JRC蘇生ガイドライン2020の改訂ポイント
JRC蘇生ガイドライン2020は、日本蘇生協議会(Japan Resuscitation Council:JRC)が作成する日本の救急・蘇生に関する指針です。このガイドラインは国際蘇生連絡委員会(ILCOR)が作成する国際コンセンサス(CoSTR)に基づいて作成され、5年ごとにエビデンスに基づく見直しが行われています。
2020年版は当初2020年10月に発表予定でしたが、COVID-19の世界的流行の影響により、多くの作業部会員が感染症対策の最前線で診療にあたっていたため、半年間延期となり、2021年6月に正式発表されました。
ガイドラインの作成には、救急関連の23学会・団体から推薦された総勢176人の専門家が参加し、最新の医学的エビデンスに基づいた内容となっています。
JRC蘇生2020のBLS(一次救命処置)での主な変更点
BLS(Basic Life Support:一次救命処置)については、「心停止傷病者の救命には市民救助者の行動が不可欠」であり、「強く、速く、絶え間ない胸骨圧迫が最重要」という基本的なコンセプトは2015年版から変更されていません。しかし、救助者が判断に迷うことも想定し、救命処置の遅れを防ぐためにいくつかの点が改訂されました。
主な変更点は以下の通りです。
- 反応の確認: 「反応の有無の判断に迷う場合」または「わからない場合」も「反応なし」とみなすことになりました。これにより、判断に時間をかけず迅速な対応が可能になります。
- 呼吸の確認: 「普段どおりの呼吸かどうか判断に迷う場合」または「わからない場合」も「呼吸なし」とみなします。これも同様に、迅速な心肺蘇生開始を促すための変更です。
- AEDのパッド/モードの名称変更:
- 小児用パッド(モード)→ 未就学児用パッド(モード)
- 成人用パッド(モード)→ 小学生~大人用パッド(モード)
この名称変更は、小学生に対してどちらのパッド/モードを使用するか即時に判断できないケースや、誤って小児用パッド/モードを使用するケースが報告されていたことを受けての改訂です。より直感的に年齢層を理解できる表現に変更されました。
JRC蘇生2020のALS(二次救命処置)における変更内容
ALS(Advanced Life Support:二次救命処置)については、前回の「ガイドライン2015」から大きく変更された点はありません。ALSはBLSだけではROSC(return of spontaneous circulation:自己心拍再開)が得られない場合に行われます。
心停止アルゴリズムでは、以下の3段階で進行します。
- 第1段階:BLS(一次救命処置)
- 第2段階:ALS(二次救命処置)
- 第3段階:ROSC(自己心拍再開)後のモニタリングと全身管理
医療機関内でのALSの実施においては、チーム医療の重要性が強調されており、各メンバーの役割分担と連携が救命率向上のカギとなります。
JRC蘇生2020における医療従事者の対象範囲拡大
2020年版ガイドラインでは、医療用BLSに準じて蘇生処置を行う者の対象が拡大されました。「職種や従事している施設や部署、診療科、病棟、従事内容にかかわらず”すべての医療従事者”」が対象となりました。
これは2015年版では、対象者が日常的に蘇生に従事する者(ERやICUなどに従事する医師、看護師、救急隊員)に限定されていたのに対し、大きく範囲を広げた形となります。
この変更により、すべての医療従事者はBLSのトレーニングを積み、手技を修得しておく必要があるとされています。病院内のどの部署で働いていても、心停止に遭遇する可能性があるため、全ての医療従事者が適切な対応ができるようにすることが求められています。
JRC蘇生2020とCOVID-19への対応
2020年版ガイドラインの特徴的な点として、COVID-19への対応が補遺として追加されたことが挙げられます。パンデミック下での心肺蘇生法には、救助者自身の感染リスクも考慮する必要があります。
COVID-19流行下での心肺蘇生法における主な注意点。
- 感染防護: 可能な限り個人防護具(PPE)を着用する
- 人工呼吸の扱い: 一般市民による救助の場合、感染リスクを考慮し、胸骨圧迫のみ(ハンズオンリーCPR)も選択肢となる
- エアロゾル発生リスク: 人工呼吸や気管挿管などの処置はエアロゾルが発生するため、医療従事者は適切な防護策を講じる
- チーム人数の最適化: 処置に関わる医療者の人数を必要最小限にする
なお、COVID-19の流行以前から、一般市民による人工呼吸の実施については議論がありました。人工呼吸の技術的難しさや心理的抵抗から、胸骨圧迫のみの心肺蘇生(ハンズオンリーCPR)の有効性も認められています。
JRC蘇生ガイドライン2020の公式サイト – 補遺のCOVID-19対応について詳しく解説されています
JRC蘇生2020の国際的位置づけと歴史的背景
JRC蘇生ガイドラインの国際的な位置づけを理解するには、その歴史的背景を知ることが重要です。現在の心肺蘇生(CPR)は、1960年に米国で人工呼吸法、循環確保法(胸骨圧迫心臓マッサージ法)、電気的除細動の3つが統合されてから発展してきました。
日本のCPRの普及や方法の統一は当初大きく出遅れていましたが、2000年の国際蘇生連絡委員会(ILCOR)による国際ガイドラインの発表を契機に、国際標準のCPR導入と国内における方法の統一化が進みました。
2002年に日本蘇生協議会(JRC)が発足し、米国から国際標準のCPRトレーニングが導入されました。2005年には総務省消防庁による全国規模での院外心停止全例登録も開始され、同年にJRCを中心にアジア蘇生協議会(RCA)が設立されました。
2006年にはILCOR加盟が実現し、5年ごとのILCORの「心肺蘇生に関わる科学的根拠と治療勧告コンセンサス(CoSTR)」作成に参加することにより、2010年に初めてのJRC蘇生ガイドラインが誕生しました。
2015年にはILCORが国際標準のガイドライン作成方法であるGRADEシステムを導入し、「JRC蘇生ガイドライン2015」からこのシステムが採用されています。
このように、JRC蘇生ガイドラインは国際的な標準と連携しながら、日本の医療環境に適応した形で発展してきました。
医学書院 – JRC蘇生ガイドラインのこれまでとこれから(野々木宏氏による解説)
JRC蘇生2020を実践に活かすための教育と普及活動
JRC蘇生ガイドライン2020を実際の医療現場で活かすためには、適切な教育と普及活動が不可欠です。ガイドラインの第9章「普及・教育のための方策(EIT:Education, Implementation, and Teams)」では、効果的な蘇生教育の方法について詳しく解説されています。
効果的な蘇生教育のポイント。
- シミュレーション訓練: 実際の心停止場面を想定したシミュレーション訓練が効果的です。特にチームでの対応力を高めるためには、定期的な訓練が必要です。
- 反復学習: 心肺蘇生スキルは時間の経過とともに低下するため、定期的な再訓練が推奨されています。理想的には3〜6ヶ月ごとの再訓練が効果的とされています。
- フィードバック機能の活用: 胸骨圧迫の質(深さ、速さ、戻り)をリアルタイムでフィードバックする機器を用いた訓練は、スキル向上に効果的です。
- チーム医療の強化: 特に院内での心停止対応では、チームとしての連携が重要です。リーダーシップ、コミュニケーション、役割分担などのノンテクニカルスキルの訓練も重視されています。
- オンライン学習の活用: COVID-19の影響もあり、オンラインでの学習ツールの活用も推奨されています。ただし、実技訓練は対面で行うことが望ましいとされています。
医療機関では、これらの教育活動を計画的に実施し、全ての医療従事者が最新のガイドラインに基づいた心肺蘇生法を実践できるようにすることが求められています。
日本では、消防組織や日本赤十字社、各種団体などによって心肺蘇生法の講習会が行われており、消防組織だけでも年間約190万人が普通救命講習を受講しています。しかし、COVID-19の影響で受講者数の制限が行われているため、VR(バーチャルリアリティ)などの新技術を活用した講習方法の開発も進められています。
JRC蘇生2020が示す今後の救命医療の展望
JRC蘇生ガイドライン2020は、単に現在の標準的な蘇生法を示すだけでなく、今後の救命医療の方向性も示唆しています。特に注目すべき点として、以下のような展望が考えられます。
- テクノロジーの活用: 人工知能(AI)やビッグデータを活用した心停止予測や最適な蘇生法の選択など、テクノロジーの活用がさらに進むと考えられます。例えば、ウェアラブルデバイスによる心停止の早期検知や、AIによる胸骨圧迫の質の評価などが研究されています。
- 市民救助者の重要性の高まり: ガイドラインでも強調されているように、心停止からの救命には市民救助者の迅速な行動が不可欠です。今後はさらに一般市民への教育や、スマートフォンアプリなどを活用した市民救助者の動員システムの普及が進むでしょう。
- 個別化医療の進展: 心停止の原因や患者の状態に応じた個別化された蘇生法の研究が進んでいます。将来的には、より患者個々の状況に適した蘇生プロトコルが開発される可能性があります。
- 国際連携の強化: 日本の心停止レジストリデータは世界的にも貴重なものとなっており、国際的な研究連携がさらに進むことで、エビデンスの蓄積と治療法の改善が期待されます。
- 教育方法の革新: VRやAR(拡張現実)を活用した新しい教育方法の開発が進んでおり、より効果的で実践的な蘇生教育が可能になると考えられます。
これらの展望は、5年後の次回ガイドライン改訂時にはさらに具体化されていくことでしょう。医療従事者は最新の研究動向にも注目しながら、常に最善の救命処置を提供できるよう知識とスキルを更新していくことが求められます。