エリスロポエチンと腎性貧血の関係
エリスロポエチンの基礎知識と産生メカニズム
エリスロポエチン(EPO)は、赤血球系幹細胞(前駆細胞)に対して分化誘導を刺激し、赤血球産生を促進する分子量34,000~46,000の糖タンパクホルモンです。主に腎臓の尿細管間質にある線維芽細胞様の細胞で産生され、一部は肝臓でも作られています。
EPOの産生は、体内の酸素状態によって緻密に調節されています。動脈血中の酸素分圧が低下すると(低酸素状態)、EPOの産生が促進されます。これは、大量出血や高地など酸素が薄い環境で体が酸素運搬能力を高めるための重要な適応メカニズムです。
EPOは主に後期赤芽球前駆細胞(CFU-E)に作用し、そのコロニー形成を顕著に促進します。高濃度では前期赤芽球前駆細胞(BFU-E)のコロニー形成も促進します。このように、EPOは骨髄における赤血球の生成過程で中心的な役割を担っています。
興味深いことに、EPOの産生は一過性であり、必要以上に赤血球を作り続けることがないよう制御されています。これは血管内で赤血球が過剰になり、血栓症などの危険な状態を防ぐための生体の防御機構といえるでしょう。
腎性貧血の発症メカニズムとエリスロポエチンの関係
腎性貧血は、腎機能障害によってエリスロポエチン(EPO)の産生能が低下することで発症する貧血です。腎臓が何らかの原因で障害を受け、腎機能が低下すると、EPOを分泌する能力も低下します。その結果、骨髄での赤血球産生が減少し、貧血状態に陥ります。
腎性貧血の特徴的な点は、他の貧血とは異なり、貧血状態にもかかわらず血中EPO濃度が正常範囲内にとどまることです。通常、貧血になると体は代償的にEPO産生を増加させ、血中EPO濃度は上昇します。しかし、腎機能障害がある場合、この代償機構が働かず、EPO濃度は貧血の程度に見合った上昇を示しません。
腎性貧血の病態には、EPO産生低下以外にも複数の要因が関与しています。
- 赤血球寿命の短縮
- 造血細胞のEPO反応性低下
- 栄養障害による造血抑制
- 尿毒症物質による骨髄抑制
これらの要因が複合的に作用し、慢性腎臓病患者の貧血を悪化させます。また、腎性貧血は心機能障害、腎機能障害との間で悪循環を形成する「Cardio Renal Anemia(CRA)症候群」の一部となることもあり、全身の健康状態に大きな影響を与えます。
エリスロポエチン検査の臨床意義と基準値
エリスロポエチン(EPO)の血中濃度測定は、生体内での赤血球造血の状態を把握する上で非常に有用な検査です。この検査の基準値は4.2~23.7 mIU/mLとされており、この範囲を逸脱する場合には様々な病態が考えられます。
EPO検査の主な臨床意義は以下の通りです。
- 腎性貧血の診断と評価。
- 腎臓のEPO分泌能を評価できる
- EPO製剤投与の適応判断と投与量決定の参考になる
- 貧血の鑑別診断。
- ヘマトクリット値、ヘモグロビン濃度などと組み合わせることで、様々な貧血症の鑑別に有用
- 貧血があるのにEPO値が上昇していない場合、腎性貧血を疑う
- 多血症の病型分類。
- 真性赤血球増加症ではEPO値が低下
- 二次性赤血球増加症ではEPO値が上昇
EPO検査の保険適用については、令和6年2月29日の厚生労働省通知によると、以下の目的で行った場合に算定可能です。
- 赤血球増加症の鑑別診断
- 重度の慢性腎不全患者または各種EPO製剤投与前の透析患者における腎性貧血の診断
- 骨髄異形成症候群に伴う貧血の治療方針の決定
ただし、「腎不全疑い」「慢性腎不全疑い」「慢性腎臓病」「慢性貧血」といった傷病名に対するEPO検査の算定は、原則として認められていません。また、慢性腎不全のない腎性貧血(疑い含む)に対する検査も原則として認められていません。
エリスロポエチン製剤による腎性貧血の治療法
腎性貧血の治療には、不足したエリスロポエチン(EPO)を補充するためにEPO製剤の投与が行われます。現在、日本で使用されている主なEPO製剤には以下のようなものがあります。
- エポエチン アルファ(遺伝子組換え)。
- 商品名:エスポー注射液など
- 特徴:チャイニーズハムスター卵巣細胞で生産される遺伝子組換えヒトEPO
- 効能・効果:透析施行中の腎性貧血、未熟児貧血など
- ダルベポエチン アルファ。
- 商品名:ネスプ
- 特徴:血中半減期が長い(77~98時間)
- 投与頻度:2週に1回または4週に1回投与可能
- エポエチン ベータ ペゴル。
- 商品名:ミルセラ
- 特徴:血中半減期がさらに長い(171~208時間)
- 投与頻度:2週に1回から4週に1回投与可能
- HIF-PH阻害薬。
- 新しいタイプの腎性貧血治療薬
- 内因性EPO産生を促進する作用機序
治療開始基準と目標値については、日本腎臓学会の診療ガイド2012によると、以下のように設定されています。
- 治療開始:ヘモグロビン(Hb)値が10.0 g/dL未満
- 維持目標:Hb値10~12 g/dL
- 上限目標:Hb値13 g/dL以下(なるべく12 g/dL以下を推奨)
EPO製剤の投与方法は、皮下注射または静脈内投与が一般的です。近年は血中半減期の長いダルベポエチン アルファやエポエチン ベータ ペゴルの登場により、従来の週1回投与から2週に1回、あるいは4週に1回の投与に変更できるようになり、患者の負担が軽減されています。
EPO製剤使用時の注意点として、過剰投与による赤血球増加は血栓症のリスクを高めるため、定期的な血液検査によるモニタリングが必要です。また、鉄欠乏状態ではEPO製剤の効果が十分に発揮されないため、必要に応じて鉄剤の併用も検討されます。
エリスロポエチンとiPS細胞技術の革新的治療アプローチ
近年、iPS細胞(人工多能性幹細胞)技術を活用したエリスロポエチン(EPO)産生細胞の開発が進み、腎性貧血治療の新たな可能性が開かれつつあります。2017年、京都大学iPS細胞研究所の長船健二教授らの研究グループは、世界で初めてヒトiPS/ES細胞からEPO産生細胞の作製に成功しました。
この革新的な研究では、ヒトiPS細胞を中胚葉や内胚葉へと誘導する因子であるアクチビンなどを加えた培養液で培養し、EPO産生細胞を作製しました。作製された細胞は実際にEPOを産生し、低酸素刺激に反応してEPO分泌量を増加させるという、生体内のEPO産生細胞と同様の性質を示しました。
さらに注目すべき点は、これらのiPS細胞由来EPO産生細胞を腎性貧血モデルマウスに移植したところ、血液中の赤血球量を表すヘマトクリット値が正常値まで回復し、その効果が28週間も持続したことです。これは腎性貧血に対する細胞療法の可能性を示す重要な成果といえます。
iPS細胞由来EPO産生細胞を用いた治療アプローチには、従来のEPO製剤と比較して以下のような利点が期待されます。
- 持続的なEPO分泌。
- 移植された細胞が体内で長期間EPOを分泌
- 頻回の注射が不要になる可能性
- 生理的なEPO濃度調節。
- 低酸素状態に応じて自然にEPO分泌量を調節
- 過剰投与による副作用リスクの低減
- 抗体産生リスクの低減。
- 体内で産生される自然なEPOのため、抗EPO抗体産生リスクが低い可能性
- 新薬開発ツールとしての活用。
- EPO産生を促進する新薬のスクリーニングに利用可能
- 腎性貧血治療の新たな選択肢の開発促進
この研究は基礎段階ですが、将来的には腎性貧血患者に対する革新的な治療法として発展する可能性を秘めています。また、iPS細胞技術の進歩により、患者自身の細胞から作製したEPO産生細胞を用いた個別化医療の実現も期待されています。
エリスロポエチンと腫瘍マーカーとしての可能性
エリスロポエチン(EPO)は赤血球産生促進因子として広く知られていますが、特定の状況では腫瘍マーカーとしての役割も果たす可能性があります。特に腎細胞癌(RCC)との関連が注目されています。
腎細胞癌は時にEPOを過剰産生することがあり、これが腫瘍マーカーとして有用なケースが報告されています。1997年の症例報告では、後天性多嚢胞腎(acquired cystic disease of the kidneys, ACDK)に腎細胞癌を合併した透析患者において、血中EPO濃度が腫瘍マーカーとして有効であったことが示されています。
この症例では、14年の透析歴がある50歳男性患者の左腎下極に充実性腫瘤が発見され、遺伝子組換えヒトEPO(rHuEPO)の投与を行っていないにもかかわらず、ヘマトクリット値(Ht)が33%、血中EPO濃度が57.8mU/mlと維持透析患者としては高値を示していました。その後、腫瘤はさらに増大し、血中EPO濃度も122mU/mlまで上昇したため、根治的左腎摘出術が施行されました。病理組織診断は腎細胞癌であり、術後、血中EPO濃度は15.7mU/mlまで低下しました。
このような現象が起こる理由として、腎細胞癌細胞がEPO産生能を獲得し、自律的にEPOを分泌するようになることが考えられます。通常、EPO産生は低酸素状態に応じて厳密に調節されていますが、腫瘍細胞ではこの調節機構が破綻し、過剰なEPO産生が起こると考えられています。
EPOが腫瘍マーカーとして有用となる可能性のある状況。
- 透析患者における予期せぬヘマトクリット値の上昇。
- EPO製剤を使用していないのにヘマトクリット値が上昇する場合
- 特に後天性多嚢胞腎を有する長期透析患者
- 血中EPO濃度の異常高値。
- 貧血の程度に見合わない高いEPO値
- 腎機能低下患者での予想外のEPO高値
- 腎腫瘤の発見と同時期のEPO値上昇。
- 画像検査で腎腫瘤が発見された際のEPO値モニタリング
- 腫瘤サイズとEPO値の相関関係
ただし、EPOが腫瘍マーカーとして有用なのはすべての腎細胞癌症例ではなく、EPO産生型の腎細胞癌に限られます。また、他の原因(例:肝疾患、多血症など)でもEPO値は変動するため、総合的な臨床評価が必要です。
腎細胞癌以外にも、肝細胞癌、子宮筋腫、脳腫瘍など、様々な腫瘍でEPO産生が報告されており、特定の条件下では腫瘍マーカーとしての可能性があります。このような知見は、腫瘍診断の新たなアプローチとして、今後さらなる研究が期待される分野です。