代替治療薬の最新情報も紹介します。
アルペリシブの日本における承認状況
日本人患者では副作用による投与中止が56.3%に達します。
アルペリシブの日本承認が遅れている背景
アルペリシブ(alpelisib)は、PIK3CAと呼ばれる遺伝子に変異を持つホルモン受容体陽性HER2陰性進行乳がん患者に対するPI3Kα特異的阻害薬です。海外では既に標準治療として位置づけられており、米国では2019年5月、欧州では2020年7月に承認されました。商品名はPiqray(ビクレイ)として知られています。
PIK3CA変異は、ホルモン受容体陽性HER2陰性乳がん患者の約40%に認められる遺伝子異常です。この変異があると、がん細胞の増殖を促進するPI3K/AKT/mTOR経路が過剰に活性化されます。アルペリシブはこの経路を特異的に遮断することで、ホルモン療法への耐性を克服し、抗腫瘍効果を発揮する仕組みです。
国際共同第3相臨床試験であるSOLAR-1試験では、PIK3CA変異陽性患者においてアルペリシブとフルベストラントの併用療法が、プラセボとフルベストラントの併用と比較して無増悪生存期間(PFS)を有意に延長しました。全体集団でのPFS中央値は、アルペリシブ群が11.0カ月、プラセボ群が5.7カ月、ハザード比0.65という結果でした。
しかし日本人サブグループの解析では、期待されたような治療効果の差が認められませんでした。日本人PIK3CA変異陽性患者におけるPFS中央値は、アルペリシブ群9.6カ月、プラセボ群9.2カ月、ハザード比0.78と、カプランマイヤー曲線はほぼ重なっていたのです。この原因として、日本人患者における副作用発現率の高さと、それに伴う投与中止や用量調整が挙げられます。
日経メディカル掲載のSOLAR-1試験日本人サブグループ解析データ(2019年日本臨床腫瘍学会発表)
アルペリシブ投与時の日本人特有の副作用プロファイル
日本人患者におけるアルペリシブの副作用発現率は、全体集団と比較して著しく高い傾向が明らかになっています。SOLAR-1試験の解析によると、投与中止につながる副作用を発現した患者の割合は、全体集団で25.0%(グレード3/4が13.0%)だったのに対し、日本人患者では56.3%(グレード3/4が25.0%)に達しました。
つまり半数以上です。
特に問題となったのは皮膚障害でした。グレード3/4の皮疹発現率は、全体集団で20.1%、日本人患者で43.8%と、日本人で2倍以上の高率を示しています。膵炎の発現率も全体集団5.6%に対し日本人患者15.6%、重篤な皮膚反応は全体集団1.1%に対し日本人患者9.4%と、いずれも日本人で顕著に高い結果となりました。
日本人患者のグレード3/4の皮疹は、多くが投与開始後14日以内という早期に発現しています。これは治療継続の大きな障壁となり、実際にアルペリシブの暴露期間中央値は全体集団で5.5カ月だったのに対し、日本人患者では1.4カ月に留まりました。平均相対用量強度も全体の77.8%に対し、日本人患者は58.8%と低下していたのです。
こうした民族差の背景については、薬物動態の検討が行われましたが、日本人と非日本人で差は認められませんでした。現時点では、副作用に関連すると考えられる臨床的な因子も特定されていません。遺伝的な背景や体質的な要因が関与している可能性が示唆されますが、詳細なメカニズムは不明のままです。
このような安全性プロファイルの違いから、日本における承認には追加の臨床試験が必要と判断されました。2019年の日本臨床腫瘍学会(JSMO2019)において、日本では追加試験を実施する方向であることが発表されましたが、その後の進捗については公表された情報が限られています。
アルペリシブの適応症と米欧での使用状況
米国FDAが承認したアルペリシブの適応症は、「ホルモン受容体陽性、HER2陰性でPIK3CA遺伝子変異を有する、内分泌療法による治療中または治療後に進行が認められた閉経後女性および男性の進行または転移乳がん」です。フルベストラントとの併用療法として、FDA承認のコンパニオン診断薬によってPIK3CA変異が確認された患者に使用されます。
推奨用量は300mg(150mg錠を2錠)を1日1回、食後約30分以内に経口投与します。フルベストラントは500mgを28日サイクルの1日目、15日目(初回サイクルのみ)、その後は各サイクルの1日目に筋肉内投与される標準的な投与法です。
欧州でも同様の適応で承認されており、2022年時点でノバルティスファーマの発表によれば、アルペリシブは米国やEU加盟国を含む64ヵ国で承認されています。興味深いことに、新興国市場向けのアルペリシブブランドは、欧州での承認に先立ちインドで発売が開始されるなど、アクセス拡大に向けた取り組みも進められてきました。
米国での承認は、Real-Time Oncology Review(RTOR)パイロットプログラムに基づき承認された新規分子化合物に関する初めての新薬承認申請(NDA)でした。これは審査の迅速化を図る仕組みで、がん治療薬の患者への早期提供を目的としています。
海外での臨床使用経験が蓄積される中、PIK3CA変異陽性乳がんに対する新たな治療選択肢として、アルペリシブは一定の評価を得ています。ただし皮疹や高血糖、下痢などの副作用管理が重要であり、適切な用量調整やサポーティブケアが治療継続の鍵となります。
アルペリシブの日本承認見込みと開発状況の最新情報
2026年2月現在、アルペリシブの日本における承認見込みは不透明な状況が続いています。2019年に追加臨床試験の実施方針が示されて以降、具体的な治験の進捗状況や承認申請のタイムラインについて、公式な発表はほとんどありません。
厚生労働省が管理する臨床研究等提出・公開システム(jRCT)には、「CDK4/6投与中・後に再発・進行を来したPIK3CA変異陽性乳がん患者に対し、前治療によりアルペリシブとフルベストラント併用またはレトロゾール併用の2コホートに分け評価する第II相試験」が登録されていますが、試験の区分は「保留」となっており、実際の進行状況は明らかではありません。
一部の臨床医や患者コミュニティからは、「日本では発売されないといううわさもある」との情報も流れています。これは正式な発表ではありませんが、追加試験の実施が困難であったり、日本人での副作用プロファイルを考慮すると開発企業が日本市場への投資を再考している可能性も否定できません。
製造販売元のノバルティスファーマは日本国内でも積極的に事業展開を続けており、2024年の国内売上高は前年比6%増の3576億円と好調でした。ただしアルペリシブに関する具体的な開発状況については、公表されている決算資料やプレスリリースにも詳細な記載がありません。
医療現場では、PIK3CA変異陽性乳がん患者の治療選択肢が限られている中、アルペリシブの導入を待ち望む声がある一方で、日本人での高い副作用発現率を考慮すると、慎重な評価が必要との意見もあります。追加試験が実施される場合、日本人患者に適した用量設定や副作用管理プロトコルの確立が重要な課題となるでしょう。
アルペリシブの代替治療薬:日本で承認された選択肢
アルペリシブが日本で未承認の状況において、PIK3CA経路の異常を標的とする代替治療薬として、AKT阻害薬カピバセルチブ(商品名:トルカプ錠)が2024年3月26日に承認され、同年5月22日に薬価収載・発売されました。これは世界初のAKT選択的阻害薬であり、日本の乳がん治療に新たな選択肢をもたらしています。
トルカプの承認された適応症は「内分泌療法後に増悪したPIK3CA、AKT1またはPTEN遺伝子変異を有するホルモン受容体陽性かつHER2陰性の手術不能または再発乳がん」です。注目すべき点は、PIK3CA変異だけでなく、AKT1変異やPTEN変異を有する患者も治療対象に含まれることです。これにより、アルペリシブよりも広い患者集団に治療機会が提供されます。
AKT阻害薬が優位性を持つのは、PI3K/AKT/mTOR経路においてAKTが中心的な役割を果たすためです。PI3Kの下流に位置するAKTを直接阻害することで、PIK3CA変異に加えて、AKT1変異やPTEN欠損など、複数の経路異常に対応できます。第3相臨床試験CAPItello-291試験では、遺伝子変異陽性集団において、カピバセルチブとフルベストラントの併用がプラセボとフルベストラント併用と比較してPFSを有意に延長しました(7.2カ月 vs 3.6カ月、ハザード比0.60)。
日本人での安全性プロファイルも重要です。
カピバセルチブの主な副作用には、発疹、下痢、高血糖がありますが、アルペリシブで問題となった重度の皮疹や膵炎の発現率は相対的に低い傾向が報告されています。ただし高血糖の管理は重要で、糖尿病性ケトアシドーシス(DKA)のリスクについて医療従事者への注意喚起がなされています。定期的な血糖モニタリングと適切な血糖コントロールが、治療継続の鍵となります。
さらに次世代のPI3K阻害薬として、イナボリシブ(inavolisib)が注目を集めています。中外製薬は2024年7月31日、PIK3CA遺伝子変異を有する乳がんに対する経口PI3K阻害薬イナボリシブについて、ロシュ社より日本における独占的開発権および販売権を取得したことを発表しました。イナボリシブは選択性が高く、副作用プロファイルの改善が期待されており、国際共同第3相試験INAVO120試験では良好な結果が示されています。
これらの代替治療薬の登場により、日本におけるPIK3CA経路異常を標的とした治療選択肢は着実に拡大しています。アルペリシブの承認が遅れている状況においても、医療現場では新しい治療戦略の構築が可能になりつつあります。患者個々の遺伝子変異プロファイル、前治療歴、併存疾患などを総合的に評価し、最適な治療薬を選択することが求められるでしょう。