便通異常症診療ガイドラインと慢性便秘症
慢性便秘症は、QOLの低下だけでなく長期的な生命予後にも影響を与える重要な疾患です。2023年7月に発刊された「便通異常症診療ガイドライン2023―慢性便秘症」は、約6年ぶりの改訂となり、2010年代に開発された新たな治療薬のエビデンスを反映しています。
慢性便秘症には、結腸運動機能障害(排便回数減少型)と直腸肛門機能障害(排便困難型)の2つの病態が存在し、それぞれに適した治療アプローチが必要です。本ガイドラインでは、非専門医でも活用できる診療フローチャートが提示され、エビデンスに基づいた薬剤選択が明確化されました。
また、便秘は下痢と表裏一体であることから、「便通異常症診療ガイドライン」という形で「慢性便秘症」と「慢性下痢症」に分けて作成されている点も特徴です。オピオイド誘発性便秘症の治療法も明確にされており、臨床現場での活用が期待されています。
便通異常症診療ガイドラインにおける慢性便秘症の定義と診断基準
慢性便秘症は、単なる排便回数の減少だけでなく、排便時の困難感や残便感なども含む症候群です。便通異常症診療ガイドライン2023では、慢性便秘症を「3ヶ月以上持続する排便困難を主訴とする機能性疾患」と定義しています。
診断基準としては、以下の症状のうち2つ以上が当てはまり、3ヶ月以上持続する場合に慢性便秘症と診断します。
- 排便の25%以上で強くいきむ必要がある
- 排便の25%以上で兎糞状便または硬便が出る
- 排便の25%以上で残便感がある
- 排便の25%以上で直腸肛門の閉塞感や排便困難感がある
- 排便の25%以上で用手的な排便促進が必要である
- 週に3回未満の排便頻度である
これらの症状が機能性(器質的疾患によらない)であることを確認するためには、問診、身体診察、必要に応じて血液検査、内視鏡検査、画像検査などを行います。特に高齢者や症状の急激な変化がある場合は、大腸がんなどの器質的疾患の除外が重要です。
便通異常症診療ガイドラインが推奨する慢性便秘症の治療アルゴリズム
便通異常症診療ガイドライン2023では、慢性便秘症の治療において段階的なアプローチが推奨されています。治療アルゴリズムの基本的な流れは以下の通りです。
- 生活習慣の改善と食事療法
- 十分な水分摂取(1日1.5〜2L)
- 食物繊維の摂取(1日20〜25g)
- 適度な運動習慣の確立
- 排便習慣の確立(朝食後など定時の排便習慣)
- 薬物療法(一次治療)
- 浸透圧性下剤(塩類下剤、糖類下剤、ポリエチレングリコール[PEG])
- 薬物療法(二次治療)
- 上皮機能変容薬(ルビプロストン、リナクロチド)
- 胆汁酸トランスポーター阻害薬(エロビキシバット)
- 代替・補助治療
- プロバイオティクス
- 膨張性下剤
- 消化管運動機能改善薬
- 漢方薬
- オンデマンド治療
- 刺激性下剤
- 外用薬(坐剤、浣腸)
- 摘便
特に重要なのは、排便回数減少型と排便困難型で治療アプローチが異なる点です。排便困難型では、骨盤底筋トレーニングなどの理学的治療が重要な役割を果たします。また、便秘型過敏性腸症候群(IBS-C)と機能性便秘症では治療薬の選択が異なる場合があり、正確な診断が治療成功の鍵となります。
便通異常症診療ガイドラインで強く推奨される慢性便秘症治療薬の特徴と作用機序
便通異常症診療ガイドライン2023では、エビデンスレベルAで強く推奨される慢性便秘症治療薬として、以下の3種類が挙げられています。
1. 浸透圧性下剤
- 塩類下剤(酸化マグネシウム)。
浸透圧により腸管内に水分を引き込み、便を軟化させる作用があります。長い使用歴があり、小児や妊婦にも比較的安全に使用できますが、高マグネシウム血症に注意が必要です。特に高齢者や腎機能低下者では血清マグネシウム値のモニタリングが推奨されています。また、酸分泌抑制薬(PPI)との併用で効果が減弱することがあります。
- 糖類下剤(ラクツロース)。
腸内細菌によって分解されず、浸透圧効果で水分を保持します。ラグノスNF経口ゼリー®が2018年に慢性便秘症の適応を取得しました。海外では標準治療薬として広く使用されており、米国消化器病学会のガイドラインでは推奨度Aとされています。
- ポリエチレングリコール(PEG):モビコール®。
高分子化合物で、腸内の水分を保持して便を軟化させます。電解質バランスを維持するため塩化ナトリウムなどが添加されています。2歳以上から使用可能で、吸収がほとんどないため薬物相互作用が少ないのが特徴です。
2. 上皮機能変容薬
- ルビプロストン(アミティーザ®)。
腸粘膜上皮細胞のClチャネルを活性化し、腸管内への水分分泌を促進します。妊婦には禁忌で、若年女性では悪心の副作用に注意が必要です。基本用量は24μgを1日2回ですが、副作用調整のため12μgカプセルも使用されます。
- リナクロチド(リンゼス®)。
グアニル酸シクラーゼC受容体を活性化させ、cGMPを増加させることでClチャネルを活性化し、水分分泌を促進します。さらに内臓感覚過敏を改善する作用もあるため、便秘型IBSにも有効です。主な副作用は下痢で、用量調整(0.5mg→0.25mg)が可能です。
3. 胆汁酸トランスポーター阻害薬
- エロビキシバット(グーフィス®)。
回腸での胆汁酸再吸収を抑制し、大腸内の胆汁酸量を増加させます。これにより水分分泌が促進され、さらに大腸の蠕動運動も亢進します。食前投与が必要で、主な副作用は腹痛です。
これらの新規薬剤(ルビプロストン、リナクロチド、エロビキシバット)は、メタアナリシスの結果から効果は同等とされていますが、作用機序や副作用プロファイルが異なるため、患者の状態に応じた選択が重要です。
便通異常症診療ガイドラインにおける慢性便秘症治療薬の薬価比較と選択基準
便通異常症診療ガイドライン2023で推奨される慢性便秘症治療薬の薬価を比較すると、従来薬と新規薬剤の間に大きな差があることがわかります。2023年現在の薬価は以下の通りです。
薬剤名 | 薬価 | 1日あたりの治療費 |
---|---|---|
酸化マグネシウム(250mg-500mg) | 5.7円/錠 | 22.8-45.6円 |
モビコールLD | 70.5円/包 | 141-282円 |
モビコールHD | 125.5円/包 | 125.5-251円 |
ラグノスNF経口ゼリー分包 12g | 42.5円/包 | 85円 |
アミティーザカプセル12μg | 52.6円/カプセル | 105.2円 |
アミティーザカプセル24μg | 105円/カプセル | 210円 |
リンゼス 0.25mg | 73.4円/錠 | 73.4円 |
グーフィス 5mg | 89.2円/錠 | 89.2円 |
この比較から明らかなように、酸化マグネシウムは圧倒的に薬価が安く、経済的負担が少ないという利点があります。一方、新規薬剤は薬価が高めに設定されていますが、従来薬で効果不十分な場合や副作用のため使用できない場合に重要な選択肢となります。
ガイドラインでは、「マグネシウム製剤は、高齢者や腎機能低下者には注意し血清マグネシウム値をモニタリングする。糖類下剤のラクツロース製剤とPEGは、従来薬を投与した後、効果不十分の場合に投与可能である」と記載されています。つまり、基本的な治療の流れ
- まず酸化マグネシウムを第一選択薬として使用
- 効果不十分または副作用で使用できない場合は、PEGやラクツロースを検討
- それでも改善しない場合は、上皮機能変容薬や胆汁酸トランスポーター阻害薬を検討
という段階的アプローチが推奨されています。
薬剤選択の際には、薬価だけでなく、患者の病態(排便回数減少型か排便困難型か)、併存疾患(腎機能障害など)、併用薬(PPIなど)、年齢、妊娠の可能性などを総合的に考慮することが重要です。また、患者の生活スタイルや服薬コンプライアンスも考慮し、最適な治療法を選択する必要があります。
便通異常症診療ガイドラインが考慮していない機能性ディスペプシアと便秘の関連性
便通異常症診療ガイドラインでは主に慢性便秘症に焦点を当てていますが、実臨床では機能性ディスペプシア(FD)と便秘が併存するケースが少なくありません。この関連性はガイドラインでは十分に考慮されていない側面があります。
機能性ディスペプシアの治療で使用される制酸剤(プロトンポンプ阻害薬:PPI、H2受容体拮抗薬など)は、副作用として便秘を引き起こすことがあります。特に注目すべき点として。
- PPIと酸化マグネシウムの相互作用。
PPIによる胃酸分泌抑制は、酸化マグネシウムの溶解と活性化を阻害し、便秘治療効果を減弱させる可能性があります。これは便通異常症診療ガイドラインでも触れられていない重要な相互作用です。
- 消化管運動機能の関連。
FDと慢性便秘症はともに消化管運動機能障害を背景に持つことが多く、病態生理学的に関連している可能性があります。胃排出遅延と腸管運動低下が同時に起こることで、上部・下部消化管症状が併存することがあります。
- 内臓感覚過敏。
FDと便秘型IBSはともに内臓感覚過敏が関与しており、リナクロチドのようなcGMP増加作用を持つ薬剤は、内臓感覚過敏を改善することで両方の症状に効果を示す可能性があります。
- 代替療法の可能性。
FDと便秘が併存する場合、プロバイオティクスが両方の症状改善に寄与する可能性があります。例えば、乳酸菌LJ88には胃酸分泌調整作用と整腸作用の両方があるとされています。
実臨床では、FDと便秘の両方に悩む患者に対して、一方の治療が他方を悪化させないよう注意が必要です。特に制酸剤による便秘悪化が問題となる場合は、以下のアプローチが考えられます。
- PPIの用量調整や間欠投与の検討
- 便秘を誘発しにくいH2受容体拮抗薬への変更
- 消化管運動機能改善薬(アコチアミドなど)の併用
- プロバイオティクスの活用
このように、便通異常症診療ガイドラインだけでなく、機能性ディスペプシアガイドラインも参照しながら、上部・下部消化管症状を総合的に評価し治療することが重要です。
機能性ディスペプシア診療ガイドライン2021(日本消化器病学会)- FDと便秘の関連について記載あり