脳代謝賦活薬の基礎と臨床
1990年代に年間1000億円以上を売り上げた薬が効果なしで承認取消になった
脳代謝賦活薬の定義と歴史的背景
脳代謝賦活薬は、脳組織への栄養物の取り込みや脳のエネルギー代謝を促進することで、脳機能の回復を期待して使用される薬剤群です。脳循環改善薬と合わせて脳循環代謝改善薬と総称されることもあり、脳梗塞や脳出血の後遺症、脳動脈硬化症などに伴う記憶・知能の低下を防ぐ効果を持つとされてきました。
これらの薬剤には、各種ビタミン、酵素、補酵素、中間代謝物質など、正常な脳代謝経路に存在する成分が含まれています。実験的・臨床的に脳代謝を促進する作用が確認されたものが脳代謝賦活剤として分類されてきた経緯があります。
日本では1970年代から1990年代にかけて、脳循環代謝改善薬が広く使用されていました。代表的な商品名として「アバン」(イデベノン)や「カラン」(プロペントフィリン)があり、年間1000億円以上の売上を記録する大型薬効群でした。
つまり巨大市場だったということですね。
しかし、1998年に転機が訪れます。大蔵省(当時)から医療費削減を求める強い要請を受けた厚生省は、これらの薬剤の有効性について再評価を実施しました。プラセボ(偽薬)を対照とした比較試験の結果、イデベノン、塩酸インデロキサジン、塩酸ビフェメラン、プロペントフィリンの4成分15品目について有効性が確認できず、同年5月に承認が事実上取り消されました。
厚生労働省の脳循環代謝改善薬4成分に係わる再評価結果についての公式発表に詳細な経緯が記載されています。
この承認取消は、何年も使われてきた治療薬が実は効果を示せなかったという事実を明らかにし、日本の医薬品再評価制度における重要な教訓となりました。効果が確認できない薬に無駄な医療費が使われていたという問題は、現在の医薬品評価システムの厳格化につながっています。
脳代謝賦活薬の種類と作用機序
現在も使用されている脳代謝賦活薬として代表的なものは、ニセルゴリン(商品名:サアミオン)です。ニセルゴリンは再評価試験においてプラセボとの比較で一定の効果が認められ、承認が維持された数少ない製剤の一つとなっています。
ニセルゴリンの作用機序は多岐にわたります。脳血管を拡張して脳血流を増加させる作用に加え、血小板凝集抑制作用、赤血球変形能改善作用、PAF(血小板活性化因子)産生能抑制作用などにより血液流動性を改善します。さらに脳内アセチルコリン系の賦活作用や脳エネルギー代謝改善作用を持ち、総合的に脳循環と代謝を改善すると考えられています。
実験動物レベルでは、マウスの脳虚血モデルや低酸素モデルにおいて脳エネルギー代謝障害に対する改善作用が確認されています。また、老齢ラットの脳梗塞モデルでグルコースの取り込みや利用が改善されたという報告もあります。
脳循環改善が基本です。
その他の脳循環代謝改善薬として、イブジラスト(商品名:ケタス)があります。こちらは脳梗塞後遺症に伴う慢性脳循環障害によるめまいの改善を主な適応としており、脳血管障害だけでなく気管支喘息改善の薬効も有する特徴的な薬剤です。
また、ATP(アデノシン三リン酸)製剤であるアデホスコーワも代謝賦活剤として分類されます。こちらは頭部外傷後遺症、心不全、筋ジストロフィー症など多様な適応を持ち、細胞レベルでのエネルギー代謝を改善する作用を持っています。
これらの薬剤は、それぞれ異なる作用機序を持ちながらも、最終的には脳の血流改善や代謝促進を通じて脳機能の維持・改善を図るという共通の目的を持っています。ただし、認知症治療薬のドネペジルやメマンチンとは作用機序が異なり、適応症も明確に区別されています。
脳代謝賦活薬の現在の適応症と処方実態
1998年の再評価を経て、脳代謝賦活薬の適応症は大幅に限定されました。現在ニセルゴリンの承認されている効能・効果は「脳梗塞後遺症に伴う慢性脳循環障害による意欲低下の改善」のみです。
意外と狭い適応ですね。
かつて適応とされていた「脳出血後遺症」「脳動脈硬化症」は削除されています。脳出血後遺症に関しては、プラセボ対照比較試験で有効性が確認できなかったことが理由です。これは脳梗塞と脳出血では病態生理が異なり、同じ薬剤で同様の効果が得られるとは限らないことを示しています。
用法・用量は、ニセルゴリンとして通常成人1日量15mgを3回に分けて経口投与します。年齢や症状により適宜増減可能ですが、重要なのは投与期間の設定です。添付文書には「本剤の投与期間は、臨床効果及び副作用の程度を考慮しながら慎重に決定するが、投与12週で効果が認められない場合には投与を中止すること」と明記されています。
これは12週間という比較的短期間で効果判定を行い、効果が不明確な場合は漫然と投与を継続しないという姿勢を示しています。過去の反省から、エビデンスに基づいた適切な使用が求められるようになったわけです。
効果判定が必須です。
実際の処方実態を見ると、2025年の調査では脳循環代謝改善薬市場でアデホスコーワ(ATP製剤)がシェアを伸ばしており、ニセルゴリンを含む製剤も一定の使用が続いています。医療現場からは「脳循環代謝改善薬として処方するよりも、意欲低下が目立つときに処方する場合が多い」「活気が出る人がいる」といった声が聞かれます。
つまり、厳密な適応症に基づくというよりは、臨床的な経験則に基づいて症状に応じた使用が行われている側面があるということです。脳卒中治療ガイドライン2021改訂2025では、急性期治療や再発予防に関する推奨は充実していますが、慢性期の脳循環代謝改善薬の位置づけは限定的なものとなっています。
脳代謝賦活薬の副作用と使用上の注意点
脳代謝賦活薬は比較的副作用が少ない薬剤群とされていますが、いくつかの注意すべき点があります。ニセルゴリンの主な副作用として、食欲不振、下痢、便秘、吐き気、腹痛などの消化器症状が報告されています。
精神神経系の副作用としては、不眠、頭痛、めまい、興奮、痙攣などがあります。特に脳卒中片麻痺に用いた場合、麻痺肢のしびれ感の発現または増強が見られることがあるため注意が必要です。
過敏症として発疹やじんま疹、かゆみが現れる可能性もあります。これらの症状に気づいたら、担当の医師または薬剤師に相談する必要があります。
頻度は稀ですが、重大な副作用として肝機能障害の可能性があります。倦怠感、食欲不振、発熱、黄疸などの症状が続く場合は放置せず、速やかに医療機関に連絡することが重要です。
高齢者での使用には特別な配慮が必要です。一般に高齢者では生理機能が低下しているため、減量するなど注意が求められます。特に腎機能が低下している場合、薬剤の血中濃度が上昇しやすくなるため、副作用のリスクが高まります。
妊婦または妊娠の可能性がある女性への投与は原則として回避すべきとされています。やむを得ず投与する場合でも、治療上の有益性が危険性を上回ると判断される場合に限られます。授乳中の女性についても、必要性を十分に検討し、場合によっては授乱中止も考慮する必要があります。
痛いところですね。
併用注意として、ATP製剤の場合はジピリダモール(商品名:ペルサンチン)との併用に注意が必要です。両薬剤ともアデノシン受容体に作用するため、相互作用のリスクがあります。
薬剤相互作用を確認することで、安全な薬物療法を実施できます。添付文書や医薬品インタビューフォームには詳細な情報が記載されているため、処方前に必ず確認する習慣をつけることが大切です。
KEGG医薬品データベースのニセルゴリン情報で最新の添付文書情報を参照できます。
また、効果が認められない場合に漫然と投与を継続しないことは、副作用リスクの回避だけでなく、医療経済的な観点からも重要です。12週間で効果判定を行い、明確な改善が見られない場合は中止を検討するという原則を守ることが、適正使用の基本となります。
脳代謝賦活薬処方時の独自の臨床判断ポイント
脳代謝賦活薬を処方する際、ガイドラインや添付文書に記載された基本情報だけでなく、臨床現場で培われた独自の判断ポイントがあります。特に慢性期脳血管障害患者の日常生活における微妙な変化を捉える視点が重要です。
意欲低下の評価には、単なる活動量の減少だけでなく、家族とのコミュニケーションの質や趣味への関心度など、多角的な観察が必要です。例えば、以前は楽しんでいたテレビ番組に興味を示さなくなった、食事の準備や片付けへの参加意欲が低下したなど、具体的な生活場面での変化を聴取します。
これは使えそうです。
患者本人からの訴えが乏しい場合でも、介護者や家族からの情報収集が重要な判断材料となります。脳血管障害後の患者では病識が低下していることも多く、本人は意欲低下を自覚していないケースもあるためです。
投与開始後の効果判定では、バイタルサインや血液検査データだけでなく、日常生活動作(ADL)や生活の質(QOL)の変化を総合的に評価します。リハビリテーションへの取り組み姿勢が積極的になった、自発的な発語が増えたなど、質的な改善に注目することが大切です。
他の薬剤との併用を考える際、抗血栓薬や降圧薬など脳血管障害の再発予防に必須の薬剤との相互作用を確認することは当然ですが、向精神薬との併用については特に慎重な検討が必要です。意欲低下に対して抗うつ薬も併用されているケースでは、それぞれの薬剤の効果を区別して評価することが困難になる場合があります。
認知症治療薬との使い分けも重要な臨床判断です。ドネペジル(アリセプト)などのコリンエステラーゼ阻害薬は認知機能障害全般に作用しますが、脳代謝賦活薬は主に意欲・情動面への効果が期待されます。両者の適応は異なるものの、実臨床では区別が曖昧になりやすい領域です。
患者の期待値管理も臨床上の重要なポイントです。脳代謝賦活薬は「脳が若返る薬」「認知症が治る薬」ではなく、あくまで特定の症状の改善を目指す対症療法であることを、患者・家族に正確に伝える必要があります。
結論は限定的効果です。
医療経済的な視点も忘れてはいけません。過去に年間1000億円以上の医療費が使われながら効果が証明できなかった歴史を踏まえ、現在の処方が本当に患者の利益になっているか、定期的に見直す姿勢が求められます。12週間での効果判定を厳格に実施し、効果不十分な場合は潔く中止する勇気も必要です。
漫然投与を避けるために、電子カルテのリマインダー機能を活用して投与開始12週後に自動的に効果判定の促進が表示されるよう設定しておくと便利です。このような工夫で、エビデンスに基づいた適正使用を実践できます。
最後に、非薬物療法との組み合わせを常に意識することが重要です。意欲低下に対しては、作業療法や認知リハビリテーション、デイケアでの社会的交流など、薬物療法以外のアプローチも効果的です。脳代謝賦活薬はこれらの補助的手段として位置づけ、包括的なケアプランの一部として活用する視点が求められます。
