になりますが、この点に関してはまだエビデンスが十分とは言えない面もあります。
また、BNPは不安定狭心症や心筋梗塞などの急性冠症候群においても上昇することが知られており、これらの患者のリスク層別化にも役立つことが報告されています。
臨床現場では、BNPとNT-proBNPのどちらかが測定されますが、両者には半減期や腎機能の影響の受けやすさなどに違いがあるため、施設によって選択が異なります。
静脈性Na利尿ペプチドCNPの特徴と骨形成への影響
C型ナトリウム利尿ペプチド(CNP)は、ANPやBNPとは異なる特徴を持つナトリウム利尿ペプチドファミリーの一員です。CNPは主に血管内皮細胞で産生されますが、脳内にも存在することが知られています。
CNPの主な特徴と作用は以下の通りです。
- 受容体選択性:CNPはGC-B受容体に選択的に結合します。これはANPやBNPが主にGC-A受容体に結合するのとは対照的です。
- ナトリウム利尿作用の弱さ:CNPはANPやBNPと比較してナトリウム利尿作用が弱いという特徴があります。これはGC-A受容体への親和性が低いことに関連しています。
- 骨形成への影響:CNPの最も特徴的な作用の一つが、内軟骨性骨化の促進です。CNPは骨の成長板に作用し、軟骨細胞の増殖と分化を促進することで、長管骨の伸長を促します。
- 血管機能の調節:CNPは血管平滑筋の弛緩作用を持ち、局所的な血流調節に関与していると考えられています。
CNPの骨形成に対する作用は、近年特に注目されている分野です。軟骨無形成症などの骨系統疾患に対する治療薬としての可能性が研究されており、CNPのアナログ薬が臨床試験段階にあります。このように、CNPは循環器系だけでなく、骨・軟骨代謝においても重要な役割を果たしているのです。
静脈性Na利尿ペプチドを標的とした心不全治療薬の開発
ナトリウム利尿ペプチドの生理作用を活用した心不全治療薬の開発は、日本が世界をリードしてきた分野です。これらの治療薬は主に以下のアプローチで開発されています。
- 外因性ANPの投与。
日本では1995年に、ヒト心房性ナトリウム利尿ペプチド(hANP:カルペリチド、商品名ハンプ)が急性心不全治療薬として承認されました。静脈内投与により、収縮期血圧・肺動脈圧・肺動脈楔入圧・右房圧・末梢血管抵抗を低下させ、心係数・1回拍出係数を上昇させる効果があります。また、呼吸困難感やチアノーゼなどの自他覚症状も有意に改善します。現在では急性心不全治療薬のシェア第1位を占めるまでになっています。
- 分解酵素阻害剤の開発。
ナトリウム利尿ペプチドは体内でNeutral endopeptidase (NEP)という酵素によって分解されます。このNEPを阻害することで内因性のナトリウム利尿ペプチドの血中濃度を上昇させ、その作用を増強する薬剤が開発されました。特にアンジオテンシン受容体拮抗薬とNEP阻害薬を組み合わせたARNI(Angiotensin Receptor-Neprilysin Inhibitor)は、慢性心不全治療において従来の標準治療を上回る効果を示し、日本を含む世界100カ国以上で承認されています。
- 特殊な病態への応用。
ANPは急性心不全だけでなく、様々な心血管疾患に対しても効果が報告されています。例えば、急性心筋梗塞患者に対するANP投与が心筋梗塞後の心室リモデリングを抑制することや、心臓手術後の急性腎障害の発症を抑制する効果などが臨床研究で示されています。また、末梢動脈閉塞性疾患患者に対するANPの静脈内持続投与では、疼痛の改善・消失、運動耐性の改善、潰瘍病変の縮小などの効果も報告されています。
- 新規治療標的の探索。
最近の研究では、ANPが肺がんの転移を抑制する可能性も報告されており、心不全治療以外の領域への応用も期待されています。また、受容体特異的なアゴニストの開発や、ペプチドの安定性を高めた誘導体の開発なども進められています。
これらの治療薬の開発は、基礎研究から臨床応用まで一貫して日本の研究者が大きく貢献してきた分野であり、今後もさらなる発展が期待されています。
静脈性Na利尿ペプチドの受容体システムと信号伝達
ナトリウム利尿ペプチドの作用は、特異的な受容体を介して発揮されます。この受容体システムと信号伝達の理解は、作用機序の解明や新規治療薬の開発において重要です。
ナトリウム利尿ペプチドの受容体は主に3種類存在します。
- GC-A受容体(NPR-A)。
- ANPとBNPに高い親和性を示す受容体です
- 細胞内ドメインにグアニル酸シクラーゼ活性を持ちます
- リガンドが結合すると、GTPからcGMPを産生します
- 血管平滑筋細胞、腎臓、副腎など広範な組織に発現しています
- 最近の研究では、血管内皮細胞のGC-A受容体がANPの降圧作用において重要な役割を果たすことが明らかになっています
- GC-B受容体(NPR-B)。
- CNPに選択的な受容体です
- GC-A受容体と同様に、細胞内ドメインにグアニル酸シクラーゼ活性を持ちます
- 骨・軟骨組織や血管に多く発現しています
- 骨の成長板における発現が特に重要で、軟骨細胞の増殖・分化に関与しています
- クリアランス受容体(NPR-C)。
- グアニル酸シクラーゼ活性を持たない受容体です
- 主にナトリウム利尿ペプチドの血中からのクリアランス(除去)に関与します
- リガンドが結合すると、受容体-リガンド複合体が細胞内に取り込まれ(internalization)、リガンドが分解されます
- ANP > CNP > BNPの順に結合親和性が高いです
ナトリウム利尿ペプチドの信号伝達経路は以下のように進行します。
- ナトリウム利尿ペプチドが受容体(GC-AまたはGC-B)に結合
- 受容体のグアニル酸シクラーゼ活性が活性化
- GTPからcGMPが産生される
- cGMPがセカンドメッセンジャーとして働き、cGMP依存性プロテインキナーゼ(PKG)を活性化
- PKGが様々な細胞内タンパク質をリン酸化
- 最終的に血管平滑筋の弛緩、ナトリウム排泄の促進などの生理作用が発現
この信号伝達系は、血管トーヌスの調節や体液量の恒常性維持において重要な役割を果たしています。また、この系を標的とした治療薬の開発も進められており、cGMPの分解酵素であるホスホジエステラーゼ5(PDE5)の阻害薬は、肺高血圧症や勃起不全の治療薬として既に臨床応用されています。
最近の研究では、ナトリウム利尿ペプチドの受容体システムがこれまで考えられていたよりも複雑であることが明らかになってきており、組織特異的な作用機序の解明が進められています。