ジフテリアの基本知識と予防対策
ジフテリアは、コリネバクテリウム・ジフテリエという細菌の感染によって引き起こされる急性感染症です。この感染症は主に上気道に影響を及ぼし、特徴的な偽膜形成を伴います。日本では予防接種の普及により1999年以降の国内発症例は報告されていませんが、医療従事者として基本的な知識を持っておくことは重要です。
ジフテリア菌はグラム陽性桿菌に分類され、毒素を産生する株と産生しない株があります。毒素産生株が感染すると、局所での偽膜形成だけでなく、全身に毒素が運ばれて心筋炎や神経障害などの重篤な合併症を引き起こす可能性があります。
感染経路は主に飛沫感染で、感染者のくしゃみや咳などによって拡散された菌を吸い込むことで感染します。また、ジフテリア菌が付着したドアノブやタオルなどの物品を介した接触感染も稀にあります。潜伏期間は2〜5日程度ですが、場合によってはより長期になることもあります。
ジフテリア菌の特徴と感染メカニズム
ジフテリア菌(コリネバクテリウム・ジフテリエ)は、コリネバクテリウム属に属するグラム陽性桿菌です。この菌の特徴として、菌体内にβファージと呼ばれるバクテリオファージが存在し、このファージがtox遺伝子を持つことで毒素産生能を獲得します。
菌の形態は特徴的で、細胞分裂時に完全に分離せず、V字型やL字型に配列する「中国文字様配列」と呼ばれる特徴的な形態を示します。また、菌体内にはメタクロマティック顆粒(ボルトン小体)と呼ばれる多リン酸体が存在し、これが特殊染色で赤紫色に染まることも診断の一助となります。
ジフテリア菌が産生する毒素は、A-B毒素の一種で、A部分が細胞内に侵入してタンパク合成を阻害し、細胞死を引き起こします。特に心筋細胞や神経細胞に親和性が高く、これが心筋炎や神経障害の原因となります。
感染が成立すると、菌は主に上気道粘膜に定着し、局所で増殖して毒素を産生します。この毒素により局所の組織が壊死し、フィブリン、壊死組織、白血球などが混ざり合って特徴的な偽膜を形成します。この偽膜は強固に粘膜に付着しており、無理に剥がすと出血を伴います。
ジフテリアの症状と臨床像の特徴
ジフテリアの臨床症状は感染部位によって異なりますが、最も一般的なのは咽頭ジフテリアです。初期症状は38〜38.9℃程度の発熱、のどの痛み、倦怠感、鼻水、声枯れなど風邪に似た症状から始まります。
咽頭ジフテリアの最も特徴的な所見は、扁桃や咽頭粘膜に形成される偽膜です。この偽膜は初期には白色ですが、時間の経過とともに灰色に変化します。偽膜は強固に粘膜に付着しており、無理に剥がそうとすると出血を伴います。偽膜が喉頭に広がると、喉頭ジフテリアとなり、声枯れや犬吠様咳嗽、吸気性喘鳴、呼吸困難などの症状が現れます。重症例では偽膜が気管支まで広がり、窒息の危険性があります。
鼻ジフテリアでは、鼻閉、鼻出血、血性または膿性の鼻汁が特徴的です。皮膚ジフテリアは、皮膚の傷や潰瘍部位に菌が感染して生じ、痂皮形成を伴う潰瘍性病変を形成します。
ジフテリア菌が産生する毒素は血流に乗って全身に広がり、様々な合併症を引き起こします。最も重篤な合併症は心筋炎で、感染後1〜2週間で発症することが多く、不整脈、心不全、突然死の原因となります。また、神経障害も重要な合併症で、軟口蓋麻痺による嚥下障害、眼筋麻痺、横隔膜麻痺などが生じることがあります。
特に5歳以下の小児や40歳以上の成人では重症化しやすく、無治療の場合の致死率は5〜10%に達します。
ジフテリアの診断と検査方法の実際
ジフテリアの診断は、臨床症状、疫学的情報、検査所見を総合的に判断して行います。特に特徴的な偽膜の存在は診断の重要な手がかりとなります。
確定診断には細菌学的検査が必要です。偽膜や咽頭からの検体を採取し、選択培地(テルル酸カリウム培地やシスチン-テルル酸血液寒天培地など)で培養します。ジフテリア菌は24〜48時間で特徴的なコロニーを形成します。分離された菌については、生化学的性状検査やPCR法によるtox遺伝子の検出を行い、毒素産生能を確認します。
また、Elek試験という免疫沈降法を用いて毒素産生能を直接確認する方法もあります。この検査では、培地上に抗毒素を含む濾紙を置き、その周囲に菌を接種して培養します。毒素産生株の場合、毒素と抗毒素が反応して特徴的な沈降線が形成されます。
臨床検査では、白血球増多、CRP上昇などの炎症反応がみられますが、これらは非特異的な所見です。心筋炎合併例では、心電図異常(ST-T変化、伝導障害など)やトロポニン上昇がみられます。
重要なのは、ジフテリアを疑った場合には、確定診断を待たずに速やかに治療を開始することです。特に予防接種歴がない、または不明な患者で特徴的な偽膜を認める場合は、臨床診断でジフテリアと判断して治療を開始すべきです。
ジフテリアの治療法と抗毒素療法の重要性
ジフテリアの治療は、抗毒素療法と抗菌薬療法の2本柱で行います。特に抗毒素療法は、毒素による合併症を防ぐために極めて重要です。
抗毒素療法では、ウマ血清由来のジフテリア抗毒素を使用します。抗毒素は血中の遊離毒素を中和しますが、すでに細胞に結合した毒素には効果がないため、できるだけ早期に投与することが重要です。臨床的にジフテリアを疑った時点で、細菌学的確定診断を待たずに投与を開始すべきです。
抗毒素の投与量は疾患の重症度によって異なります。軽症の咽頭・喉頭ジフテリアでは20,000〜40,000単位、中等症では40,000〜60,000単位、重症例や発症から3日以上経過した例では80,000〜100,000単位を推奨します。投与経路は主に静脈内投与ですが、ウマ血清由来のため、アナフィラキシーのリスクがあります。そのため、投与前には必ず皮内テストを実施し、陽性の場合は脱感作プロトコルに従って慎重に投与します。
抗菌薬療法としては、ペニシリンGまたはエリスロマイシンが第一選択薬です。ペニシリンGは、成人では1日600万〜800万単位を4回に分けて10〜14日間、小児では1日10万〜15万単位/kgを4回に分けて投与します。エリスロマイシンは、成人では1日2gを4回に分けて、小児では1日40〜50mg/kgを4回に分けて14日間投与します。
治療効果の判定には、咽頭培養を用います。治療開始後24時間以内に2回連続して陰性となるまで隔離を継続します。通常、適切な抗菌薬治療を行えば48時間以内に培養は陰性化します。
重症例では、気道確保のための気管挿管や気管切開が必要になることがあります。また、心筋炎や神経障害などの合併症に対しては、それぞれ適切な対症療法を行います。
ジフテリアの予防接種と国際的な発生状況
ジフテリアの予防には、予防接種が最も効果的です。日本では、定期予防接種として、生後3か月から開始するDPT-IPV(ジフテリア・百日咳・破傷風・不活化ポリオ)ワクチンと、11歳時に接種するDT(ジフテリア・破傷風)トキソイドが導入されています。
標準的な接種スケジュールでは、DPT-IPVを生後3か月から開始して3〜8週間隔で3回接種し、その後1年〜1年半後に1回追加接種します。さらに、11歳時にDTトキソイドを1回接種します。この接種スケジュールを完了することで、長期間の免疫を獲得できます。
ワクチンの有効性は非常に高く、完全な接種スケジュールを受けた場合の有効率は97%以上とされています。しかし、免疫は永続的ではなく、時間の経過とともに低下するため、特に海外渡航時などには追加接種を検討する必要があります。
世界的にみると、ジフテリアはアフリカ、中南米、アジア、中東、東ヨーロッパなどの一部地域で依然として流行しています。特に予防接種率の低い地域や、紛争地域、難民キャンプなどでアウトブレイクが報告されています。
2017年にはイエメンで大規模なアウトブレイクが発生し、1000人以上の症例と多数の死亡者が報告されました。また、2018年にはベネズエラやハイチでもアウトブレイクが報告されています。さらに、2019年から2020年にかけてはインドネシアのパプア州で大規模なアウトブレイクが発生し、多数の小児が犠牲となりました。
日本国内では1999年以降、国内感染例の報告はありませんが、海外渡航者や外国人の増加に伴い、輸入感染症としての可能性は常に念頭に置く必要があります。特に予防接種歴のない、または不完全な方が流行地域に渡航する場合は、事前のワクチン接種を強く推奨します。
ジフテリアと類似疾患の鑑別診断のポイント
ジフテリアの臨床症状、特に咽頭の偽膜形成は、他の感染症でも見られることがあるため、鑑別診断が重要です。
最も重要な鑑別疾患は溶連菌感染症(A群β溶血性連鎖球菌咽頭炎)です。溶連菌感染症でも咽頭に白苔が付着することがありますが、ジフテリアの偽膜のように強固に付着しておらず、容易に拭い去ることができます。また、溶連菌感染症では発熱が高く(39℃以上)、咽頭痛が強い傾向があります。迅速抗原検査や咽頭培養でA群溶連菌が検出されれば、溶連菌感染症と診断できます。
伝染性単核球症(EBウイルス感染症)も重要な鑑別疾患です。伝染性単核球症では扁桃の腫大と白苔付着、頸部リンパ節腫脹、肝脾腫、発熱などの症状がみられます。末梢血液検査で異型リンパ球の出現や、EBウイルス特異的抗体検査が診断の助けとなります。
急性喉頭蓋炎も鑑別すべき疾患です。急性喉頭蓋炎では、高熱、嚥下痛、呼吸困難などの症状が急速に進行します。喉頭ファイバースコープで喉頭蓋の発赤・腫脹を確認できれば診断できます。
その他、カンジダ症、ヘルペス性咽頭炎、アデノウイルス感染症なども鑑別に挙げられます。カンジダ症では白色の偽膜様病変が形成されますが、ジフテリアの偽膜より容易に剥がれ、その下の粘膜は発赤していますが出血はみられません。
鑑別診断のポイントとしては、予防接種歴、海外渡航歴、臨床経過(特に症状の進行速度)、偽膜の性状(色、硬さ、付着の強さ、剥離時の出血の有無)、全身症状の有無などが重要です。不確かな場合は、安全を期して臨床的にジフテリアとして治療を開始し、並行して確定診断のための検査を進めることが推奨されます。
ジフテリアは稀な疾患となっていますが、その臨床像を熟知しておくことで、万が一の症例に遭遇した際に迅速かつ適切な対応ができるようになります。