サクビトリル・バルサルタン配合剤の効果と使用法
ACE阻害薬との切り替えは24時間で大丈夫と思っていませんか。
サクビトリル・バルサルタン配合剤の作用機序と特徴
サクビトリル・バルサルタン配合剤(商品名:エンレスト)は、2020年に本邦で承認された新しいタイプの心不全治療薬です。この薬剤は「アンジオテンシン受容体ネプリライシン阻害薬(ARNI)」という新しいクラスに分類されます。
従来の配合剤とは異なる点が特徴的です。サクビトリルとバルサルタンが1対1のモル比で単一の結晶複合体を形成しており、経口投与後に速やかに2つの成分に解離します。つまり配合剤ではなく、2つの成分があって初めて薬として成立する構造です。
サクビトリルは体内で活性代謝物に変換され、ネプリライシン(NEP)という酵素を阻害します。ネプリライシンは心臓を守るナトリウム利尿ペプチド(ANP、BNP、CNP)を分解する酵素であるため、これを阻害することで保護ホルモンの作用が増強されます。具体的には血管拡張作用、利尿作用、交感神経抑制作用、心筋リモデリング抑制作用などが発揮されます。
一方のバルサルタンはアンジオテンシンII受容体拮抗薬(ARB)として作用し、昇圧ホルモンであるアンジオテンシンIIの働きを抑制します。血管収縮の抑制や腎臓でのナトリウム・体液貯留の抑制により降圧効果を示します。
この2つの作用により、心臓にかかる負担を多方面から軽減するのが本剤の特徴です。単に血圧を下げるだけでなく、心筋リモデリングを抑制して心臓を守り、予後を改善することが最大の目的となっています。
慢性心不全治療におけるエンレストの臨床試験成績と承認情報(大塚製薬ニュースリリース)
サクビトリル・バルサルタン配合剤の適応と用法用量
エンレストの適応症は慢性心不全と高血圧症の2つです。
ただし製剤によって適応が異なります。
50mg錠・100mg錠・200mg錠は成人の慢性心不全に適応があり、100mg錠と200mg錠のみが高血圧症にも適応を持ちます。さらに2024年には小児慢性心不全に対する適応も追加され、粒状錠小児用12.5mg・31.25mgが承認されました。
慢性心不全に対する用法用量は、通常成人には1回50mgを開始用量として1日2回経口投与します。忍容性が認められる場合は2~4週間の間隔で段階的に1回200mgまで増量します。つまり50mg→100mg→200mgと段階的に増量していくのが基本です。
増量の判断基準として、臨床試験では以下の3つの条件がすべて満たされた場合に増量可能とされました。
📌 収縮期血圧が95mmHg以上で症候性低血圧がない
📌 血清カリウム値が5.4mEq/L以下
📌 eGFRが30mL/min/1.73m²以上かつeGFRの低下率が35%以下
これらの基準を参考に、患者の状態を注意深く観察しながら増量の可否を判断します。無理な増量は有害事象のリスクを高めるため、慎重な対応が求められます。
高血圧症に対しては通常1回200mgを1日1回経口投与します。ただし重要な注意点として、本剤は高血圧治療の第一選択薬としないことが原則です。過度な血圧低下のおそれがあるため、既存の降圧薬での治療を考慮した上で、24時間にわたる降圧が求められるnon-dipper型高血圧や減塩困難な患者、心疾患を有する高血圧患者などに限定して使用を検討します。患者の状態によっては1回100mgから開始することも考慮してください。
小児に対しては体重に応じた用量調整が必要です。開始用量は体重40kg未満で0.8mg/kg、40kg以上50kg未満で0.8mg/kg、50kg以上で50mgとなり、忍容性を見ながら段階的に目標用量まで増量します。
サクビトリル・バルサルタン配合剤とACE阻害薬の併用禁忌
エンレストの投与において最も重要な注意点の1つが、ACE阻害薬との併用禁忌です。この2剤を併用すると血管浮腫のリスクが著しく増加するため、絶対に避けなければなりません。
ネプリライシンとACE(アンジオテンシン変換酵素)は、いずれも血管浮腫の発症に関与するブラジキニンを分解する酵素です。エンレストによりネプリライシンが阻害され、さらにACE阻害薬によりACEも阻害されると、ブラジキニンの分解経路が二重にブロックされます。その結果、体内にブラジキニンが蓄積し、血管透過性が亢進して血管浮腫を引き起こす危険性が高まります。
血管浮腫は口唇、舌、咽頭、喉頭などに腫脹をきたし、重症化すると気道閉塞により呼吸困難をきたす可能性があります。
生命を脅かす重大な副作用です。
このため添付文書では、ACE阻害薬からエンレストへ切り替える場合、少なくともエンレスト投与開始の36時間前にはACE阻害薬を中止することが求められています。同様に、エンレストからACE阻害薬へ切り替える際も、エンレストの最終投与から36時間後までACE阻害薬を投与してはいけません。
この「36時間ルール」は医療現場で徹底すべき重要事項です。ACE阻害薬には、エナラプリル、カプトプリル、リシノプリル、イミダプリル、テモカプリル、ペリンドプリルなど多くの種類があります。患者の服薬歴を確認し、これらの薬剤が処方されている場合は、切り替えスケジュールを慎重に計画してください。
また血管性浮腫の既往歴がある患者には、エンレストそのものが禁忌となります。ACE阻害薬やARBによる血管性浮腫、遺伝性血管性浮腫、後天性血管性浮腫、特発性血管性浮腫などの既往がないか必ず確認が必要です。
新規心不全治療薬ARNIの血管浮腫リスクと36時間ルールの詳細(日経メディカル)
サクビトリル・バルサルタン配合剤使用時のBNP測定の注意点
エンレスト投与中の心不全モニタリングにおいて、BNP(脳性ナトリウム利尿ペプチド)測定には特別な注意が必要です。この点を理解していないと、検査値の解釈を誤り、不適切な治療判断につながる可能性があります。
サクビトリルはネプリライシンを阻害する薬剤ですが、ネプリライシンはBNPを分解する酵素でもあります。つまりエンレスト投与によりBNPの分解が抑制され、血中BNP濃度が上昇して見えることがあります。これは薬理作用に基づく現象であり、必ずしも心不全の悪化を意味するわけではありません。
このためエンレスト投与後にBNPを測定する際は、値の解釈に注意が必要です。BNP値が上昇していても、それが心不全悪化によるものか、ネプリライシン阻害による見かけの上昇なのかを慎重に判断しなければなりません。臨床症状や他の検査所見と総合的に評価することが重要です。
一方、NT-proBNP(N末端プロBNP型ナトリウム利尿ペプチド)はネプリライシンの基質ではありません。NT-proBNPはBNPの前駆体が分解されて生じる断片であり、ネプリライシンによる分解を受けないため、エンレスト投与の影響を受けにくいとされています。
このためエンレスト投与患者の心不全評価には、BNPよりもNT-proBNPの測定が推奨されます。NT-proBNPは保存安定性も高く、血清測定が可能という利点もあります。ただし海外の大規模試験PARADIGM-HFのサブ解析では、エンレスト投与後8~10週間でのBNP上昇もNT-proBNP上昇も予後不良を示唆したと報告されており、どちらのマーカーも一定の予後予測能を持つことが示唆されています。
実臨床では、エンレスト投与開始前にベースラインのBNPまたはNT-proBNPを測定し、投与後は同じマーカーで経時的に追跡することが望ましいです。値が上昇傾向を示す場合は、心不全の悪化を疑い、利尿薬の調整やエンレストの増量を検討します。逆に低下傾向なら治療効果が得られていると判断できます。
検査室や医療機関によってはBNPとNT-proBNPの両方を測定できない場合もあります。その場合は測定可能なマーカーを選択し、経時的変化を追跡する方針で対応してください。
サクビトリル・バルサルタン配合剤の心不全予後改善効果
エンレストが注目される最大の理由は、従来の心不全治療薬を上回る予後改善効果が臨床試験で証明されたことです。心不全治療において生命予後の改善は最も重要な治療目標であり、エンレストはこの点で画期的な成績を示しました。
海外で実施された大規模臨床試験PARADIGM-HF試験では、左室駆出率が低下した慢性心不全患者(HFrEF)約8,400例を対象に、エンレストとACE阻害薬エナラプリルが比較されました。その結果、エンレスト群では主要評価項目である心血管死または心不全入院の複合イベントが、エナラプリル群と比較して20%有意に減少しました。
さらに重要なのは、心血管死が単独でも20%減少し、全死亡率も16%低下したことです。ACE阻害薬であるエナラプリルは、それまで心不全治療のゴールドスタンダードとされてきた薬剤でした。エンレストはそのエナラプリルを上回る生命予後改善効果を統計学的有意差をもって示した初めての薬剤となりました。
心不全による入院も21%減少しており、患者のQOL向上と医療経済的な観点からも重要な成果です。心不全入院は患者にとって大きな負担であり、入院を繰り返すほど予後が悪化することが知られています。再入院率が高いことが慢性心不全管理の課題でしたが、エンレストはこの点でも有効性を示しました。
日本人を対象とした国内臨床試験でも、エンレストの有効性と安全性が確認されています。海外試験と同様の傾向が認められ、本邦での承認につながりました。
ただし臨床試験の対象は左室駆出率が低下したHFrEF患者が中心でした。日本の添付文書では左室駆出率による区別なく慢性心不全に使用可能とされていますが、HFpEF(左室駆出率が保たれた心不全)に対するエビデンスはHFrEFほど確立されていません。HFpEFに対してはPARAGON-HF試験が実施され、主要評価項目では統計学的有意差に至らなかったものの、一部のサブグループで有益性が示唆されています。
予後改善効果を得るためには、適切な患者選択と用量調整が重要です。臨床試験では目標用量(1回200mg 1日2回)への到達が推奨されており、可能な限り増量を試みることが望ましいとされています。ただし患者の忍容性を考慮し、無理な増量は避けるべきです。
サクビトリル・バルサルタン配合剤投与時の重要な副作用と対策
エンレスト投与において注意すべき主要な副作用として、低血圧、腎機能障害、高カリウム血症、血管性浮腫の4つがあります。これらのリスクを理解し、適切にモニタリングすることが安全な投与には不可欠です。
低血圧はエンレストの降圧作用に基づく副作用で、症候性低血圧があらわれるおそれがあります。過度の低血圧が発現すると、失神発作や一過性脳虚血発作などの重大な症状を引き起こす可能性があります。特に厳重な減塩療法中の患者や血液透析中の患者では低用量から投与を開始し、増量は徐々に行ってください。
利尿薬との併用時も注意が必要です。
高血圧症患者を対象とした短期臨床試験の併合解析では、エンレスト単独投与群(3,142例)において低血圧関連の有害事象が1.8%に認められました。多くは軽度~中等度でしたが、一部で投与中止に至った症例もあります。浮動性めまいが最も多く1.5%、低血圧が0.2%でした。
低血圧が発現した場合は、併用している利尿薬や他の降圧薬の用量を調節してください。それでも低血圧が持続する場合はエンレストを減量または一時中断します。また降圧作用に基づくめまい、ふらつきがあらわれることがあるため、高所作業や自動車運転などには注意するよう患者指導が重要です。
腎機能障害はレニン-アンジオテンシン-アルドステロン系の抑制により腎の自動調節能が変化し、腎機能低下を引き起こす可能性があります。軽度~中等度の腎機能障害(eGFR 30~90mL/min/1.73m²)のある患者では、エンレストの血中濃度が上昇するおそれがあります。血清カリウム値と腎機能を十分に観察しながら投与してください。
重度の腎機能障害(eGFR 30mL/min/1.73m²未満)や血液透析中の患者では、投与の可否を慎重に判断する必要があります。臨床試験ではこれらの患者は除外されていました。投与する場合は低用量から開始し、徐々に増量します。sacubitrlatとバルサルタンは血漿蛋白との結合率が高く血液透析で除去できないため、特に注意が必要です。
高カリウム血症は、腎機能低下患者においてレニン-アンジオテンシン-アルドステロン系抑制によりアルドステロン分泌が低下し、尿中へのカリウム排泄が減少することで生じます。高カリウム血症の患者では治療上やむを得ない場合を除き投与を避けてください。
リスク因子のある患者(腎機能障害、糖尿病、低アルドステロン症、カリウム含量が高い食事を摂取している患者など)では、血清カリウム値をモニタリングします。高カリウム血症が発現した場合は、カリウム摂取量の減量や併用薬の用量調節、エンレストの減量などの適切な処置を行ってください。
血管性浮腫は前述のとおり重大な副作用です。ACE阻害薬との併用禁忌を厳守し、既往歴のある患者には投与しません。投与中に舌、声門、喉頭の腫脹など血管性浮腫の徴候が認められた場合は、直ちに投与を中止し適切な処置を行ってください。
これらの副作用に対する基本的な対策は、投与前のリスク評価と投与中の定期的モニタリングです。特に投与開始時や増量時には、血圧、腎機能(血清クレアチニン、eGFR)、血清カリウム値を測定し、臨床症状を注意深く観察します。患者にも副作用の初期症状(めまい、ふらつき、息切れ、顔や喉の腫れなど)について説明し、異常を感じたら速やかに連絡するよう指導してください。