血管内皮と一酸化窒素の生理機能
血管内皮細胞から産生される一酸化窒素(NO)は、血管機能の恒常性維持において中心的な役割を果たしている重要な生理活性物質である 。血管内皮は血管の最も内側にある一層の細胞層で、その総重量は肝臓に匹敵し、総面積はテニスコート6面分、一列に繋げると10万km(地球2周半)にも相当するヒト最大の内分泌器官として機能している 。
参考)NO(一酸化窒素) | 一般社団法人 日本血栓止血学会 用語…
血管内皮細胞は、内皮由来弛緩因子(EDRF:endothelium-derived relaxing factor)と総称される血管弛緩因子を産生・遊離して血管恒常性を維持しており、EDRFには3種類の因子が存在する 。プロスタサイクリン(PGI2)に代表される血管拡張性プロスタグランジン類、一酸化窒素(NO)、内皮由来過分極因子(EDHF:endothelium-derived hyperpolarizing factor)の順に発見・同定されてきた 。
参考)病態
NOの血管拡張作用のメカニズムは、内皮細胞内で産生されたNOが平滑筋細胞膜を自由に通過し、可溶性グアニル酸シクラーゼを活性化することから始まる 。可溶性グアニル酸シクラーゼはGTPに作用してサイクリックGMP(cGMP)の生成を促進し、cGMPはGキナーゼを活性化して機能タンパク質をリン酸化する 。その結果、Ca²⁺の筋小胞体への取り込み促進、Ca²⁺の細胞外への排出促進、ミオシン軽鎖キナーゼの不活性化をもたらし、平滑筋拡張(弛緩)を引き起こす 。
参考)内皮細胞の働き|循環
血管内皮におけるNO合成酵素の構造と機能
内皮型一酸化窒素合成酵素(eNOS)は、血管内皮細胞でのNO産生を担う主要酵素である 。eNOSは分子量135kDaの蛋白質で、ヒト遺伝子は染色体7q35-36上に位置している 。eNOS、神経型(nNOS)、誘導型(iNOS)の3つのアイソザイムが存在し、動脈硬化症や血栓症と関連が深いのはeNOSとiNOSである 。
eNOSの分子構造は、酵素C端ではFAD、FMNおよびNADPH結合部位をもつレダクターゼ領域と、酵素N端ではプロトプロフィリンⅨヘム、テトラヒドロビオプテリンおよびL-アルギニン結合部位が存在するオキシゲナーゼ領域から構成されている 。両領域に挟まれた酵素中間領域には、リン酸化部位およびカルモデュリン(CaM)結合部位が認められ、その活性はCa²⁺/CaMに依存している 。
血管内皮では、NOはeNOSによってL-アルギニンとヘム基に結合する酸素分子から合成され、最終的にNOとL-シトルリンが形成される 。運動による血流量の増大に伴って血管内皮に高いずり応力がかかると、その刺激によって内皮型一酸化窒素合成酵素(eNOS)が活性化される 。
血管内皮における一酸化窒素の産生メカニズム
血管内皮細胞からのNO産生は、特に運動などで血流が加速したときの血管内側にある血管内皮細胞で顕著に増加する 。NOは特に運動などで血流が加速したときに、血管の内側にある血管内皮細胞から分泌され、血管が拡張されてしなやかになり、血流が良好になる効果をもたらす 。
参考)https://www.karadacare-navi.com/tips/09/flyer.pdf
アセチルコリン以外にも、生体内の強力な血管収縮物質にはアンジオテンシンII、バゾプレッシン、エンドセリン、ヒスタミン、トロンビンなどがあり、これらの物質はいずれも内皮細胞上のそれぞれの受容体に結合する 。これらがPI代謝回転促進を介して細胞内Ca²⁺濃度を上昇させ、NOの産生遊離を促進することが明らかになっている 。
NOの血管径による寄与度の違いも重要な特徴である。NOは比較的太い血管(大動脈、心外表面の冠動脈などの導管血管)における血管弛緩反応に大きく寄与しているが、血管径が細くなるにつれてその役割をEDHFへゆずり、細い血管(腸間膜動脈分枝や冠微小血管などの抵抗血管)ではEDHFによる血管弛緩反応が主となる生理的バランスが存在する 。
血管内皮機能におけるNOの多面的作用
NOには血管拡張作用に加えて、血液が固まるのを予防する作用も存在することが明らかになっている 。NOは血管拡張作用があるため、その不足は血管の内皮機能の低下や高血圧に関係し、血管平滑筋増殖抑制作用は動脈硬化症の抑制、血小板凝集抑制作用は血栓症の制御に関連している 。
血管内皮細胞は、体に有益な成分(生理活性物質)を作り出したり、血管内に放出したりしており、その生理活性物質の一つであるNOには「血管を広げる働き」「血栓(血の塊)の形成を防ぐ働き」「血管壁が厚くなるのを防ぐ働き」がある 。これらの機能が低下すると、血管が広がらなくなり、血栓ができやすくなり、その結果血管壁が厚くなって動脈硬化と呼ばれる状態に進展する危険性が高まる 。
参考)血管内皮機能とは?動脈硬化の進行を知り・回復させる方法|原料…
NOは平滑筋のCa²⁺感受性を抑制し、冠血管の攣縮を予防する重要な機能も有している 。また、NOには血小板凝集抑制作用、血管平滑筋細胞の増殖抑制作用、神経伝達などにおける情報伝達作用、殺菌作用など多様な生理活性が報告されている 。
血管内皮機能評価法としてのFMD測定
血管内皮機能の臨床的評価方法として、血流依存性血管拡張反応(FMD:Flow-Mediated Dilatation)が広く用いられている 。FMDは上腕動脈を締め付けた後の血管の拡張度を示し、血管内皮機能を評価する指標として1992年にCelermajerらが脂質異常症患者におけるFMDの低下を報告したことから始まり、現在では「血管機能の非侵襲的評価法に関するガイドライン」や「動脈硬化性疾患予防ガイドライン」に記載されている学術的に認められた評価方法である 。
参考)FMDとは?フラバンジェノールの血管柔軟性に対する有効性|原…
FMD測定は超音波診断装置を用いて実施され、安静時の上腕動脈の血管径を測定し、5分間前腕を駆血した後、駆血を解除して最も血管が拡張したタイミングで血管径を測定する 。血管内皮からのNO放出能を見る臨床検査として、カフで腕を一端締め、その後緩めると内皮細胞はNOを放出し血管が拡張する様子を超音波で測定し、血管拡張が少ない場合は内皮機能が低下していることを意味する 。
参考)FMDをご存知ですか?
欧州食品安全機関(EFSA)が発行するガイダンスにおいて、血管内皮機能は心血管の健康に関連する機能の評価指標の一つとして挙げられており、食品成分を4週間以上継続摂取することによる空腹時FMDの増加は、有益な生理学的効果であるとされている 。
血管内皮機能障害と臨床的意義
血管内皮機能障害は、動脈硬化の初期段階において重要な病態生理学的変化である。酸化ストレスの亢進は、一酸化窒素を不活性化し血管内皮機能を低下させることが知られている 。また、TGを取り込んだ脂肪細胞や腎機能障害によるレニン・アンジオテンシン系の活性化は、炎症性サイトカインの分泌を増加し血管の炎症を惹起することから、血管内皮機能を低下させることが報告されている 。
参考)https://www.jstage.jst.go.jp/article/cjpt/2014/0/2014_1584/_pdf/-char/ja
血管内皮機能の低下を防ぐことが健康を維持する上で非常に重要であり、その病状が更に悪化すると心筋梗塞や脳卒中などの重篤な疾患が引き起こされる危険性が高まる 。血管内皮機能障害は食事療法、薬物療法、運動療法、禁煙などで改善できることが明らかになっている 。
動脈硬化の予防や改善には中強度の有酸素運動が効果的で、運動により血管の血流量が増えると、血管の最も内側にある内皮細胞がこすれて一酸化窒素を産生・放出し、この一酸化窒素の血管拡張作用によってしなやかな血管を保ち、動脈硬化の予防に繋がることが確認されている 。
一酸化窒素を利用した治療戦略の臨床応用
NOの生理機能を活用した治療法として、NO吸入療法や硝酸薬による治療が確立されている。吸入一酸化窒素は選択的な肺動脈血管拡張作用により、肺動脈圧の低下、換気血流比(V/Q比)の改善、肺内シャントの改善などの効果が期待でき、心臓手術の周術期の肺高血圧症の改善に使用されている 。
参考)https://www.jsicm.org/meeting/jsicm48/web_ex/company/28_2.pdf
狭心症治療薬のニトログリセリンや硝酸イソソルビドは、細胞内でNOを発生することで血管平滑筋を弛緩させ、冠状動脈と全身の静脈を拡張して発作を抑制する 。興味深いことに、ニトログリセリンを扱う工場の従業員が、自宅では狭心症発作が生じるが、工場で勤務中は発作が生じないという現象から、ニトログリセリンの血管拡張作用が発見された歴史的経緯がある 。
参考)狭心症の薬の原料はダイナマイトと同じ?ニトログリセリンの特徴…
NOのドナーとなる物質やNO合成に関わるNOSの発現を制御する物質は、高血圧症、動脈硬化症、血栓症、肺高血圧症などの疾患の治療薬として期待されている 。老化した血管をしなやかな血管に回復させるカギとなるのがNOであり、NOは血管内皮細胞を修復して血管をしなやかに広げる働きや、プラーク(血管内のこぶ)を予防する働きなどによって、動脈硬化の進行を妨ぐ効果を発揮する 。
参考)血管を若返らせて「動脈硬化」を予防!血管年齢セルフチェックも…
このように、血管内皮細胞から産生される一酸化窒素は、血管機能の恒常性維持において極めて重要な役割を果たしており、その機能障害は様々な循環器疾患の発症に深く関与している。医療従事者は、血管内皮機能とNOの生理学的意義を十分に理解し、適切な評価と治療介入を行うことが求められる。